凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

小児うつ

2013-07-04 07:00:15 | 人生
 「小児うつ」などということばが登場したのはそんなに古い話ではないから、私の子どもの頃に、当然、そのような概念があった筈はない。が、症状はあったのだろう。「小児うつ」という言葉を知ったとき、「あ、自分はこれだった」と思った。暗い、元気のない、子どもだった。11歳の時に、初めて死にたいと思った。死にたい、というよりも、「誰か私を殺して!」と泣き叫びながら、ノートに書き殴った。自分を身もだえするほど憎んでいた。それなのに、それは自分自身なのだった。自分で自分の身体を痛めつけたり、死に至らしめるのは、まことに残酷な所業だ。通常は、自衛本能によって、あらゆる困難から我が身を守ろうとするのが自然な姿であるだろうに、その我が身を自分で痛めつける。それほどに、自衛本能を上回るほどに、自己への絶望、憎悪、そのようなものが増大する。

 それを境に、どんどん暗くなっていったように思う。笑わなくなり、無気力になり、絶望していたが、その私を親は嫌った。父は、さもいやなものを見るような表情で、「おまえはいんけつや!」と罵り続けた。母は私に無関心で、気に入らない時だけ、私に焦点を合わせて叱りつけた。

 ほんとうに、なぜ、死ななかったのだろうと思う。私の中に、どこか健全な部分があったのだろう。コミックを読んで楽しみ、落語や漫才を笑う健全さが残っていた。

 親たちも、自分のナルシシズムが満たされる状況であると機嫌が良くて、あたたかい家庭の雰囲気を醸し出すので、そうした気まぐれも私を救っていたのかもしれない。
 何よりも、もの言わぬ赤ん坊の頃、無条件にかわいがられたので、タフになる健全さのベースが培われたのかもしれない。

 ただただ未成熟だった親に育てられて翻弄され、心をたくさん病ませたが、なんとかその親も乗り越えて、今となれば、まあ普通に社会生活を送っている。良し、としよう、か。

 男ゆえ繊細なマナーを仕込まれなかった父は、娘に対して限りなく粗野で野蛮だった。社会的訓練が欠如した母は精神的に鍛えられず、娘に対して自身が子どものままだった。私が子ども時代、言い争いの挙げ句に、「親を理解してあたたかく見守ろうとしない子ども」として、私を責め続ける父母に対して、「わたし、子どもやでぇ~」と、情けない思いで訴えたことを昨日のことのように覚えている。あなたたちは子どもだった時代があるから経験しているはずだが、私はまだ大人になったことも親になったこともない未経験なのだから、経験をたどって理解できるのはそちらの方ではないのか、と、6年生くらいだったか中学生になっていたか忘れたが、まことに情けない思いで抗議したのを覚えている。親の言い分は、「親」と「子」を入れ替えないと成り立たないような、呆れた内容であったのだが、もうさすがに詳細は忘れた。ただ今思い返すと、ほんとうに幼子のようにもののわかっていない人たちが、子どもを育てていたのだと空恐ろしく思う。私が無事だったのは、家庭内ではだだっ子のように君臨していた人たちであるが、世間体は命がけで守る人たちでもあるからだった。それは、あの頃の文化的基盤だったのだろう。

 「世間に顔向けできないようなことはしてはいけない」「人さまに迷惑をかけるようになってはいけない」「世間に恥をさらしてはいけない」と外聞を保つことを何よりも優先する人たちだったから、外向きには賢そうにふるまえた。その分、一歩家に入れば、弛緩すること甚だしく、父は赤ちゃんのように、母はわがままな娘のようになった。その中で育ったのだ。
 鬱症状を呈していたが、鬱病になることはなく、激しく彼らに抵抗しながら、暗い人生を送りながら、なんとか本を読んだり、別世界に心を遊ばせながら、生き延びた。

 まあ、よく生きた方かもしれない。そろそろ総括?かな。

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