携帯に電話が入った、夕方五時。
「ありがとう、こんなにせんでもええのに」 「届いた?良かった間に合って」 「うちは甘いもん食べんのに」
「分かってるって、おばさんに近所の人にでも持って行ってもろうたらええねんから」
「そうじゃね、おばあさんが人の家のお父さんの命日いつまでも覚えてくれとってと、感心しとります」
「忘れられんよ、あの時のこと。 でも新緑のこんないい季節に亡くなったんやね、 もう四十年になるね」
「もうそがなかね、二十歳のときじゃから」 「そうよ、四十年。 うちらもそれだけ続いてるっちゅうこと、ええことやね」
高校卒業して別々な道を歩いたが、手紙などのやりとりは消えるともなく淡々と続いていた。
二十歳のとき、ずっと病気だった彼女のお父さんが亡くなった知らせを受け、彼女が気になって、
急遽住み込み先に休みをもらい帰省した、新幹線が無い頃だった。
気丈に一人振舞っていた彼女だが私の顔を見るなり、張り詰めていたものが溢れ抱き合って大泣きした。
私は倒れた母さんのそばについてあげた葬儀の日。 以来、お父さんの命日になぜか電話をしている。
ちょっと便りが遠くなった時も、今日のこの日だけは電話するようにしていたので今まで繋がれていたのかも。
夕方屋上ヘあがったら、十六日に植えた朝顔の種からふたつ芽が出ていた。 (わ~!)
昨年は、桔梗・ツルナシ・八房と3種類だったが、朝顔クラブのぷりんちゃんがまたまた送ってきてくれて、
今年はこんなに色々! 嬉しい発芽。 大阪、京都、因島にもこの種が飛んでいる。
(そろそろ、アマアツさんの結果が分かる頃)そんなことを思いながら、お風呂からあがるなりメールの着信。
アマアツさんからだった。 「検査結果しろ!? 検査入院していたが癌細胞は見つからなかった!」
うたた寝をしていた夫や授乳中の娘にも「あっちゃん、癌じゃなかったんやて!」
みんなで良かった~と喜んだ、大きな安心の夜。 癌宣告された夫と同じ、そして10日入院後実は・・その時と同じ。
夫も彼も宣告を受けてからの日々は、どんな思いの日々だったであろうか、いや・・でも良かった良かった。 23日記