michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護8年。 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

聴きとりづらいことから、心の中では――    〔聞こえ〕

2011-03-05 07:16:49 | Weblog

3月3日は、耳の日でしたね。

その前日だったか、ニュースを見ていたら、ニュージーランドの地震の現場で

警察(?)の記者会見の様子。

その発表をしている人の横で、手話通訳をしているのが映った。

   まぁ!

あの国では、そういうの、ふつうなんでしょうか。

また、他の国ではどうなんでしょう。

 

日本では、よほど大きなイベントや、福祉に理解ある主催者のものでは、手話が付いたりするけれど・・・、

という状況ですよね。

私のような初心者でも、手話があれば、かなり参考になって有り難いです。

 

きのうのNHKで『きらっといきる』を見ました。

こういった、ろうの方をテーマにしたものは時々ありますが、

難聴をテーマにしたドキュメントやドラマ・映画などは、あまりお目にかかれません。

「ろう」とか「盲」「車椅子」などの方が、分かり易いからなのでしょうかね。

(「全然聴こえないのに、こんなに前向きに挑戦している人もいるのに、なんですか、難聴くらい」

というような視線を感じることがよくあります。)

 

でも、、と心の中でつぶやいてしまうんです。

それはそうなんでしょうけど、難聴はそれなりに、支障があったり、心が揺れたりするんだけどね…、って。

 

しゃべるのは普通にしゃべれるので、理解されにくいんです。

そして、全く聴こえないわけじゃないので、状況によって聴こえたり、聴こえなかったり。

コミュニケーション障害。

ほとんど「歯抜け状態」で聞こえて、その「抜けた部分」が、一部だったり、所々だったり、ほとんどだったり。

その抜けた部分は、勘や推測で補ったり。

  「難聴」といっても、百人百様、千人いたら千通り…です。  

  たとえば、私の場合だったら、

   女性は、声が高めなので、ゆっくりなら聴き取れることが多いけれど、

   男性の特に声が低い人は、ほとんど何も聴き取れない。

   完全に静かな和室なら聴き取れても

   (建物のつくりによって響きがちがうので)、

   喫茶店や電車の中・道路など、ざわざわと雑音や人声がする所は困難。

   マスクをしていると、おっかしくなっちゃうくらい、ひと言も聴き取れない。

   すごく大きな声で言ってくれちゃったり、補聴器のすぐ近くで言われると、音が割れる感じで、とても聴き取りづらくなる。

etc...

そして、ふだん、気をつけてゆっくり話してくれる人も、話に夢中になってくると、どうしても早口に。

そうなると自分は、なんとなく「必死で聴き取る(汲み取る)モード」に入ってしまうんですね。。

  (いつも、グッと集中して、五感フル回転ですが)

そうして、あと疲れて、、でもたいてい、話し出来て良かったナ、とは思うんですが。

 

日常的に接している人は、「あら、だっていつも聞こえてるじゃない」とか、

「彼女とは、チャンと会話が成り立ってるし、チョット耳とおい程度なんでしょ」

となってしまうようです。

 

要点など書いてもらったりしますが、書くのって時間がかかるので、

めんどうになる人もいるみたいだし、悪いナ、って思う。

また両手ふさがってたり、手が濡れてたり 作業中で汚れていたりすると、すぐには書けないし。

 

   聴こえづらくて困ったりした経験が重なると、「おそらくまたそうなる」、という場には

   特に必要なこと以外なら、足が向かなくなってしまう。

   これは、自分の姿勢や性格かもしれないし、「甘い」と言われそうだけど、

   現実、自分の活動範囲が狭まってきちゃった。。

 

イベントなどあっても、聞こえなくて ナニやってるのか分からないことが多く、

盛り上がっても自分は、ボーッとしてると、浮いた存在になっているのを感じたり、

そういうのに参加することで却って寂しくなったり。。

みんなで歌ってても歌えないし、手拍子も苦手、という感じ。

 

     ああ、またこんな話になっちゃってスミマセン。。

 

でも、聞こえづらい人の、こんな状態や、心がゆれる様を、

だれか、番組や映画などにして表してもらえないでしょうかね。。

そうして、一緒に、

共に考えたり、育っていけたらいいナ。

 

 

コメント
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