韜晦小僧のブログ 無線報国

真空管式ラジオ、軍用無線機やアマチュア無線機の修復の記録
手製本と製本教室の活動の記録
田舎暮らしの日常生活の記録

日本海軍の敗戦末期の通信兵器の研究・開発状況について

2022年04月30日 10時29分18秒 | 02海軍無線機器

日本海軍の敗戦末期の通信兵器の研究・開発状況について

第二海軍技術廠の敗戦時の技術資料調査表(GHQ報告資料)と日本無線史の資料を活用して、日本海軍の敗戦末期の通信兵器の研究・開発状況を明らかにする。

第二海軍技術廠の敗戦時の技術資料調査表(GHQ報告資料)
1.研究項目
(イ)戦闘機用無線電話機(19試空1号無線電話機)
(ロ)機上電信用附加変調装置(試製5式変調器)
(ハ)機内通話機改造(18試機通話機の改良)
(ニ)短4号送信機中波改造
(ホ)短3号送信機改造
(ヘ)5式短4号送信機
2.研究経緯
通信兵器に関しては技術者の電波兵器研究方面に大幅転用に依り主として規制兵器の改善方面に力を注ぎ特別なる新兵器の研究は実施せず
3.成果概要
(イ)戦闘機用無線電話機
波長範囲3750kc乃至6000kc一挙動電波転換等を目的とし20年7月研究完成量産移行中なるも不幸にして十分なる量産を見ず今日に至る
2波長に付き一挙動電波転換方式
(ロ)機上電信用附加変調装置
中型機及小型機用電信機の電話化を目途とし20年7月研究完成量産移行中なり
(ハ)機内通話機改造
既成兵器の明瞭度を向上せるものにつき試作中なり
(ニ)短4号送信機中波改造
短4号送信機の周波数範囲を1750kc乃至18000kcに改造研究実験を終了数組の施策を完了せるも実用するに至らず 
(ホ)短3号送信機改造
送話増信機に依り電話可能なる如くせるものにして実施部隊装備送信機の改造を完了し実用中なり
(ヘ)5式短4号送信機
出力500W周波数範囲2500kc乃至10000kc陸上用を主とする標準型送信機の完成を目途とし試作中なり

日本無線史 第十巻よりの抜粋
太平洋戦争中の末期の第三段作戦後期 昭和19年11月から終戦時に至る
敵の反抗速度は俄かに急調となり、これを邀撃するために、各部隊間の通信は非常に重要であるので、当時最大の問題であった粗製乱造品の取締に向かって、全力を注がれた結果、製品も幾分改善することになった。しかるにB29の空襲は、一段と猛威を逞(たく)うし、各部品工場、真空管工場等が相次いで崩壊し、更に又工場疎開による生産力低下等のために兵器は実施部隊の需要を到底満足させることが出来なかった。
この時期に急速実用化を要望された試作実験兵器は第3.9表に示すものである。

その後、本土作戦を予期するに至り、全面的に特攻作戦を実施されるようになった。そこでこの特攻機用簡易通信兵器が必要となり、小型送受信機の試作実験に努力したが、決戦場に送るまでに至らなかった。
終戦時に於ける主な兵器の改造試作、生産管理の状況は概ね次の通りである。
(1)部品欠乏のため96式空2号無線電信機改2、96式空3号無線電信機改1及び2式空3号無線電信機改1の生産を停止
(2)還納品に対する中長波帯附加を目的とする96式空4号無線電信機改1及び同改2の改造
(3)19試空十号送信機の試作実験は実施困難なると実用価値に疑問あるため中止
(4)右記各兵器の代替として19試空3号無線電信機の量産促進
(5)3式空1号無線電話機の改良量産化を目的としとて、19試空1号無線電話機の試作
(6)特攻用送受信機の試作(小型、重量20瓩以内のもの)
(7)ロケット機秋水用受信機の試作実験
(8)隊内電話の能力向上対策として、20試空隊内無線電話機の試作実験


2つの資料から敗戦末期の日本海軍は本土決戦のための航空機用無線機の無線電話機の改良と特攻兵器用の無線機が主要な研究開発の目標になっていることがわかる。

(イ)戦闘機用無線電話機(19試空1号無線電話機)の解説
機能の最大の特徴は、2周波数(2チャンネル化)対応を管制器のスイッチのみで可能となるようにしたことにある。
本機は、自機と編隊内友軍機との通信ラインと自機と航空機基地(この敗戦末期では空母は想定できないので無線封止はないはず)間の通信ラインの2チャンネル化を目論んだものだ。
但し、本機の使用周波数3750kc乃至6000kcの中で任意の2チャンネルを選択することは技術的にできず、2チャンネル周波数の設定は近接周波数(例えば、10kcから30kcの近接周波数の2チャンネルのみ)での運用に限定される。
そういう意味では、簡易2チャンネル・水晶制御方式の送受信機である。
ただし、研究所が想定している2チャンネル化が、現場である戦闘機の実施部隊での無線通信運用と合致していたのかは疑問がある。
本来なら、米軍のように編隊の隊長機のみが2チャンネルの無線機を使用し、全体の空中戦を把握しながら、配下の編隊機への作戦を指示し、配下の編隊機は受信のみで戦闘に従事する。
一方、隊長機は別のチャンネルを使用して基地との必要な連絡通信を行うことが要件である。
何故疑問かというと、日本無線史の資料で、この敗戦末期にも関わらず20試空隊内無線電話機(2座、3座及び多座機)の新規開発を行うとしている。本機の使用周波数は30Mhzから50Mhz帯のVHFを使用することにより無線封止の中でも通信が可能な周波数帯を採用しているが、この敗戦末期の本土決戦では無線封止など何の意味もなく、通信連絡を確保することのみに注力すべき段階である。
そういう意味では多座用航空機に19試空1号無線電話機を搭載すれば、隊内通信の確保は何の支障もないのは、当時でも明らかなはずである。
しかしながら、そのような対応は残念ながら認められなし、単座の戦闘機に対する隊内電話無線機の運用概念も見当たらない。

19試空1号無線電話機 上が本体部、下が管制器(TTKらしきマークがあるので東洋通信機株式会社が製造) 
※2チャンネル用として送信、受信用の水晶ホルダーが2個づつ設置されている。

管制器のみ(TTKのマークがあるので東洋通信機株式会社が製造)

(ロ)機上電信用附加変調装置(試製5式変調器)の解説
日米開戦初期では、航空機の無線通信は電信員による電信(A1)が主体であり、戦闘機のパイロットにも電信による無線通信をおこなっていた。
しかしながら、日米開戦末期に至り、戦闘機用の3式空1号無線電話機の運用も進まず、しかも多座用航空機の熟練した電信員が確保できず、通信運用に問題が山積する事態となっていた。
このため、多座用無線電機機には、安定的な電話運用ができるよう機上電信用附加変調装置として変調機を新規に開発するこことした。
電話運用のため振幅変調方式には、大きく分けて以下のとおりである。
終段C級終段陽極変調
終段C級終段陽極遮蔽格子同時変調
終段C級制御格子変調
終段C級制抑制子変調
フローティング・キャリア方式など

日本海軍航空機用無線機には、一般的に無線電信機といっても簡便な電話運用が可能となるよう終段C級制御格子変調もしくは終段C級制抑制子変調方式が採用されている。
しかし、この変調方式は、回路自体は簡便ではあるが変調度が浅く遠距離通信では明瞭度が大きく悪化する結果となる。
本格的な電話運用には、終段C級終段陽極変調もしくは終段C級終段陽極遮蔽格子同時変調方式が絶対要件である。
戦後、日本のアマチュア無線で電話運用する送信機では、トリオのTX-88Aが有名であるが、勿論変調方式は、終段C級終段陽極遮蔽格子同時変調方式をとっていた。
但し、日本海軍の戦闘機用の96式空1号無線電話機のみが終段C級終段陽極遮蔽格子同時変調を採用していたが、コックピット内の空間の制約から送信機の筐体を大きく製作できず、わずか2球の送信管のみの構成となったため、その電話性能を生かすことができなかった。

(ハ)機内通話機改造の解説
本機、18試機内通話機(一般的にはインターコムのこと)は昭和20年製でしかも、軍需大手のメーカーも手一杯の状況のため民需ラジオメーカーの戸根無線(商標コンサートンでラジオを生産)が担当している。


参考資料1
3座などの航空機には、下図のような伝声管が大戦中も使用されている。

 

参考資料2
生産工場と品種(海軍のみ)
昭和19年以降に於ける機器製造会社、工場所在地並びに生産品種を列記すると左表のとおりである。

参考文献
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011008900、技術資料調査表(防衛省防衛研究所)」
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011009000、研究実験の状況(防衛省防衛研究所)」
横浜旧軍無線通信資料館 HP、掲示板、FB
日本無線史10巻 1951年 電波管理委員会
Yahooオークション出品商品

 

 


海軍戦闘機用無線電話機の問題点の本質について

2022年04月17日 19時15分45秒 | 02海軍無線機器

海軍戦闘機用無線電話機の問題点の本質について

海軍局地戦闘機2022年4月21日発行 野原茂氏の文庫本の新刊が書店にあったので、なんとなく購入してしまった。
第一章三菱局地戦闘機「雷電」の章の諸装置の項には、無線電話機装備とあるのでこの項の全文をまず問題提起として掲載する。
雷電の無線機ユニットは、零銭と同じくJ2M2の初期までが96式空1号、それ以降は3式空1号を搭載した。空1号という共通名称は、小型単座用を示している。
96式では送受話器がそれぞれ別個に設置されており、送話口は酸素マスクに組み入れてあった。3式になって、送受話器は小型のボックス1個にまとめられ、送話口が咽喉マイクロホンに更新された。
3式の各ユニット配置を示したのがP125図。送受話器は、操縦室内航法の台上に備え付けられ、管制器は同室内右側にあり、搭乗員は右手でこれを操作した。
装置はともかくして、日本の航空無線機、とくに小型単座機用のそれは、感度がきわめて悪いのが定評(?)で、96式空1号は実際にはほとんど役に立たず、無用の長物だった。
零銭も、ソロモン戦域の基地航空隊所属の多くが、無線機を取外してしまったくらいだから、その役立たずぶりは察せられる。
この感度不良の原因は、真空管の不良とアースの不完全さに起因していたのだが、3式空1号になって、真空管の出来は改良されたものの、アースの不完全さは直らなかった。
302空隊員の回想では、昭和20年2月以降、日本本土に来襲するようになった米海軍艦上記が撃墜され、その期待を詳しく見分した結果、アースの適切な処置がわかり、ただちにその通りに改修してようやく用をなすようになったと記している。
ということは、太平洋戦争の大詰めに至るまで、日本海軍戦闘機の無線機はほとんど用をなさなかったことになり、まことに情けない話ではある。

 
また、野原茂氏は丸 ソロモン航空戦 2020年9月号に日本陸海軍「航空機用無線機」発達史を寄稿されています。
大変詳細な資料を基に旧軍の航空機無線機を解説されており、この中にも最後の総括の項で同様に無線電話の問題点を指摘されており、もし関心があれば一度本誌をお読みいただければ幸いです。
ただし、とても残念なことですが、無線電話機の問題を「アースの不良」のせいにされていることに関して、これを機会に本来の問題点の本質を究明することにした。

文中での問題点を項目だてして下記のように整理した。
①日本の航空無線機、とくに小型単座機用のそれは、感度がきわめて悪いのが定評(?)で、96式空1号は実際にはほとんど役に立たず、無用の長物だった。
②零戦も、ソロモン戦域の基地航空隊所属の多くが、無線機を取外してしまった
③この感度不良の原因は、真空管の不良とアースの不完全さに起因していたのだ。
➃96式空1号無線電話機関連で本指摘以外に考えられること
⑤3式空1号になって、真空管の出来は改良されたものの、アースの不完全さは直らなかった。

問題の本質を考えるために、零戦などの海軍戦闘機に搭載された96式空1号無線電話機について検討する。
96式空1号無線電話機の概要は下記のurlに掲載している。
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2019/07/20/083614
なお、重量は18Kgで、通達能力は対地上約50浬(92km)とのことである。
昭和15年度当時とすれば、96式空1号無線電話機は、他国に比較しても遜色がない航空機用電話無線機といえる。
日米開戦初頭の比島攻略による米軍無線機の鹵獲による陸軍技術研究所の分析情報であるが、米軍無線機にはリモートコントロール機能(管制器)が既に用意されているのが分かる。反面、米軍は自励発振式だが、日本のものは完全水晶発振式のため運用では日本の方が優れているなどの差異がある。
S.C.R.430型無線機 航空機用
元来航空機用の機械であるが、地上に於て使用していたものである。
電信・電話共可能で、性能、構造等参考になるところがある。
周波数範囲 200Kc から 7700Kc
使用真空管 (送信)VT-25 2個
          VT-52 2個
      (受信)VT-49 4個
          VT-37 1個
          VT-38 1個
送信出力  約10W  
電源    直流24V


 本機は沖電気株式会社(昭和15年10月)製作のもので、左側が受信機、右側が送信機

 1941年12月7日の真珠湾攻撃で、オアフ島フォート・カメハメハに墜落した「零戦」のコックピット内部。右舷に設置された96式空1号がある。無線機(左が受信機、右が送信機)

受信機の特徴
戦闘機用のパイロットが運用することを考慮して、受信操作は最低限機能に限定している。
上段、左から音量(減と増の切替SW方式)、受信モード(電話と電信の切替SW方式)、受信用の水晶発振子収納ボックス、空中線端子(2個)
中段、左から音調調整器(電信受信時、受信音のピッチを変更して自分の聞きやすい音に調整する)、同調蓄電器(同可変蓄電器を変化して該当する受信周波数に合わせる。セット後は固定する)
下段、左から電源SW(断と接)
受信部は高周波増幅部と混合部との同調回路が連動した可変蓄電器(2連)のみで、スーパーヘテロダイン用の局部発振部は非同調の水晶発振となっている。
このため、水晶発振子の発信周波数-中間周波数(450Khz)が受信周波数となるので、2連の可変蓄電器を調整して、目的の受信周波数レベルを最大化する調整が必要となる。
通常運用での受信操作は、受信周波数は事前の調整で固定にしているので必要はなく、電話運用の受信操作は、受信音の受信レベルの減と増の切替SW方式を操作するのみである。
ただし、操作の簡便化をやりすぎたため、機体操作するパイロットに、無通信時でも常に一定のレベルの雑音を聞くことになり大変苦痛であったとの記録が戦記に残っている。
やはり、操作は多少煩雑でも、通常の音声調整ボリュールで音声レベルの可変になるような改善をするべきであったように思われる。
このことが、戦闘機パイロットの無線電話機の使用を嫌がる主原因ではないだろうか。
受信機の正面

送信機の特徴
戦闘機用のパイロットが運用することを考慮して、送信操作は最低限機能に限定している。
上段、左から受話空中線(受信機の空中線用の接続端子)、空中線電流計(max0.8A)
中段、左から同調(送信周波数に送信用同調回路を調整、その後固定)
下段、左から送受話機転換器(送信か受信かのモードの切替)、電信電話切替器(電波形式を電信、電話に切替)
なお、送信機の運用は、下段の送受話機転換器と電信電話切替器(通常は電話運用のため使用しないはず)を操作するだけである。
このため、送信モードで送信し、受信モードに戻さないとすべての編隊機は同じ周波数で運用しているため、利用できないことになる。
この誤操作を危惧した記録が戦記にあるが、このような通信運用はひとえに訓練で取得できる範囲のことであり、他国の戦闘機の電話運用でも同様なことである。

送信機の正面

各問題点への検討について
①日本の航空無線機、とくに小型単座機用のそれは、感度がきわめて悪いのが定評(?)で、96式空1号は実際にはほとんど役に立たず、無用の長物だった。
原因分析
96式空1号無線電話機の受信機については、設計通りの製造ができていれば、受信性能に問題はなく、感度不足などという評価はありえない。
ただし、送信機については、送信菅UY-503を使用しているのにもかかわらず、少しパワー不足であるため、編隊内通信では遠距離通信では少し困難な場合も想定される。
96式空1号無線電話機の設置個所は、コックピットの右側面の狭隘箇所のため、上部は壁面に沿って湾曲し、奥行も15cm程度しかない筐体により製造する制限がある。
また、送受信の切換スイッチは、送信機の正面左下にある。
昭和15年ということもあり、パイロットは遠隔装置により送受信の切換を可能として、無線電話機本体はパイロット背後に設置することができなかったために、このような制限された筐体による設計になったことが大きな原因である。
パイロットは無線機運用上で最低限の調整で運用されるように配慮されており、一見すると、このままでの通信運用には問題がないように思われる。
しかしながら、無線機の調整や保守運用が戦闘機航空隊の整備担当には通信機の専門整備が可能だったのか、それとも航空隊の電信員が対応したのかよくわからない。
ただし、パイロットも当然モールス通信などの通信訓練を受講しているので電信員並みの無線技術があってもおかしくないのだが実態どうだったのだろうか。
民間メーカーの工場出荷の段階では無線機の運用周波数は決定できていないので、戦闘機部隊の運用先で周波数の決定と必要な水晶発振子は、海軍からの配給となるはずだ。
このため、水晶発振子を装着した時点で受信機と送信機で使用周波数に合致させて同調回路の調整が必須となる。
艦船や多座の航空機ではあれば、通信士がその役割を果たすはずであり、当然通信学校での厳しい技術・運用教育課程を通過しているはずである。
果たして、戦闘機航空隊の整備兵・電信員やパイロットへ無線通信の教育は実施されていたのだろうか。
内地ならともかく、外地での戦闘機の無線通信機器の保守運用はどのような実態だったのだろうか。
航空機自体のメインテナンスの保守要員は、育成していて十分な配置がなされていても、無線機となると通信士がいないとメインテナンスできないのではないだろう。
96式空1号無線電話機でも周波数変更による無線機の調整となると最低でも簡単な信号発生器やテスターなどの測定機が必要となるが配備されていたのだろうか。
96式以降の1式空3号隊内無線電話機や3式空1号無線電話機など水晶発振子を使用する無線機には、受信周波数を較正する専用の較正器が付属しているが、96式空1号無線電話機ではそのような付属機器が提供されていない可能性が高い。
このため、新品の動作良好な無線機が、単に調整されていないためだけで雑音しか受信できないポンコツ無線機と誤解される結果を生じることになる。
このように本機のように水晶制御の受信機は事前に要調整する必要があるが、水晶制御方式を採用していない一般的な受信機(96式空2号無線電信機など)では調整しなくても受信できるので、このへんの理屈が判らないパイロットが96式空1号無線電話機は受信できない欠陥品と思い込んだふしがあるようだ。
また、無線機を運用すれば、真空管もエミ減したり、ヒーターの断線のために交換する必要があるがこのようなメインテナンス体制が整備されていたのだろうか。
このような体制がとれていないと、単に無線機が動作しない事態になれば、戦闘機のパイロットからみると使い物にならない、いらない、撤去せよとの行動につながることになる。
較正器の事例

②零戦も、ソロモン戦域の基地航空隊所属の多くが、無線機を取外してしまった
これについては、海軍通信作戦史の第4節ソロモン方面作戦の通信の指摘が真実ではないだろうか。
ガダルカナル島方面での抜粋
(ト)戦闘機の無線通信は当方面の作戦には殆ど使用されなかった。
敵の空襲激烈化するに及び戦闘機の地上指揮を強調されたが電話機に対する不安と戦闘機の性能伯仲し性能の極小なる優勢も空戦に影響する処大なるを飛行隊指揮官主張し相当の論議を致されたが整備力小なる為実際に使用の状況に立至らざる処あり、取止めとなり、戦闘指導上大なる不便を敢えて忍ばざるを得なかった。
当方面に作戦する戦闘機は基地の関係上進出距離500浬と言う如き不利なる戦闘をなしたのであらゆる犠牲を忍び航続距離の延伸を重視したが為又止むを得ざる状況と言わざるを得ぬ。
原因分析
戦闘機は基地の関係上進出距離500浬(南太平洋でラバウルとガダルカナル島の距離は片道約1040km)とれば、本機の諸元のとおり通信距離約50浬のため、戦闘機と地上指揮間の無線通信連絡は不可能である。
無線機は20kg程度のものであるが、戦域で滞空時間を許す限り残すためには搭載重量の軽減のための無線機の取外しと機体の空気抵抗を減らすため空中線支持棒などの切断は必要事項だったのだろう。
勿論、パイロットの無線電話機への不信も多少影響したのは事実であろう。


③この感度不良の原因は、真空管の不良とアースの不完全さに起因していたのだ。
原因分析
アースの問題のあるのであれば、他の航空機搭載用無線機である96式空2から空4号無線機の動作に問題がないことと矛盾する。
艤装の問題でいえば、機体各部のボンディングの例が多く挙げられているが、ボンディング対策は機体の電蝕対策であり、本来は受信機の雑音対策には該当しないのではないか。(ただし、この方面の専門家ではないので的外れの回答かもしれませんが・・)
したがって、艤装に関するアースの不完全による感度不良についての影響度は低いように思われる。
ただし、発動機点火燈のシールディング対策がなければ、雑音発生の原因で受信機に重大な影響がでることは事実である。
また、艤装の問題が発生するのは、戦闘機を中心に大量生産が行われるとともに徴兵のために工場の熟練作業員までもが大量動員の対象になった昭和18年末期からのことではないだろうか。
なお、戦後になってから、第二復員局残務処理部史実班から「海軍通信作戦史」昭和24年3月 発行の航空機無線兵器諸問題の項を下記のurlに掲載しているので参考にしてほしい。
航空機無線兵器諸問題
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2020/04/12/092031

 


➃96式空1号無線電話機関連での本指摘以外に考えられること
96式空1号無線電話機の設置個所は、コックピットの右側面の狭隘箇所のため、上部は壁面に沿って湾曲し、奥行も15cm程度しかない筐体による製造の制限がある。
原因分析
受信機については、いわゆる標準的な高1中1の5球のスーパーヘテロダイン方式であり、奥行も狭いながらも、非常にコンパクな筐体に全ての部品がきれいに配置されている。
さすがに沖電気さんのみごとな仕事の無線機です。
問題は送信機にあるようです。
原因は筐体の制約のため、10Wクラスの小型送信菅UY-503が2本だけで構成されている。
昭和時代のアマチュア無線技師であれば、10Wクラスの無線電話機を2本のST管の真空管で製作せよといっても、まず無理ですとの回答をするしかありません。

それを昭和15年当時、沖電気さんはこの要求仕様を満たす送信機を無理やり製作したということである。
しかも、変調には陽極変調を採用した本格的な音声用(AM)送信機なのである。
しかし、これはやはり相当な無理な設計といわざるを得ないだろう。
たとえば、発振と電力増幅をUY-503の1球にすれば、発振入力不足による電力増幅不良や全体の発振の安定性不良、変調部も陽極変調であるが、入力はカーボンマイクの高出力といっても、安定的な入力レベルには程遠い。
しかも、カーボン・マイクではエンジン音などの騒音の軽減対策が難しく、本来の咽喉マイクなどの採用のためには最低でも低周波増幅用の真空管が1本追加する必要となる。
これらを総合的な判断すると、送信機の出力、安定度、雑音対策などで運用上大きな問題が発生してもおかしくないといえよう。


⑤3式空1号になって、真空管の出来は改良されたものの、アースの不完全さは直らなかった。
なお、海軍通信作戦史の航空機無線兵器諸問題の項にも同様な記述があるので引用する。
p118 (ホ)兵器関係の諸問題
1.戦闘機電話の能力向上
3式空1号が出て能力も向上し取扱も容易となったが、此の整備に力を注がず放置し、特に電磁遮蔽に意を用いない為に通達不良の部隊が大部分で、無線に就ては他機種よりも一段遅れた状態で終始した。
3式空1号無線電話機の概要は下記のurlに掲載している。
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2019/07/20/084146

原因分析
電磁遮蔽が発動機点火燈のシールディング対策のことを意味するのであれば、無線機自体ではなく、航空機の艤装の問題となる。
3式空1号無線電話機については、日本無線が製造する真空管FM-2A05Aの歩留まりが改善しないため、大戦末期にはソラに変更されるに至ったように生産での不手際があった。
3式空1号無線電話機では、管制器が導入されたため、無線機本体はパイロット席の後部の空きスペースに配置されている。

 
管制器

 
管制器はコックピットの右側に配置して、送受信の切換や音量調整が可能となり、微弱な信号で音声通信が困難な場合には、管制器の下部に附属している電鍵によりモールス通信も可能である。
技術的には、大変優れた設計思想であるが、大戦末期の生産であることから部品の不良品、製造の不良などで、特に使用する受信管「FM2A05A」の製造に問題が多かった。
更に、海軍通信作戦史で指摘しているように、3式空1号が出て能力も向上し取扱も容易となったが、此の整備に力を注がず放置したのが最大の原因のようだ。
他の機種では、海軍の戦闘機以外の2座や3座などの航空機やそれ以上の大型の航空機用の無線機であることから、電信員が必ず乗務しており、問題があれば自己解決できたということだろう。
やはり、戦闘機航空隊の運営組織自体でメインテナンスをやらせるのは無理があったということだろう。


<追記>R04.04.21
何故、96式空1号無線電話機は評判が悪かったのか、現代の視点で考えるやはり理解できない。
零戦・隼なんでも来い100問100答(出所資料不明)
質問22
零戦の通信機は、96式空1号無線電話機1組を搭載していたが、能力は非常に低く、空中で単機相互の交信は、ほとんど不可能であった。基地からの指令は、高度3,000メートルで約320kmの地点まで受信可能であった。
戦後の零戦の資料では、一般的な上記の内容が流布されており、誰もが納得しているようだ。
これでは、96式空1号無線電話機は、能力が非常に低くにもかかわらず、約320kmの地点まで受信可能だが、近距離の友軍機との交信はできない不思議な無線機ということなのだろうか。
勿論、近距離の通信は電話(A3)であり、遠距離受信は電信(A1)であるのだろう。
したがって、96式空1号無線電話機の電話送信機に問題があるかもしれないが、仕様から出力7W程度ではあるが陽極変調したA3電波で近接の友軍機との相互通信ができないことは理解できない。
それでも通信できないのであれば、カーボンマイクに発動機からの騒音などの混入などが考えられるが、それでは他国である米・英・独の戦闘機用電話無線機で利用できることからこの問題も除去できる。
ただし、後継機の3式空1号無線電話機では、カーボン・マイクから咽喉式マイクに換装しているが、よほど声高い人の声でないと聞き取れにくく、実戦ではあまり使用されなかったとの記録がある。

ここからは、現代的視点を排除し、戦時の時点から再度96式空1号無線電話機の通用を考察するこことした。
海軍通信作戦史から戦闘機関連の通信関係文書を抽出する。
ハワイ作戦の通信(p53)
戦闘機の通話は電話通信を原則とするが、制空隊として攻撃隊と共同する為約200浬進出作戦する為電話の通信は通達不能であるので止むを得ず電信によることとし訓練を重ね略語通信の様式を確立した。一様に全機の電信による交信を訓練練成したため電信機の取扱兵器の整備等の関係上全機電信を採用し上空直衛指揮も電信に依ることとした。

決号作戦(本土における防衛作戦の呼称)の準備(p89)
無線電話通信を全面的に採用之が利用に努む。

本土防空作戦の通信(P113)
防空戦闘機の地上指揮通信系
少数なる防空戦闘機の機動戦に応ずる為、情報放送通信系を新設、各地域毎に情報中枢より防空戦闘に無必要なる情報を放送し、該地域に行動する戦闘機は之を傍受行動す。

飛行機隊の通信(P114)
搭乗電信員の技量は其消耗累加するに従い逐次低下するに至り。結局航空通信組織は技量に応じ簡略化して行った。特に航空通信能力を著しく低下させた他の原因には発動機関係よりの雑音であり、之が消去対策は研究し力策確立し居りたるに拘わらず、航空機の大量生産が行わるるに至って全然顧みられざるに至り、技量低下と相俟て急激に通信能力を低下せしめた。

兵器関係の諸問題(p118)
戦闘機電話の能力向上
戦闘機用電話は空戦並びに邀撃戦を行う上に是非共必要なものであるにも拘わらず、余り良く通達しないとの理由で使用しない部隊が次第に増加し、元来戦闘機搭乗員は無線に対する観念に乏しく、兵器の不完全と云う点も影響したが、之をこなして活用しようと云う熱心な士官は微々たる状況で、之が戦闘機通信の不良の無最大原因であった。
3式空1号が出て能力も向上し取扱も用意となったが、此の整備に力を注がず放置し、特に電磁遮断に意を用いない為に通達不良の部隊が大部分で、無線に就いては他機種よりも一段遅れた状態で終始した。

航空機用隊内電話の電波を統一す(p130)
船団上空直衛機と護衛艦艇の緊密なる協力実施上、護衛総航空隊の隊内電話の電波を護衛艦艇の隊内電波と同一なる41,350kcに統一す

上記の海軍通信作戦史は戦後に元軍令部の通信担当による作文であるので、全て信憑性があるわけではない。
たとえば、兵器関係の諸問題(p118)では、96式空1号無線電話機の電話運用の困難性をもっともらしく語っているが、本来96式空1号無線電話機は自機と航空母艦や地上基地との遠距離通信連絡を意図したもので、文中の「空戦並びに邀撃戦を行う上に是非共必要なもの」は運用対象外であったはずである。
この目的のための無線機は、1式空3号隊内無線電話機と98式空4号隊内無線電話機の2機種しかない。
友軍機同士の相互通信は、隊内無線電話機の呼称で、しかも、使用周波数はVHF(超短波帯)を使用することにより、通信範囲を近距離通信に限定している。
これは、作戦運用中の無線封止のための重要な対策であるが、この隊内無線電話機は戦闘機などの単座には設置されていない。
以上のことから、これらの文面は、戦後の米軍の戦闘機の無線運用を知ってからの作文と思える。

次に、零線の真実(坂井三郎)の戦記から96式空1号無線電話機の運用実態をみると
零線の真実 坂井三郎 1992年4月20日 発行
空中電話
日本海軍戦闘機隊でもっともお粗末と思われる機器は、戦闘機用無線電話機であった。
その主たる原因であるが、これは一に電波の検波・増幅を行う真空管の劣悪さにあったのである。雑音の発生と音質の悪さは何とも最低であった。
レシーバー装着時の違和感、操縦しながらの送受信の切り替え操作の煩雑等々、無線電話は戦闘機パイロットが操縦に専念する心を乱す原因とも考えられる長く続いた。
空戦中の無線電話
空中電話を活用すれば、果たして空戦がうまくいったか?
空中戦の渦の中、自分の身を守ることも精一杯の状態の中でしは三機か四機の同じ小隊(編隊)内でさえむずかしいのに、他の編隊の一機に注意を与えるようなゆとりがあったら、それは名人中の名人だろう。
太平洋戦争中、よく大きな空中戦になると、その空戦の渦の輪から離れて、高度1000メートルぐらいの上空に一機、時には二機の敵機がいることに私は気がついた。はじめの頃、私は卑怯者で「修羅場から逃げている奴」と思っていたので、空戦が終わるとその上空に逃れている敵機の死角、後下方から近づいて一撃で撃墜したことが何度もあった。中島飛行隊長が名づけた「坂井の落穂拾い戦法」がこれである。不意を突かれやられた相手こそ災難であったが、この種の飛行機は戦後知ったことだが敵の空戦指導員、監視通報員であったらしく、空戦圏外の上空から、味方機に対して警告を発していたようだ。
編隊飛行を行っている状態では、原則として、全機が「受」にスイッチを入れて傍受の態勢になり、情報待ちとなって飛び続け、迎撃戦であれば、味方基地指揮所より敵情通知を待ち、敵発見と同時に指揮官がはじめて攻撃の方法を送信機によって全編隊に指示を下すが、その指示が終われば指揮官といえども他機と同じく「受」の情報待ちとならなければならないのである。この場合、もし、編隊の中の不注意な一機が、何かの間違いで「送」にいれたままの状態で飛行しているのを他機が注意をしようとしても、二人以上が同時に「送」に入れることになり、その注意も届かないことになるというもどかしさがあって、なかなか単座戦闘機の無線電話使用はむずかしいものであった。

この事実から日本海軍の戦闘機パイロットの戦法は昔ながらの一騎打ちのみで、このためには個人の空戦技量のみが尊重されたようだ。
米軍のように編隊による集団戦法でその中核が指導機による無線電話指令による攻撃方法であったことを、著者は戦後知ったとのことである。
ようは日本海軍には、このような集団戦法が無かったということであり、空中戦には、無線電話機を使用すること自体存在しなかったということだろう。

今思えば、イフはタブーなれど、96式空1号無線電話機を名称だけ96式空1号隊内無線電話機と呼称し、集団戦法には友軍機同士の無線電話で大変有効であり、非力な送信機は電波封止対策に逆に有効となっただろう。

 

参考文献
本邦軍用無線技術の概観 大西 成美
海軍通信作戦史 昭和24年3月 第二復員局残務処理部史実班(一等警備正 石黒進)
日本帝国陸海軍無線開発史 航空機無線兵器諸問題(資料)
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2020/04/12/092031
横浜旧軍無線通信資料館 HP、掲示板、FB
Type 96-1 Modification-1 Radio Transmitter http://www.kaijuzoo.com/radio/
米国の国立原子力博物館 
零線の真実 坂井三郎 1992年4月20日 発行
中国新聞の記事
比島方面に於て鹵獲せる米軍無線機に就いて
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2020/02/17/205739


終戦時の第二海軍技術廠の組織体制について

2022年04月13日 09時34分08秒 | 03陸海軍電探開発史

終戦時の第二海軍技術廠の組織体制について

第二海軍技術廠については、ほとんど資料が残ってないためどんな組織なのか知られていません。
ただし、第二海軍技術廠のキーワードでネット検索すると「第二海軍技術廠牛尾実験所跡遺跡」などがヒットする。
このことから、海軍の研究組織であることわかる。
更に、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋すると以下のとおりの研究組織であることが整理できる。
「海軍技術研究所」
海軍技術研究所は、航空機、化学兵器、通信機器(電気兵器)、電波兵器等、海軍技術に関する研究開発を行う日本海軍の機関である。
後に航空研究部が分離され、海軍航空技術廠に統合された。
沿革
1923年(大正12年)年3月24日、海軍技術研究所令(勅令第52号)が発布され]、4月1日、海軍造兵廠研究部、海軍艦型試験所、海軍航空機試験所を統合し、海軍艦政本部隷下の機関として東京府東京市京橋区築地に設立される。
1932年(昭和7年)4月1日、航空研究部を廃止。なお、航空研究部は横須賀海軍工廠航空機実験部・同航空発動機実験部と統合され、海軍航空技術廠が開設されている。
1937年(昭和12年)1月、電気研究部の編成が基礎研究、無線送信、無線受信、無線応用、音響兵器、電気応用の6科に改められる。
1940年(昭和15年)4月、音響研究部を新設。これは電気研究部で実施していた音響関係を分離したものである。
1943年7月、電波研究部を新設。
1945年2月、電気研究部、電波研究部、音響研究部を廃止これらの研究部は第二海軍技術廠に移管された。
1945年11月30日、海軍省廃止とともに解体された。

「海軍航空技術廠」
海軍航空技術廠(はじめ“航空廠”のちに空技廠と呼称される)は、航空機研究をしていた海軍技術研究所航空研究部、横須賀海軍工廠航空機実験部・同航空発動機実験部を統合して作られた、日本海軍航空機に関する設計・実験、航空機及びその材料の研究・調査・審査を担当する機関であり、横須賀鎮守府の管轄下。
1932年(昭和7年)3月23日海軍航空廠令(勅令第28号)が発布され、4月1日、海軍の追浜飛行場に隣接して海軍航空廠を設置。
1939年(昭和15年)4月1日、海軍航空技術廠に改組・改称。
1941年に電気部を設置。後に横浜市金沢の支廠に移転。
1945年(昭和20年)2月に本廠は、第一技術廠に改編。一方の支廠は電波本部と統合、技術研究所の一部を加え、電波、音波、音響関係専門の実験機関である第二技術廠に改編。
1945年(昭和20年) 2月15日:本廠が「第一海軍技術廠」に改称。支廠も「第一海軍技術廠支廠」に改称。さらに、支廠のなかの電波、音響部門を独立させ「第二海軍技術廠」を開設。第二海軍技術廠については、本部は支廠の構内にあるが、航空関連の第一技術廠とは異なり、電気、電波、音響に関する別の実験研究機関である。

ようは、第二海軍技術廠とは、終戦末期の1945年(昭和20年)2月15日に海軍技術研究所と海軍航空技術廠の両組織を抜本的に組織改編して艦船、陸上、航空機に関する電気、電波、音響の研究部門と製造部門を一元管理して研究成果を出すことにあった。

第二海軍技術廠の敗戦時の電波兵器研究実験の状況について(GHQ報告資料)については下記のとおりである。
昭和20年8月 研究実験の状況(電波兵器関係)第二海軍工廠
http://minouta17.livedoor.blog/archives/28875362.html


第2海軍技術廠 電波研究部 組織体制(終戦時)について
※注 組織名称は海軍技術研究所で用いられていた「部」「科」「班」に準ずることにした。
電波兵器部 第1科
第1班: マグネトロン管に関する研究
第2班:  "A "装置の研究

電波兵器部 第2科
第1班:電子管に関する研究
第2班:スーパーUHF帯機器の研究 
第3班:部品・材料に関する研究
第4版:アンテナシステム研究(横須賀航空隊と共同研究)

電波兵器部 第3科
第1班:夜間戦闘機用レーダーの研究
第2班:小型哨戒機用レーダーの研究 N-6型、M-13型IFF、H型誘導レーダー
第3班:戦闘機誘導用レーダーの研究、大型機用レーダー(ロッテルダム型)の研究
第4班:「センチメートル波」レーダーの研究
第5班:哨戒機用レーダー(H-6)の研究、FK-3、FK-4
第6班:アンテナの研究

電波兵器部 第4科
第1班:艦船搭載型レーダー探知機、夜間戦闘機搭載レーダー(玉3)、短波方向探知機
第2班:IFFの研究、無線ビーコンの研究、ブラインドランディング
第3班:インパルス波に関する理論的研究、水晶検出器の研究、アンテナの研究

電波兵器部 第5科 
第1班:電気モーター、発電機、モータージェネレーターに関する研究 

通信部 第1科  
第1班:周波数規格に関する研究 
第2班:多チャンネル通信に関する研究
第3班:電波の伝搬に関する研究

通信部 第3科
第1班:無線電話に関する研究
第2班:空中無線電信装置の研究
第3班:送信機に関する研究
第4班:受信装置の研究

通信部 第4科
第1班:有線通信に関する研究 

通信部 第5科
第1班1:ラジコン機器に関する研究

電波兵器部 生産課

電波兵器部 企画課

電波兵器部 検査課 

電波兵器部 第一機械工場

電波兵器部 第二機械工場

Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
NavTechJap 報告書、 "日本の実験用レーダー"、分冊E-12からの抜粋

添付資料(B)
電波兵器部・通信部の活動概要
第二海軍技術研究所
1945年9月
(翻訳)
電波兵器部 第1科
第1班: マグネトロン管に関する研究
昭和19年、センチメートル波のレーダーへの応用が極めて重要であることから、マグネトロン管に関する基礎的問題を研究するため、静岡県島田町に研究室を設置した。 この研究は順調に進み、マグネトロン発振の理論的なメカニズムを明らかにしたが、この戦争には間に合わなかった。

第2班:  "A "装置の研究
センチメートル波の応用として、無線制御による起爆装置の点火方法が研究されていた。 高射砲弾の中に適当なアンテナと起爆装置を設置し、地上から放射される鋭い指向性のセンチ波によるアンテナ電流で砲弾を爆発させることができるのである。 
アンテナ電流で直接爆発を起こすには、送信電力が極めて大きくなければならない。 そこで、強力な発振器の製作に力が注がれた。 10〜20センチメートル波で50キロワットの入力の発振器が完成し、テストに入ったところである。 このため、鋭いビーム波が得られるはずの直径10メートルのパラボラアンテナで、実際の試験を行う段階まで来ていた。

電波兵器部 第2科
第1班:電子管に関する研究
このグループは、レーダーや通信機器によく使われる電子管の研究を行っている。 
4月14日、目黒支所の研究室は焼失し、メーカーと根岸実験場で作業が続けられた。
(1)受信管のチェック:FM2A05、「ソラ」、RE-3など、よく使われる受信管の品質チェックを常時行っていた。 
(2)送信管のチェック  T-304、T-304A、T-321など、一般に使用されている送信管の品質チェックを常時行った。
(3) 新設計真空管の研究  デシメートル波用大出力発振管、二次放射増幅管、速度変調管、デシメートル波用高周波増幅管等の開発研究を行った。

第2班:スーパーUHF帯機器の研究 
日本無線の研究所では、10センチレーダーの受信兼送信の回路設計、スーパーUHF用水晶検出器、変調用放電管とその回路、センチ波レーダー用放射装置などの研究を行った。 

第3班:部品・材料に関する研究
部品・材料の標準化、部品・材料の試験技術開発、高周波材料の開発・試験などの課題が与えられた。

第4版:アンテナシステム研究(横須賀航空隊と共同研究)
航空レーダー・通信機器用高効率アンテナを開発するための研究を行った。

電波兵器部 第3科
第1班:夜間戦闘機用レーダーの研究
夜間戦闘機用に設計された60センチレーダーは、有効距離が不十分であったため、戦場では使用されなかった。 そこで、送信機の出力や受信機の利得を上げるための基礎研究が行われた。 夜間雷撃用爆撃機での飛行試験が行われていた。

第2班:
(1) 小型哨戒機用レーダーの研究 N-6型:小型哨戒機用の1.2mレーダーを数セット製作し、テストした。 飛行試験の結果、飛距離不足であることが判明。 そこで、N-6型レーダーの改良研究が開始された。 改良の課題は、陽極変調方式の採用、送信機の高空特性の向上、受信機の高周波部の空洞共振器の利用による感度の向上、インパルス波の幅を狭くすることによる距離測定精度の向上と目標物の識別能力の向上であった。 八王子市の日本無線の工場が空襲で焼失した際、全数紛失した。
(2) M-13型IFFとM-13型改良型。 海軍で最も多く使用されている13式及び11式K型警戒レーダーと連携し、敵味方を識別する特殊信号を発信する空中装置の研究が競われた。 その性能は十分とは言えないが、この装置は生産され、運用が開始された。
(TH型誘導レーダー:船上に設置した受信機と送信機により、味方船を探知し誘導するためのものである。 陸上機器にはL-3型探照灯制御レーダーを使用し、船上にはM-13型レーダーを使用した。テストでは許容できないほど短い運用距離だったため、この実験は中止された。 

第3班:
(1) 戦闘機誘導用レーダーの研究(HAMA-62)(陸上)。 13式警戒レーダー(波長2m)は既に陸上・航空機(?)装備されているが、有効距離と精度に難があった。 そのため、迎撃戦闘機の誘導に使用することはできなかった。 62式B型はアンテナ系を改良し、11式レーダーの指示器を使用することで、内陸部の敵機発見能力を向上させた。 試用テストは成功した。 このセットは茅ヶ崎で見ることができるが、終戦までに生産設計を完了させることはできなかった。
(2) 高度表示付き戦闘機誘導用レーダーの研究
(HAMA-61)(陸上):海上の敵の位置を測定するためのレーダーである。 実機が製作されたが、度重なる空襲で完成には至らなかった。 テストは茅ヶ崎にあるが、これも空襲で被害を受けた。  
(3) 大型機用レーダー(ロッテルダム型)の研究(かすみ51号)。
このレーダーは飛行機からパノラマスキャンを得るためのもので、220型センチレーダーから発展したものである。 三沢で試作されたが、満足のいく結果は得られなかった。 

第4班:「センチメートル波」レーダーの研究
105-S2型と220型レーダーは海軍の艦艇用で、船舶の探知と位置確認を目的としたものである。 2-2型と105-S2型レーダーは送信用と受信用の2つの電磁ホーンを持つもので、その改良を試みた。 この装置は陸上用だけでなく、大型の艦船への搭載も想定されている。 方位角測定は比較法によって得られる。 220型レーダーは放物面反射鏡(直径1.7m)を持ち、最大法で方位を測定する。 中型船、大型船での使用を想定している。 テストでは次のような結果が得られた。

戦艦から戦艦へ
型式     範囲(Km) △R(meter) △e(degrees)        
105-S2     35     100     0.5      
220      40     100     0.6       
注 連続トラッキング ポイント・バイ・ポイント測定 
△Rはレンジの誤差(メートル)
△eは方位の誤差(度)
しかし、終戦間際には大型艦が少なくなったため、レーダーは設置されなかった。 220型では、連続追尾が可能な「直接指示極大法」の取得に取り組んだが、実験は未完成であった。

第5班:
(1) 哨戒機用レーダー(H-6)の研究:哨戒機用レーダーの中で最も使用頻度が高く(波長2m)、大型機、中型機に搭載されている。 このレーダーの電源を12ボルトから24ボルトに再設計中であった。
(2) 小型機用レーダーの研究(FK-3):2〜3人乗りの飛行機用に開発されたレーダー。 重量、大きさはH-6型よりはるかに小さく、性能はH-6型の約80%である。 本年4月に試作装置が完成し、生産・実用化している。 
(3)大型機用レーダーの研究(FK-4)。 H-6型レーダーの1.5~2倍の飛距離を得るための改良研究を行った。 送信機の出力を上げ、変調器系を改良した。 7月末にはテストが終了し、その性能は十分であることが証明された。 しかし、終戦までに実用化されることはなかった。

第6班:アンテナの研究
(1) 哨戒機用レーダーアンテナ(5式アンテナ)の研究。 このアンテナは前面1個、側面2個の計3個の八木アンテナからなり、H-6型とFK-3型レーダーに使用された。 両レーダーとも同じアンテナを使用し、切り替え時に周波数変化が生じないように設計されている。 
(2) 機体内アンテナの研究:このアンテナは高速機への搭載を想定している。 このアンテナは高速機への搭載を想定したもので、機体内の左右に設置されている。 切り替えを行うことで、比較法によりターゲットの方向を測定することができた。 このアンテナをH-6型レーダーで使用したところ、5式の約8割の性能であった。 このアンテナはちょうど実用化されたところであった。 
(3) 後方用アンテナの研究。 陸上攻撃機の尾翼に取り付けるアンテナで、試験準備中であった。

電波兵器部 第4科
第1班:  
(1) 艦船搭載型レーダー探知機(レーダーインターセプト)の研究。 艦船搭載用レーダー探知機は、戦闘水上艦や潜水艦に搭載して使用される。 周波数帯はセンチグループ(3センチから75センチ)とメーターグループ(0.75メートルから4メートル)の2つに分けられる。 受信範囲は視線距離を大きく超えている。 
(2) 航空機搭載レーダー探知機に関する研究  航空機搭載レーダー探知機は、航空機や戦闘機の偵察用として開発されたものである。 波長は0.5mから3.7mまで。 波長は0.5mから3.7mで、機体の両側に2組のダブルアンテナを設置する。 機械的な自動切り替えにより、バイノーラル方式またはA-N方式で方向が示される。 
(3)夜間戦闘機搭載レーダー(玉3)の研究。 双発の夜間戦闘機用レーダーである。 アンテナ、送信機、受信機は前部ナセルに設置される。 アンテナビームは、磁気結合コイルを回転させることにより電気的に回転させる。 ポーラーインジケータ方式を採用しており、「最大」方式である。 高度5000mでは、中型機に対して最大4.5km、最小可搬距離は600mとなる。 ピーク出力は3キロワットである。 
(4) 短波方向探知機。 この方向探知機は空輸され、前線基地で信号の遮断とホーミングの補助に使用されるものである。 アドコックアンテナは長さ4メートル、スパン4メートルである。 短波受信機は2.5メガから7メガ、4メガから10メガをカバーする。

第2班:
(1)IFFの研究:航空機搭載用IFFは偵察機や戦闘機を想定している。 航空レーダーと組み合わせて使用し、1.5mから6mまでの長さをカバーする。 この帯域内のすべての波長でコード化された信号が送信される。 精度と性能の実験的試験は完了しなかった。 
(2) 無線ビーコンの研究。 航空機、船舶用のビーコンである。 使用波長は1000メートル(50キロワット、1キロワット)、100メートル(80ワット)、50メートル(30ワット)である。 A-Nコース表示で、精度は20以上。 50mビーコンは完全な目視による指示であるが、実験は完了していなかった。 
(3) ブラインドランディングのローレンツシステムに関する研究。 これはドイツの方式を真似たものである。 波長は9メートル、出力は500ワット。

第3班:
(1) インパルス波に関する理論的研究。 インパルス発生器の基礎理論および設計について研究した。 当面の目的は、夜間戦闘機用レーダー「玉3」の最小可搬距離を向上させる回路の開発であった。
(2) 水晶検出器の研究。 センチ波レーダーの受信に適した水晶検出器を開発することが目的であった。 3センチ波から75センチ波までの帯域で均一な受信が望まれた。
ニッケルのコンタクトフィーラーを持つパイライト結晶を開発した。 金属シリコンの結晶の実験が行われていた。 
(3) アンテナの研究  オールウェーブ、オールラウンドの各種アンテナを徹底的に理論的に研究し、いくつかの実用的な設計を開発した。 O型アンテナは4mから7.5mの範囲をカバーする。 球形アンテナは3センチから10センチをカバーする。 
0.5メートルから3.7メートルの全波ラケット型アンテナは、空中レーダー迎撃用として設置が検討されていた。 また、同じ用途で、スリット型回転ビームアンテナも検討されていた。
(4)ゴニオメータアンテナ結合器の研究:夜間戦闘機用レーダー「玉3」に使用されているゴニオメータアンテナ結合器の最大利得を把握することを目的としたものである。
(5) 航空機搭載レーダー探知機用回転ビームアンテナの研究。 全周囲O型アンテナとゴニオメータカプラ付きダブレットアンテナを用いて回転ビーム特性を得るアンテナシステムを開発することが課題であった。 利得2.7dbの満足できるアンテナを開発した。 
(6)全視界型方向探知機の研究。 短い間隔で信号を受信し、同時に複数の信号を受信する方向探知機を開発することを目的とした。

電波兵器部 第5科 
第1班:電気モーター、発電機、モータージェネレーターに関する研究 
航空機搭載レーダーや通信機器、電気機器などの電源は非常に精密である。 モータの性能は、機器全体の効率に大きく影響する。 そこで、詳細な研究・試験が開始された。 
試験対象となったのは、次のような装置である。 
(1)FK-3レーダー用250ボルトアンペア電動発電機:この機械の定格は、直流入力電圧13.5ボルト、単相交流電圧110ボルト、毎秒400サイクルである。
(2) 無線高度計用定速モーター。 この特殊なモータに要求される仕様は、入力電圧20の変化に対する速度変動が1%以下、負荷時トルク変動が50c/s以下であること。 また、ブラシ接点、スプリング、コミュテータの磨耗に対する対策も検討されていた。 
(3) 51型レーダー用1.5キロボルトアンペア電動発電機:直流入力27ボルト、三相110ボルト、400サイクル/秒の交流電流を発生させるもの。 このセットの自動電圧調整器は研究中であった。 
(4) FPレーダー用25ワット発電機。 直流入力電圧27ボルト、直流出力250ボルト、0.1アンペア。 この機械から発生するノイズを除去する方法を研究した。

通信部 第1科  
第1班:周波数規格に関する研究 
第2班:多チャンネル通信に関する研究
第3班:電波の伝搬に関する研究

通信部 第3科
第1班:無線電話に関する研究
第2班:空中無線電信装置の研究
第3班:送信機に関する研究
第4班:受信装置の研究

通信部 第4科
第1班:有線通信に関する研究 

通信部 第5科
第1班1:ラジコン機器に関する研究

電波兵器部 生産課
概要
レーダーと通信の試作品をすべて生産するのが生産セクションの仕事である。 そのため、多くのメーカーと密接な連絡を取り合っている。 
この課の事務所が敵軍の攻撃により焼失したため、記録、書類等すべて焼失した。 いくつかのメーカーも同様な被害を受けた。
1945年8月初めには、次のような装置が生産されていた。 
装置名             メーカー名
レーダー22型C         ニチク(日蓄工業株式会社?)、安立、日立
22型Cレーダー用受信機     日本無線
3-A型レーダー探知機      七欧無線
3-B型レーダー探知機      住友通信、七欧無線、アンリツ
5型レーダー探知機用表示器   七欧無線
放射パターン測定器       沖
方向探知機(全波)       日本無線
携帯型方向探知機 97型     安立
方向探知機3型         富士通信機
方向探知機(中波)       日本無線

電波兵器部 企画課 
概要
企画課は、企画グループと設計グループの2つのグループから構成されている。 企画グループには他の課の課長も所属し、研究・実験のマップを作成する。 第2班は、実験室に必要なすべての装置の設計を行う。 しかし、実験者がメーカーから直接購入する場合もあるので、細かい設計は必要ない。 
設計部の図書室には、約6000枚のシートと30冊の教本がある。

電波兵器部 検査課 
概要:
生産課の管理のもとに生産されているすべてのレーダーおよび通信機器を検査することを任務とする。 また、生産工程に合わせた設計変更もこのセクションの権限である。 仕事はほとんど製造工場で行われた。 
事務所は東京支所と金沢[釜利谷]本部の2カ所にある。 東京支所は艦船搭載機器と陸上機器を担当し、金沢[釜利谷]事務所は航空機搭載機器を担当する。 
検査に合格した航空機搭載機器は軍需局へ、艦載機・陸上機は当部門の製造課へ納品される。
原則として在庫を持たないため、手元にあるのは以下の機器のみである。 航空機無線電信装置96-3型、96-4型、19-3型、98-4型、航空機レーダー3-6型、周波数計99-1型、超高周波96型、96-1型、レーダー周波数計1型など。

電波兵器部 第一機械工場
概要
研究所での実験に必要な各種装置の製作が主な仕事である。 また、海軍航空本部からの依頼により、簡易レーダー、通信機器等の製作も行っている。
地下工場 
地下工場では、次のような作業を行っていた。
(1)  簡易型真空管試験機
(2 ) 電話機用変調器の増設
(3)  H-6型レーダーの24V電源への再構築
(4)  H-6型レーダー用補助表示器
(5)  電池電極の金型

電波兵器部 第二機械工場
概要
第一機械工場と同様、東京支所の研究所で使用する実験装置や器具の一部をここで製作する。 しかし、設備が不十分であり、大量に製作することはできない。
最近、米軍爆撃機の来襲があり、機器類の保管に適当な場所を探していた。


添付資料(A)
尋問した日本の関係者 
記録
I.U. - 帝国大学
E.E.S. - 電気工学部門
C.E.S.-化学工学部門
S.S. - サイエンスセクション

氏名       学校名・卒業年       専門分野 
名和武技術中将 東京大学工学部電気工学科1917年卒 東京大学工学部化学科1919-1923年卒  レーダー及び通信部長
高原大佐 海軍兵学校1919年卒 東京大学工学部電気工学科1932年卒 第四課長(迎撃レーダー、電波ビーコン、方向探知機)。
矢島技術大佐  東北大学工学部電気工学科1924年卒  名和武氏の秘書官及び生産課長
有坂磐雄技大佐 海軍兵学校1923年卒 東北大学工学部電気工学科1934年卒 無線通信部第3課長(無線機器担当)
兵頭技術中佐 東京大学工学部化学科1936年卒 高周波材料・部品研究員 
桂井誠之助技術中佐 東京大学工学部電気工学科1936年卒 陸上・航空機用レーダー(51、61、63型)研究員
森精三技術中佐 東京大学工学部電気工学科1937年卒 艦船用レーダー(cm波、22型)研究員
辻田技術中佐 京都大学理学部物理学科 航空機用レーダーの研究員(メートル波、FE-3、FH-3、FE-4、E-6)
神谷技術中佐 東北大学工学部電気工学科1936年卒 高周波部品、真空管の研究員
松井中佐 海軍兵学校1934年卒 大阪大学理学部物理学科1942年卒 横須賀支所研究主任(艦船搭載型及び陸上型無線・レーダーの設置に関する研究)
杉山技術中佐 早稲田大学理工学部電気工学科1940年卒 横須賀支所高周波ケーブルの研究員
緒方技術中佐 東北大学工学部電気工学科1941年卒 陸上レーダー(cm波、61型)研究員
河津技術中佐 東京大学工学部電気工学科1941年卒  陸上レーダー研究員(メートル波、14、62型)
山根技術中佐 京都大学工学部電気工学科1942年卒 航空レーダーとその対策について研究員
森中佐 海軍兵学校1940年卒  レーダー訓練学校教官
高柳健次郎博士 蔵前工業技術専門学校1921 年卒  名和氏顧問、第三課長(レーダー)
新川浩技師  早稲田大学理工学部電気工学科1933 年卒  レーダー研究員(メートル波、L-2、L-3、S-3、S-24、N-6、M-13型 など)
町山技師 東京大学大学理学部物理学科卒 cm波用高周波回路の研究員
鈴木技師  東京物理学校 1929年卒  航空機搭載レーダー(メートル波N-6)の研究員
上南技師 米国ワシントン大学1934年卒 航空機搭載レーダーの妨害及び方向探知機の研究員
木村氏 早稲田大学 1930年卒 高原氏の顧問(国立電気技術研究所の高周波計測器の研究員)
西山氏 米国ユタ大学1932年卒 通訳


参考資料
海軍技術研究所・電波研究部の組織(昭和19年2月14日) 

 

参考文献
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946 E-12
日本海軍エレクトロニクス秘史 田丸直吉 原書房