「あのね、今日Mさんちの奥さん、掃除機かけながら鼻歌歌ってはったよ」
「そうか、おばちゃんは旦那さんがおらんようになると元気になるねん」
「そんなぁ・・ 仲のいいお二人やったから、元気になって歌ってたんと違うと思うよ」
「いや、そうやって」
一人では広過ぎる家で、寂しさを紛らわすようにな鼻歌に聞こえたけれど。
亡くなられてまだ半年足らず、私には、自分の気持ちをたてようとする一生懸命な鼻歌に聞こえたけれど。
以前今は亡き斎藤茂太さんの本を読んだとき、そんなことを初めて知った。 そんな夫の友人は何人かいるけど
半信半疑だけど。 妻に先立たれた夫は2、3年のうち後を追う%が多いが、逆に妻は夫に先立たれても即効
立ち直る事が出来る、生き生き元気になると言うもの、夫が言ったのと同じこと書いていた。
そんな場合、夫の側からしたらそんな風に感じているのかなぁ。
確かにいつまでも泣いてたって、悔やんだって夫は帰ってはこない。 いつかは前を向いて歩かなくてはいけない。
3人の子供さん、お孫さんもいるので、自ずと今度はその人たちへ、エネルギーを費やして行くようになる。
それに母親はやっぱり太陽で、子や孫を照らし、包み込む太陽的存在であると思うし。
Mさんちの奥さんはそんな方だし。
でも元気な鼻歌と言うよりは、やっぱり物悲しく聞こえたなぁ。
もし我が夫が残ったら、炊事洗濯何から何まで自分でやるには余りに精神的肉体的に大きな負担である。
それだけでも疲労困憊、妻の存在感を今さらのように感じると同時に、いないことの寂しさがいっそう募るであろう。
いや夫の場合、娘やお嫁さんもいる、次女は私が見ると思うと言ってくれてるし、ゴルフに卓球に釣りに・・
夫は友達に事欠かない。 若い時は良く遊ぶと思ったけれど、今は先行き、いい人生を送れると、安心しているんだけど。
妻の私は家事は当然出来るし、夫にかけていた手があく分、生きていかなくてはと断然気持ちが立ち上がれる?のか。
私・・どうなんだろう。 夫に尽くす妻ではないけれど、偉そうな妻だけど、いないのはやっぱり気持ちが落ちる。
夫がいてなんぼの私だと思っているから。
だけど・・「あんたもすぐに元気になって、毎日生き生き写真撮りに行ったりパソコン三昧やで」って、夫はそう言う?
夫婦は こんなんが
よろしおまっせ!?
朝ご飯 やれ昼ご飯 晩ごはん
定年の 近づく夫に 家事仕込み
無理するなと 夫次々 用をいい
助けてもくれもしないのに 聞きたがり
ごろ寝する 夫を跨ぐ 二度三度
掃除機の音で 亭主が 場所を変え
まあいいか すべてがこれで すんでいく
さあやるぞ そろそろやろうか そのうちに
妻勝てば 一件落着する 夫婦
子が巣立ち 物干し台に 閑古鳥
タヌ吉
はぁ~、洋行帰りのタヌ吉はん、イタリア満喫したとあってテンション高!
世間一般の日常的な夫婦でおますな。
あるある・・ちゅうやつですわ、当たってますがなタヌ吉はん!
かっこつけんでもよろしゅうおますけど、あんさん後に残ったらどないしますのん、
高級有料ホームでおますか、それもよかですたい(何弁やねん!)
これってサラ川でおますか、何処も同じって言う事でっしゃろな。
自然体で行きまっせ。 その時はその時ですたい?!