凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

人生に疲れてきた?

2011-06-30 06:27:39 | 人生
 なにか、最近、とても疲れを感じる。からだの疲れなのかよくわからないが、疲れているのを感じる。

 生きている空しさのようなもの、、、。

 83歳の母が、時々「長生きし過ぎたのかもしれない」と言うことがある。「何か、しんどい」のだそうだ。同じかどうかわからないが、私もそう感じることがある。何か、余分な人生を生きているような、張り合いのない、けだるいような感じだ。

 やらないといけないことは、まだたくさんあるのに、身も心もリズムが合わない。青息吐息でついて行く感じだ。

 最近入ったSNSは、似たような年齢の人が多いが、少しだけその人達と会ったが、そのようなアンニュイな気分をかかえているようには見えなかった。結構、テンションも高めで元気そうだった。
 私の境遇のせいなのか、性格のせいなのか、、、。まぁ、どっちも、という気がする。今まで、仕事が忙しかったので、アンニュイになっているヒマはなかった。家の中は片づかなくても、忙しさのせいにして、やり過ごしていた。今は、なんとなく時間があるから、家の中がきちんとしていないことへの不快感があるのに、やはりしないといけないことをいくつもかかえているので、どっちつかずの中途半端な気分。そういうものの気分的だるさもあるし、仕事を続けていても、若い時のように専任になるという一縷の希望もなくなったし、今はどこにも所属していないので、研究論文を誰に見て貰うのか、よくわからない、ということもある。発表できる媒体はあるが、イマイチ、最新の情報を持っていないのではないか、という不安も拭えない。
 学会にもっと出て行けばいいのかもしれないが、誰に会うかわからない、という怖さが今でもあって、腰が重い。
 なんか、世捨て人、否、世捨てられ人という感じだ。

 以前、私の前任者が訴訟を起こし勝訴したのだが、その裁判の私の証言をめぐって、前任者を支援する団体が私をネット上で誹謗中傷する事件があった。後任である私は、原告側の前任者にも有利な証言をしたが、だからと言って、全部原告の言い分通りとは思わなかったので、被告側にも有利な部分もあったようだ。その証言について、支援団体が、私が被告の団体と結びついていて嘘の証言をしたかのような偽りの情報をネットに流した。そのことをめぐって、私が抗議文を出したこともあり、内部分裂が起こった。たぶん、内部は大変だったのだろうが、そんなことは私の知ったことではない。特に一審では原告が敗訴しているので、その敗訴の空気が濃い時期に、私への憎しみが増したのかもしれないが、一審での訴えでは、誰が考えても勝てる裁判ではなかった。私のまわりの第三者も、「あれでは勝てないでしょ」と言っていた。原告の言い分は正当性に乏しく、主観的な主張で一貫していたからだ。だから、私の証言のせいではない。第一、私は原告に有利な証言もしているのだ。しかし、何も考えない、感情で動く支援団体の一部の人が、ネット上の発言の意味も考えず、自分たちの感情を垂れ流した。その感情の垂れ流しに呆れて、支援団体を離れた人たちもたくさんいるようだが、それもこれも、自分たちに逆らう人間のせいだ、と考える思考の仕方をする人たちだった。

 結局、二審で控訴人勝訴、最高裁が被告側の上告棄却というかたちで終わった。二審の訴えはなかなかうまかった。弁護団が頭が良かったのだろう。一審では原告本人の自己過信に充ち満ちたアホみたいな訴状だったが、二審は、研究者をうまく使って、そうかそんな手があったか、と思えるような新しい局面を切りひらいた。この成果は、他のもっとひどい目に遭っている人たちの裁判に適用してほしいような画期的な言い分だ。

 勝訴して勝利集会をする直前に、本人の弁護人だった弁護士の一人から、本人が私に謝罪したいと言っている、だから少人数で会いませんか、という意味合いの手紙が来た。少人数で会って、何をするのか? 謝られて、何と言うのか? 要するに「許してください」「はい、わかりました」という話にするのか? それはちょっと違うぞ、という感じ。

 私は、少人数で会う必要性を感じていないこと、私の名誉は、不特定多数が見ることの出来るネット上で損なわれたのだから、公開の場で謝罪して、私の名誉を回復してくれさえすれば済むはず、という趣旨の返事を返した。

 弁護士が言ってきた内容で一番気になるのは、ネット上の私に対する誹謗中傷をアップロードする作業をしていたのは本人自身であることが明らかになっているのに、支援団体の人が勝手にやったかのように書かれていたことだ。たぶん、本人と弁護士の間では、支援団体の人は困ったものだという話になっているのだろう。支援団体の人たちは、あまりものを考えないから、完全に操られている。しかし、騒ぐとうるさい連中だから、怒らせるわけにいかないので、彼女たちの単純な行動力を利用しながら、一方で真実の情報をあまり知らせないようにしていたのだろう。うまいやり方だ。弁護士も、本人の言い分をそのまま信じていたふしがある。
 嘘をつくのがうまい人は、自分もどうも本気でそう思っているらしい、ということが、この数年の度重なる災難で、気づいたことだ。だから「嘘」ではない。「思い込み」なのだ。これには勝てない。自省する習慣があったり、思考停止しない方が負ける。理屈が通じないのだから、お手上げだ。

 このようなたびたびの事件に巻き込まれてしまったここ数年、これらにほとほと疲れたのかもしれない。その疲れが出てきたのかもしれない。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。