凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

この年にして、つらいこと

2013-06-12 22:16:37 | 人生
 いや、この年だから辛いのだ。もう、取り返しがつかない、もうやり直しがきかないから、辛くて、無念だ。そしてその思いがストレスになる。

 中学生の時だった。そろそろ進路を考えるのが他人事ではない時期にきた。やっと私も、大きくなったら、自分はどうなりたいのかを考えた。物書きになりたい、というような夢はあったが、夢は夢、現実とは違うとも思っていた。私の中学生の頃は、中学を卒業して働く人も、クラスに何人かはいた。だから、余計に現実感がわいたのだろうと思う。
 そして、思った。ほとんど啓示のようだった。私は、結婚することにも、子どもを生んで母のように生きることにも、あまりにも自分が遠いと思った。否、自分には関係がないと思った。そのような人生に、何の興味も希望も抱かなかった。何になりたいかは明瞭にならなかったが、はっきりと、結婚しない、子どもを生まない、と思った。
 そして、それを母に伝えた。「わたし、大人になっても、結婚したり、子どもを生んだりしない」と。次の瞬間、母は般若のような顔になって怒鳴りつけた。「親に孫の顔を見せない気か!」と。それはすごい剣幕だった。そのあまりの剣幕に、私は恐れおののき、私の思いはかなわないことなのだ、結婚して子どもを生まないといけないのだ、と悟った。

 19才、大学の1年生で結婚した。だって、どっちみち結婚しないといけないなら、年上の得体の知れないサラリーマンなんかより、同じ大学の友だちの方が、まだ何となく今後の見当がつくではないか。二人でどんな会話をするとか、そんなことも見当もつかない相手と、父が言うように見合いなどさせられてはたまらない、という感じだった。そもそも大学に入る前に、もう、絶望していた。人生の先に何も見えなかった。私の人生には先がなかった。だから、ノイローゼ様になってしまっている私を、父はとにかく大学に行かせる気になったのだが、どちらにしても、私はもうその時「終わって」いたのだ。

 私に結婚したいと言ってきた人は、早すぎる結婚を親に言いだしかねて、「先に一緒に暮らそう」と言った。「同棲時代」などの漫画や映画が流行った時代だ。が、私は断った。同棲するには、親の反対を押し切って一緒に暮らすだけの情熱が要る。そんなものは私にはなかった。「結婚」は遠からずしないといけない、親も納得する、だからするなら「結婚」しかなかった。私に同棲の意志はないことを知って、彼は親と掛け合い、結局、早い結婚が実現した。
 そして子どもを二人産んだ。これでもう文句はあるまい、という親に向けた気持ちがあった。そう、そこまでは、親のための人生であって、私の人生ではなかった。
 結婚して子どもが生まれてから、ふと夜中などに目覚めると、いつも自分のその時の状況を思い出す必要があった。
 ここはどこだろう? と天井を見つめて思った。そして、急いでそれまでの人生を頭の中で辿り直すのだ。そうだった、私は結婚して、子どもを生んで、今、ここに夫と子どもと住んでいるのだ、と、状況確認を必要とした。そうでないと、自分がどこにいるのか、何をしているのか、つかめなくなっていたのだ。

 後年、家を出た。一緒に暮らしたいと言ってくれる女性とマンションを借りた。その時を境に、状況確認が必要でなくなった。いつも、私は自分の意志で生き、自分の選択で人生を決めていた。「自分の人生を生きている」と思えるようになった。

 自分の人生を諦めた私が、自分の人生を取り戻したのだと思う。そして、今も取り戻し中だ。そうして、やっとこれまでのストレスフルな人生に気づいてきた。私は、結婚したくなかった。男の人とセックスしたいと思っていなかった。「女」として扱われることに抵抗を感じ続けていた。でも、いやだと思う余地はなかった。それは宿命のようについてきた。
 子どもを生むのも、自分のために生んだのではなく、親のために生んだ。親に、もう文句はないだろう、と言いたいような気持ちで二人目を産んだ。

 もちろん、結婚した相手の人に情は生まれた。いい人だし、私の育った文化とは全く異質の文化を私に教えてくれたし、何よりもこの私をほんとうに好んでくれた。私は彼の好きなタイプだったのだ。だから、私は彼に感謝している。死んでしまったので、余計に辛い。かわいそうでならない。私のセクシュアリティが幸いしたのかどうか、彼は私が愛したたった一人の男になった。そうたった一人の男だ。だから、許してね、といつも思う。

 でも、だから、ほんとうは結婚したくなかったのだ。私はヘテロセクシュアルとは言えないセクシュアリティの者だった。ごめんね、でもあなたのことは愛したのだから。
 
 でも、くやしい。彼を不幸にすることなく、私は私の生きたい人生を生きたかった。でも、自分を殺して、自分とは違う人生を生きたのだ。
 そのくやしさ、無念さ、辛さが、今激しく私を揺さぶる。私は怒りに駆られる。

 だからヘテロ女の無神経さに接すると、猛烈に頭に来るのだ。これ以上、私にかまうな、と歯を剥いて吐き捨てたくなるのだ。

 

 

3 コメント

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Unknown (Unknown)
2013-06-16 11:10:32
そうだったんだ、、、、、
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Unknown (虎之助)
2013-06-16 17:43:36
 いや、セクシュアリティの問題だけではなく、私はずっと、何につけても違和感だらけなので、生きにくいのです。ただ、わかりにくいのは、何とか適応しようとして、それなりに適応しているように見えたので、自分自身、ストレスに気づくのが遅かったと思います。
 違和感がもっと表に出ている人は、苦しいと思うけれど、それに対して「対応」が考えられます。
 つまり、明らかに病気の子どもは病気として扱われ看病することになりますが、表に症状が出ていない子どもは過酷に扱われたりする、ということです。
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泣けます(泣) (M支援)
2013-07-13 20:55:12
なんど読んでも、泣けます(泣)
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