ある親しい人に、応援メッセージを贈りました。
「一般的にいえば、悪条件のもとだけれど、めげずにね」
「心から応援していますよ」、という気持ちを籠めて。
でも、前半の部分には なんとなく触れませんでした。
送ってからそんな自分の心の中がハッキリしてきたんですが、
「悪条件のもと…」となってしまうと、
ちょっとタイヘンになってきたときに、
「こういう状況なんだもの、タイヘン…ってなっても当たり前 」となってしまうこともあるから。
かめおかゆみこさんが、いつも言ってくださっているように、
『見つめたものが 拡大する』
これ真理だなって、つくづく実感するんです。
ふと気づいたんですが、
そういえば、この2~3日は、私が聴こえづらいこと、
ほとんど意識してなかった。
なんとなく、それなりに やっちゃってました。
そして、それ良かったナ、って思ってたんです。
ところが――。
Sさんから、また別の仕事の声がかかった。
彼女は、ちゃんと要点を書いてきてくれて、同時に口で説明してくれました。
でも、あとから
その要旨や目的など、自分はあまり把握できていなかったことが
だんだん分かってきた。
歯抜け状態でぼんやり聴こえてくるものを、
推測で補うような形が日常になっているので、
自分が、どの程度把握できているのかが、ハッキリできていない。
つまり、
このことはキチッと分かった。
この部分は、推測で補って。
これは、大まかに、たぶん。
――といったようなことが、その時その時、キッチリ自分で 瞬時に分かっているわけじゃないんですね。
あの場では、聴き取ることに全エネルギーを使ってしまってて、
書いてもらったものは、流し読みしてしまってました。
彼女は、とても急いでいるようで、打ち合わせのあと、サッと行ってしまった
(長期の出張の前で、本当に急いでいたようです)。
あとで、「そのメモ、もらえない?」と言えば良かったかも。。
Sさんからの依頼は、初めてのタイプの仕事。
とても不安になって、受けたことを後悔する気持ちが涌いてきちゃった。。
やっぱり、伝えてもらったことを、きちんと把握できたかどうかについては
意識した方が良いのかな。。