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「自由と放任」「個人主義と無関心」~川崎の事件で考えさせられたこと

2015-03-14 01:48:41 | 悲しい出来事
☆アッピア夫です。地元の川崎で痛ましい殺害事件が起きましたが、自分自身も10代の子育ての真っただ中にあり、子育てと言う観点から色々と考えさせられました。

最近は、子育てだけではなく、職場、学校、地域、家庭など社会の様々な場所において、「自由」と「個人主義」が蔓延っていると感じますが、その反面、「過敏」「過干渉」なことも目にします。そう言う意味ではいびつに二極化していると言えるのでしょうか?

私が子供の頃は、多くの目で「監視」「干渉」されるのが当たり前の時代でした。生まれ育ったのが小さな田舎町ということもありますが、近所の人から郵便屋さん、新聞・牛乳配達の人(当時、牛乳は配達でした)、商店主、駅員さん、お巡りさんに至るまで、町の人は全員顔見知りと言う世界でしたので、何かあれば、正に池に石を投げた時の波紋のようにあっという間に広まります。

前回、学生の頃によく親が学校に呼び出されたことを書きましたが、決して不良だった訳ではなく、(少し)やんちゃだった程度なのですが、とにかく学校で何かしでかすとすぐに家に通報されました。呼び出されないまでも、学校から帰宅するのを、親が玄関で鬼の形相で待ち構えていることもしょっちゅうでした。

中学生となり彼女が出来始めた頃、こっそり一緒に下校したりなどすると、あっという間に話が駆け巡り、近所の情報通のおばちゃんなどからは「○○ちゃんもいい歳になったものねェ・・・」と意味深に言われ、帰宅すると「誰と帰って来たの?」と親からいきなり質問攻撃を受けるのが常でした。家にいても固定電話しかないので、女の子から電話でもかかって来ようものなら、親は耳が顔と同じ位の大きさになっていましたし、当然話の内容は筒抜け・・・町を歩けば人間監視カメラがうようよと言う状態でした。

昔はそう言う中で子供達が育ちましたので、今や絶滅危惧種になっている「ヤンキー」呼ばわりされた不良グループもいるにはいましたが、それ程大したものではなく、ちょっと格好つけてグレている風だけど、皆いいやつ・・・と言う感じでしたね。それが、今は至るところを監視カメラで監視しなければならず、見かけだけではごく普通の人と危険な人の区別もつかず、子育てを含めた家庭のあり方そのものが「自由」となり、社会全体が「個人主義」になりました。

「自由な子育て」と言うと聞こえが良く、「うちは子供の自由にさせています」「『自分で好きなように生きなさい』と言っています」・・・などと言うことが「理解のあるかっこいい親」と思われているように感じますが、本当にそうでしょうか?「自由」には「責任」が伴います。子供に自由を与える前に、まず或る程度の厳しさの中で責任感と自律心を育てるのが先ではないでしょうか?

最近の風潮として、「褒める子育て」が持て囃されていますが、「褒めるだけの子育て」と勘違いしてしまい、「叱る」ことをしない親が増えているということを耳にします。「叱られる」ことに耐性のない子供が大人になったらどうなるのか?ちょっと恐ろしさを感じます。

また、過干渉で、何でも先回りしてやってしまう親に育てられた子供は、転び方も知らず、親のいないところで突然転んだら手をつくことが分からずに顔面を強打するという笑えない話もあります。また、同じマンションに住む高校生位の女の子がいるのですが、その子は毎朝父親と一緒に家を出て、毎晩母親と一緒に帰宅します。この子の将来は一体どうなるのだろう?と本気で心配してしまいます。

まあそのような過干渉の問題はまた別としても、「自由」と言う名の「放任」と、「個人主義」と言う名の「無関心」により最悪の結果を招いたと言える今回の事件・・・家庭や地域のあまりにも希薄な人間関係と、幾多の兆候に気付いていたはずの誰一人として何の行動も起こさなかったという我関せずの世相・・・もっと地域で繋がりましょうよ。災害が起きてから地域の絆と言うのでは寂しすぎます。

2015年3月14日 アッピア夫


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コメント (1)
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