判例評釈の事案では、「ソブリン・サムライ債」の事案で、債券管理会社によるこの訴訟遂行権限を、任意的訴訟担当の法理の適用の有無という形で争われたようであるが、地裁レベルの判例ではこれを認めなかったようである。
その大きな要因は、債券の管理の委託をしたものはあくまでも発行体であり債券所持者ではない点にありそうである。そのため、債券所持者のための訴訟遂行権限を認めることは、利益相反的側面が大きいという点にありそうなのである。
この点は、「サムライ債」の起債の法理を「契約」と捉えることにも遠因がないだろうか。契約だとすると、債券取得者にとって発行体は相手方であり、対立当事者である。その対立当事者による委託契約が利益相反関係にある債券所持者のための訴訟遂行権限を導くことなどできない、という発想につながっていないだろうか。
これを、手形理論のうちの「創造説」のように、債券発行体による債務負担行為と権利移転行為に分けて考えて、債券作成時に発行体自体がその債券の権利を取得するものと考え、債券管理委託契約はその権利者としての立場での契約と捉え、その上で、債券交付行為が権利移転行為であり、債券管理委託契約もこれに付随して債券取得者に移転すると考えることができれば、利益相反関係は理論上発生しない。
このように考えれば、任意的訴訟担当も認めやすくなるのではないかとも思うが、技巧的な考えに過ぎるだろうか。
いずれにしても、個人的には契約により社債管理者と同じような規律と責任で債券管理会社が置かれているのであれば、社債管理者に訴訟遂行権限を認めているのと同様に、任意的訴訟担当を認めてもよさそうな気がするが、実務上、この点については今後の判例の展開を見るしかなさそうである。
その大きな要因は、債券の管理の委託をしたものはあくまでも発行体であり債券所持者ではない点にありそうである。そのため、債券所持者のための訴訟遂行権限を認めることは、利益相反的側面が大きいという点にありそうなのである。
この点は、「サムライ債」の起債の法理を「契約」と捉えることにも遠因がないだろうか。契約だとすると、債券取得者にとって発行体は相手方であり、対立当事者である。その対立当事者による委託契約が利益相反関係にある債券所持者のための訴訟遂行権限を導くことなどできない、という発想につながっていないだろうか。
これを、手形理論のうちの「創造説」のように、債券発行体による債務負担行為と権利移転行為に分けて考えて、債券作成時に発行体自体がその債券の権利を取得するものと考え、債券管理委託契約はその権利者としての立場での契約と捉え、その上で、債券交付行為が権利移転行為であり、債券管理委託契約もこれに付随して債券取得者に移転すると考えることができれば、利益相反関係は理論上発生しない。
このように考えれば、任意的訴訟担当も認めやすくなるのではないかとも思うが、技巧的な考えに過ぎるだろうか。
いずれにしても、個人的には契約により社債管理者と同じような規律と責任で債券管理会社が置かれているのであれば、社債管理者に訴訟遂行権限を認めているのと同様に、任意的訴訟担当を認めてもよさそうな気がするが、実務上、この点については今後の判例の展開を見るしかなさそうである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます