実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

給付利得の返還請求権(5)

2009-09-10 17:03:24 | 債権各論
 前回までの議論に対しては,取消の効果については無効の場合も含めて民法119条以下で規定し,解除の効果については民法545条以下で規定するなど,それぞれ独自に規定を設けており,意識的に別々の効果を規定しているのだから,両社を同じように考えることなどできないという反論もあるだろうし,むしろ,そのような考えの方が当然だったかもしれない。が,よく見ると,一方には規定はあって他方には規定がないという部分(例えば,取消における追認や期間制限などは,解除には規定がない。)はあるが,全体としてそれぞれの規定の内容の多くが必ずしも矛盾していないことに気づく。大変に興味深い点である。唯一,矛盾している点があるとすれば,制限行為能力者の返還義務(現受利益の返還)であろうか。解除の場合の返還義務は原状回復義務なので,この点だけは,矛盾していると言わざるを得ない。が,それ以外は矛盾していないか,あるいは一方にしか規定がないという規定ばかりなのである。
 もし,前回までの議論を前提に,条文が以上のような内容であることを総合的に考えると,取消の効果の規定と,解除の効果の規定を相互乗り入れさせて考えることができるのではないか。つまり,民法120条以下の規定の中で解除の方に規定がなければ,解除の効果としても民法120条以下を類推適用する,あるいは,民法545条以下の規定の中で取消の方に規定がなければ,取消の効果としても解除の規定を類推適用する。という考えがあり得そうな気がするのである。もしこのように考えれば,解除の場合に,追認や期間制限の規定が類推適用でき,取消の場合に原状回復義務を類推適用できる。制限行為能力者の法律行為の取消による返還義務だけは,原状回復義務の特則と考えればよい。
 なお,第三者保護規定については,債務不履行解除には存在し,取消の方にはその種の規定はない。しかし,詐欺取消など(特殊な規定を挙げると,夫婦間契約の取消も含めるとができるか)個別に第三者保護規定を設けている趣旨からすると,第三者保護についてだけは,解除の規定を取消の場合に類推すべきではなく,債務不履行解除の場合と詐欺取消など,その種の規定が存在する場合のみ認め,その他の場合は基本的には認めないと考えるべきであろう。

 以上が,最近の民法の教科書のうち,不当利得の部分を読んだ限りでの私の感想的な見解である。もっと専門的に研究すれば,取消と解除の異同を含め,いろんな議論や文献があるのだろうし,既に議論し尽くされている部分かもしれない。しかし,専門家ではない私にはそれらを研究する時間も能力もない。あくまでも研究家ではない実務家の戯言である。

給付利得の返還請求権(4)

2009-09-08 14:25:36 | 債権各論
 さらにもう少し別の見方をしてみよう。
 法律行為の主体である「人」の行為能力に何か問題があれば(すなわち,制限行為能力の問題であって,言葉は悪いが,行為能力の瑕疵とも言いうると思われる),その人の法律行為を解消する方法は,「取消」である。また,法律行為そのものである「意思表示」に問題があれば(つまり,意思表示の瑕疵である詐欺・強迫の場合である),その法律行為を解消する方法も「取消」である。ところが,法律行為の客体である「物」に何か問題があった場合の規定は,民法総則には何ら規定していない。しかし,「物」に問題がある場合の規定を民法が用意していないわけではない。どこにあるかというと,瑕疵担保責任を規定した民法570条がそれである。つまり,「物」に何か問題がある場合(物の瑕疵の場合である)の法律行為の解消方法は,「解除」なのである。瑕疵ある物に関する法律行為の解消方法を取消としなかったのは,物の瑕疵が問題になるのは契約のみであり,単独行為で物の瑕疵が問題になることは想定し得ないと民法が考えていたからではないか。
 結局,契約関係しか想定し得ない法律関係を解消する場合を「解除」として,単独行為のも想定しうるような法律関係を解消する場合であれば,「取消」としたのが,民法の態度なのではないか。

 さらにいえば,解除や取消は,当該法律関係を有効としうる余地を残しておくための方技術であり,法律関係を有効としうる余地を残す必要がないと考えれば,「無効」という方技術が採用されることとなる。そして,法律行為が取り消され,あるいは契約が解除されれば,結局,当該法律関係は「無効」になるのだから,少なくとも契約関係に限っていえば,取り消された後の処理,解除された後の処理は,無効の場合の処理と同じであってもよさそうである。

 以上の議論は,私の全くの想像なので,正しいかどうかは全く分からない。が,仮に正しいとすると,「解除」と「取消」(さらには「無効」)とで,必ずしも別々の効果を意識して使い分けているわけではないという見方ができそうだ,ということなのである。そうだとすれば,「白紙に戻す」あるいは「元に戻す」というイメージが一致する解除と取消の効果を同じように考えることが可能なのではないかとも思えるのである。そして,その効果の「返還」の部分は,解除の場合のみならず,取消の場合も(さらには無効の場合も)原状回復と考えるべきではないかと思えるのである。

 もう1回つづきます。

給付利得の返還請求権(3)

2009-09-05 11:19:10 | 債権各論
 給付利得の返還請求権が解除の効果と同じではないかと想像した際に,私がふと思ったのは,民法は,いったい解除と取消とをどのように使い分けているのだろうか,ということである。もし,別々の効果を意識して解除と取消を使い分けているとすれば,前回アップしたような議論は成り立ちにくくなる。しかし,よく考えてみると,どうもそうでもなさそうなのである。
 最近は,パソコンが発達したので,条文検索が非常に楽になったのだが,民法典の中で取消という言葉を検索すると,実は契約法の中ではほとんどヒットしない。逆に,解除という言葉を検索すると,ヒットする場所は,ほとんど契約法の中だけである。
 この事実から推測できることは,契約法プロパーの理由から契約関係を解消する場合は「解除」という言葉を使い,それ以外の場合は「取消」という言葉を使っているのではないか,ということである。どういうことかというと,取消の典型例である制限行為能力者の取消,詐欺や強迫による取消を想定すると,これらの表意者の意思表示に基づく法律行為は,契約の場合のほか,単独行為でもありうる。しかし,特に単独行為を解消する言葉としては,「解除」は不釣り合いである。例えば,単独行為である債務免除の意思表示を解消したい場合に,言葉として「解除」ではおかしいであろう。だから,単独行為も想定しうる場面では「取消」という言葉を使い,契約関係しか想定し得ない場合は「解除」という言葉を使っただけなのではないだろうか。
 つまり,解除と取消とは,その目的は同じなのであり,単に場面に応じて言葉を使い分けたにすぎないのではないか,とも思うのである。

 まだまだつづきます。

給付利得の返還請求権(2)

2009-09-02 10:12:33 | 債権各論
 ようやく,給付利得についての続きを。

 まず,給付利得について最近の教科書をざっと読んだ際に直感的に思ったことは,給付利得の返還請求権の実質は,原状回復請求権と理解するとわかりやすいのではないか,ということである。
 私の理解が間違っていたらどうしようもないのだが,不当利得の教科書を通読した限りでの私の理解は,給付利得の返還の場合,双務契約の正常な履行の場合に対価的な牽連性が問題となることの裏返しであって,返還義務にも対価的な牽連性を持たせたいという意識が感じられた。そして,その意識自体は確かに的を得ているような気がしている。
 給付利得の返還が問題となる一般的な場合である,売買契約の意思表示が無効だったり取り消されたりした場合を想定すると,それら無効,取消の効果を直感的に平たい言葉でイメージすれば,「白紙に戻す」あるいはすでに履行済みの場合は「元に戻す」ということであろう。この直感を法律用語的に説明すれば,現存利益の返還というよりは,原状回復請求ということだろうと思われるのである。
 もしそうだとすると,給付利得の返還請求権の内容は,民法703条以下の規定で処理するよりは,解除の効果を規定した民法545条1項本文を類推適用すべきであるように思えたのである。
 解除の原状回復義務は,もともと何らかの契約関係があることを前提に,それを「白紙に戻す」あるいは「元に戻す」ということであろう。給付利得の返還請求権が問題になる事案も,基本的には何らかの契約関係があり,それに無効あるいは取消原因があった場合に,それを「白紙に戻す」あるいは「元に戻す」というイメージだろうと思うのであり,解除の場合と基本的には同じように思われたのである。

選挙と報道

2009-09-01 14:47:43 | 時事
 すでに時期に遅れているかもしれないが,今回の衆議院選挙について一言。
 前回4年前の衆議院選挙は,まさに郵政民営化選挙であった。郵政の民営化に賛成ならば自公,反対ならば野党という構図がはっきりしていた。そして,小泉総理の下で行われた郵政選挙は,自民党の大勝で終わった。
 今回の衆議院選挙の結果は,前回の衆議院選挙とは全く逆の結果であり,民主党の大勝であった。私自身は,政権交代そのものは賛成であるが,やや民主党の勝ちすぎである。4年前の郵政選挙の自民党も勝ちすぎだと思っていたが,これと80度逆である。
 このように,ある選挙ではある一つの政党を大勝させ,次の選挙では別の政党を大勝させる今の日本国民は,非常に偏った見方をすると,節操のなさを感じないではない。

 それはそうと,4年前の選挙が郵政民営化選挙であったならば,今回の選挙は,一般にいわれているように「政権選択選挙」であっただろうか。
 少なくとも,マスコミでは「政権選択選挙」という言葉を用いて今回の選挙報道をしていたことは,間違いないと思われ,実際,そのような側面があったことも間違いはないのかもしれない。そして,民主党は,まさに「政権選択選挙」を全面に出して選挙活動をしていたという認識を持っている。
 しかし,自民党は,「『政権選択選挙』ではなく,『政策選択選挙』だ」といっていたはずである。少なくとも,私はそのように理解している。「自民党か民主党か」ではなく,政策の中身で判断してもらいたいと,麻生総理は述べていたはずである。つまり,「政権選択」が最大の争点だったかどうかは,4年前の郵政民営化選挙ほどはっきりとはしていないと思うのである。
 それにもかかわらず,マスコミは,「政権選択選挙」という言葉に終始したまま,選挙戦が終了してしまった。どういうことかというと,結果として,マスコミは民主党の掲げるキャッチコピーのみに食いついて選挙報道をしていたということにならないだろうか。マスコミは,「政策選択選挙」だといっていた自民党のキャッチコピーを,無視したとまではいわないが,あまり取り上げることをしなかった。私は,そのように認識している。
 その結果,何が起きたかというと,当然無意識的ではあろうが,いつのまにかマスコミは民主党の応援に回ってしまったということにならないだろうか。この点が,4年前の郵政民営化選挙とは決定的に違う部分だと思うのである。

 もちろん,4年前の郵政民営化選挙の際も,そのキャッチコピー自体が自民党を利する表現だったという側面はあったかもしれないが,郵政民営化の是非そのものが,まさに最大の焦点であったことは間違いがない以上,そのキャッチコピーのみが注目されるというのもやむを得ない面があったと思う。
 しかし,今回の選挙を「政権選択選挙」と表現することは,一方的に民主党側の選挙運動に肩入れしてしまった,ということになりかねないと思うのである。
 各放送局が,各政党の政策の中身であるマニュフェストもそれなりに報道していたという事実はあるし,そのことを否定するつもりはない。ただ,枕詞のように「政権選択選挙」という言葉を用いていたことも事実だと思う。この「枕詞」がいつの間にか民主党を利してはいなかったかどうかが大問題なのである。

 法律上,放送事業者は,番組の編成に当たっては政治的に公平であることが要請される(放送法3条の2第1項第2号)。何が公平であるかは,かなり難しい問題であることは百も承知の上でのことだが,私自身は,以上のようなことから,今回の選挙報道に不公平感を感じている。むしろ,どの放送局も「政権選択選挙」という表現をしていた(と思われるが,違うだろうか。)ことが不思議で,政治的に公平であることとは,他局と同じような言葉を用いて報道することではないはずである。
 要するに,各放送局で,もう少し個性のある報道をしてもよいのではないだろうか。その方が,むしろ各局が無意識的に偏った報道をしてしまうことの歯止めになるように思うのだが。