波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

「事実は小説よりも奇なり」~こんな家族崩壊もあるとは・・・

2016-12-03 00:11:28 | 驚いた出来事
☆アッピア夫です。

私は、大学生の時からずっと同じ理容室に通っています。もう何十年も・・・今では30分もかけてわざわざ行くのですが・・・
その理容室との出会いは、大学に入学後すぐに親しくなった友人のアパートに遊びに行った時に、「すぐ近くにある理容室に行ってみようと思う」「俺もそろそろ切ろうと思ってたから一緒に行くよ」と連れだって行ったのが最初です。

自分たちより少し年上の新婚であるお兄さんとお姉さんが独立して始めたばかりの理容室で、「こんな風に夫婦で一緒に仕事が出来るっていいよなあ・・・」といつも憧れの気持ちを持ちながら、当時は気楽な学生の他愛もない話に付き合って貰い、大学を卒業して社会にもまれるようになってからは、人生の先輩としてその時々に色々なアドバイスを貰って来ました。

当時新婚であったその夫婦も、その後二人の女の子に恵まれ、今では三人の孫がいるいい歳となりました。そこに通い続けて来た私も、その夫婦の半生に亘る家族の移り変わりにお付き合いして来たことになります。親戚よりも気持ちの近い関係かも知れません。

ところで、地元の理容室と言うのは、ずっとその場所にあり続ける存在で、近所の方々が入れ替わり集まります。常に色々な話を聞くことが出来る場でもあり、私がその理容室に感じる以上に、近所に住む人々の様々な人生や移り変わりにお付き合いをすることになるようです。

今回は、最近行ったその理容室で驚きを持ちながら聞いた、ある家族の悲劇的な崩壊の物語です。

元々から近所に内科医院があり、当時はまだ若い医師がやっていたのですが、そのオーナーである医師とそこに勤める看護師が結婚し、男の子が一人生まれました。

その男の子がいい歳になるまではごく普通の家庭だったようです。しかしながら、医師家庭によくある話ですが、その家庭も跡継ぎとして一人息子を医学部に入れようと必死だったようです。ただその息子は生物や医学には全く興味がなく、髪を切りに来ては「医者にはなりたくない」「俺は医者には向いていない」とよく言っていたようです。

本人に適性も興味もないのに、親は何が何でも医学部に入れようと医学部受験を続けますが、四浪が決まった頃から、友達も寄りつかなくなり、その息子は精神的にやられて引きこもりとなってしまったようで、髪の毛を切りに来ることもなくなる。

それから数年後、その医院が夜中に火事となり、奥さんが焼死してしまうのですが、火の元の原因は息子だったらしく、失火か放火かははっきりせず、結局失火と言うことで片付いたようです。それから医院を建て直して病院は続くのですが、どうやらその火事の後、息子はどこかに引き取られていったようで、それ以来一切目にすることがなくなったとのこと。

その後、一人で細々と病院を続けていた医師もかなりの歳となったため引退し、のんびりと一人暮らしをするようになったようです。たまに髪を切りに来ては軽く世間話をする程度で普段のお付き合いはほとんどなく、静かに暮らしていたようですが、ある時そこに救急車が来て人が運ばれて行きました。

「〇〇さんが亡くなったようだ」と話が伝わり、近所の方々はその元医師が亡くなったと思っていたところ、何と火事以来一度も姿を見ることがなかった息子だったようです。姿を見なくなってからもう何十年も経っており、亡くなって初めて実はそこにずっといたと気づくことに・・・

そして、結局そう言うことが起こった以上、元医師もそこに住むことが出来ずどこかに引っ越して行ったようですが、程なくして自殺したことが伝わったようで、開業医として地元で頼られる存在であったその家族は全員が不幸な最期を迎え、見事に崩壊してしまったと言う話です。

私が子供の頃は夜逃げや神隠しのような話もちょくちょく耳にしましたが、今でもこう言う話があるんですね。何か「宮部みゆき」のミステリーでも読んだ気分で、理容室から帰って来ました。

2016年12月2日 アッピア夫


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