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12日 バレンボイム指揮ベルリン・シュターツカペレ/マーラー :交響曲第9番

2007-10-13 | ・メータ ・ゲルギエフ ・飯守
        サントリーホール 2FLA2-9 15,000円・1,4楽章安い

 前日NHK・トリスタンで22時前まで演奏後,翌日で皆様お疲れの様子も・・
でも流石,弦の響き豊かさ,各パートの木管は上手いですね・・
 音楽から受ける印象は,各楽章が独立した曲として成立していると思いました・・曲構成が縦糸の繋がりと云うより,各楽章で一曲が成立したと・・
 私の好み四楽章が素晴らしい・・弦の低音の響きの綺麗さ,豊かさがそして,木管奏者の芸達者が・・二,三楽章でアンサンブル的にズレが、何か音楽波動伝わらない・・

 演奏会三度目で、初日のベートーヴェン3番P4番2回目3番とR・シュトラウス、3回目マーラー9番と 間に、モーツァルト・ドン・ジョヴァンニと聴き音楽の楽しさ、流れを堪能した・・総じて良い出来でした。・・
 14日・17日にトリスタン,15日モーゼと体力勝負の演目が待構えてます・・
 栄養付けなくっては,心の栄養は大分付いたかな・・笑い
 其れにしても、オケ軍団、バレンボイムはタフで元氣すね

12日 ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン・シュターツカペレ
ベルリン国立歌劇場来日記念特別演奏会
曲目 マーラー :交響曲第9番 ニ長調

交響曲第9番_(マーラー)
交響曲第8番、『大地の歌』とつづいた声楽・歌曲との融合から、マーラーはこの曲では再び純器楽路線に立ち戻っている。4楽章構成、第1楽章がソナタ形式に従って書かれているなど、古典的な交響曲としての要素を持つ。その一方で、両端楽章にテンポの遅い音楽を配置し、調性的には、第1楽章はニ長調であるが、第1主題が常にこの調と結びついていて、展開部などでも移調されないこと、最終楽章がこれより半音低い変ニ長調で書かれているなど、伝統的なスタイルからの逸脱も多い。

この曲は、なんらの標題も用いられていないにもかかわらず、全曲が「別れ」や「死」のテーマによって貫かれていることが印象づけられる。その理由として、終楽章の最後の小節に、マーラー自身がersterbend(死に絶えるように)と書き込んでいることがある(後述)。また、この曲でマーラーは、過去の自作、他作から多くの引用をしており、これらが過去の追想や別離の気分を高めている。引用は、これまでのマーラー作品でも部分的に見られたものであるが、第9番では、それが体系的といえるほど多用されている。引用の手法も単純でなく、ひとつの素材が変形されるなかで、引用された音楽との間で多様な連関を想起させるものとなっており、同じ進行の繰り返しを徹底的に避けるマーラーの作曲技法とひとつに重なっている。こうした手法は、後の1960年代後半から1970年代にかけて流行したコラージュ音楽の発想の原型とも見られている。

この引用を含めて技法的には、これまでの諸作品の集大成であることを超えて、新たな境地を開こうとする意欲が認められる。多くの場合、音楽とテーマの普遍性、独自性、書法の大胆さ、表現の崇高さなどにおいて第9番はマーラーの最高傑作と見なされている。このため、演奏・録音機会が多いだけでなく、後述するように、指揮者やオーケストラがなんらかの節目や記念的な行事の際の演奏曲目としてしばしば採り上げられる。

アルマとの関係
この曲が作曲された1909年の夏には、妻アルマは病気のためマーラーの休暇先のアルト・シュルーダーバッハに同行していなかったといわれている。第9番の自筆譜には、アルマへの呼びかけの言葉が書き込まれていることから、この時期、マーラーとアルマの関係に亀裂が生じ始めており、マーラーのアルマに対する個人的な感情が音楽に影響を与えたという解釈もある。ただし、アルマが建築家ヴァルター・グロピウスと出会うのは1910年の夏で、曲が完成した同年4月より後のことであり、この「三角関係」を第9番の内容に直接結びつけることはできない。

交響曲第9番_(マーラー) 作曲の経過

トスカニーニのメト登場
1908年9月19日、プラハでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して自作の交響曲第7番を初演。10月27日、ミュンヘンで再演。
10月21日、ニューヨークに戻り、ニューヨーク・フィルハーモニックを初めて指揮。12月8日には同オーケストラを指揮して交響曲第2番を演奏する。
このシーズンからアルトゥーロ・トスカニーニがメトロポリタン歌劇場に登場して、ワーグナー作品などマーラーが得意とするレパートリーを採り上げ始めた。このため、マーラーは心中穏やかでなく、活動の中心を歌劇場からニューヨーク・フィルに移し始めた。エンリコ・カルーソーがマーラーのカリカチュアを描いたのはこのころである。
1909年2月にベドルジハ・スメタナのオペラ『売られた花嫁』をアメリカ初演。
4月にヨーロッパに戻り、パリに滞在。オーギュスト・ロダンの彫刻のモデルになったり、アルフレード・カゼッラやエドガー・ヴァレーズに会ったりしている。

第9交響曲の作曲
同1909年夏、トプラッハ(現イタリア)近郊のアルト・シュルーダーバッハで交響曲第9番を作曲、2ヶ月間でほぼ書き上げた。この地にアルマは同行しなかったという。ブルーノ・ワルター宛の手紙に、この曲についてマーラーは「小さな一家にとって非常に好ましい財産になるだろう。」と述べ、「それは狂ったように大急ぎで、あわただしく、ほとんど書きなぐられたので、とても他人には読めないだろう。今年の冬には何とか暇がとれて、総譜の清書ができるとよいのだが」と書いている。10月以降はニューヨークに楽譜を持ち込んで仕上げにかかり、翌1910年4月1日、同地で浄書が完成した。
この間、9月末から10月初めにかけてオランダ旅行し、自作の交響曲第7番を指揮。10月8日から12日にかけてパリで再びロダンのモデルとなっている。

交響曲第9番_(マーラー) 楽器編成
ピッコロ 1、フルート 4、オーボエ 4 内コーラングレ持ち替え 1、ソプラニーノクラリネット 1、クラリネット 3、バスクラリネット 1、ファゴット 4 内コントラファゴット持ち替え 1
ホルン 4、トランペット 3、トロンボーン 3、チューバ
ティンパニ 2人 (6個)、バスドラム、スネアドラム、トライアングル、シンバル、銅鑼、グロッケンシュピール、鐘 3  ハープ 弦五部 (16型)

交響曲第9番_(マーラー) 参考図書
Category:マーラーの交響曲 Symphony No. 9 (Mahler) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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マーラー9番

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