徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

レビュー:新谷かおる作、佐伯かよの画『Quo vadis』全20巻(幻冬舎コミックス)

2017年04月15日 | マンガレビュー

昨年の秋に佐伯かよのの絵柄に惹かれて全19巻大人買いして、完結していなかったことに悶絶したものでしたが、漸く最終巻である20巻が発売されたので、内容の細かいところを忘れていることもあり、1巻からまた一気読みしました。イースター休暇で副業の仕事も小さいのしか入ってないので、随分のんびりしています。

さて、『Quo vadis~クォー・ヴァーディス』ですが、まずタイトルはラテン語で「君はどこへ行く?」を意味しています。もちろん「君はどこへ向かっているのか?」とも訳せます。作品中の登場人物が「私はどこへ行くのか」のふり仮名として「クォー・ヴァーディス」を当てている個所がありましたが、もちろんそれは間違いで、正しくは「クォー・ヴァードー(Quo vado)」と人称変化させなければなりません。

まあ、ラテン語の蘊蓄はともかくとして、この作品自体は一言でくくってしまうと「吸血鬼の話」です。そういうと身も蓋もないですが、ジャンルとしては吸血鬼ものです。ただそこに壮大な過去と未来の時間軸が組み込まれ、ストーリーのスケールを大きくしています。色々な謎解きはストーリーが進行していく中で明かされていきますが、比較的最初から分かっている設定は、数万年後の未来では人類の生殖機能が完全に失われ、人工授精・人工培養によってのみ人口が調整されるようになり、不老不死となっていますが、種としては滅亡寸前の状態にあるということです。そこで人類がそうなる歴史の分岐点を探ろうと研究し、特別なタイムカプセルを作成して過去に飛んだ研究者8名。リーダーは金髪の美しいフレイア教授。最初に登場するのはオーディンという研究者で、彼は8000年間の間を生きて、仲間を探し続け、殆ど偶然大木と生体同調したフレイアを現代で発見します。彼女はなぜか10歳の体になっていました(この謎もあとから解明されます)。彼女はオーディンのように古代ではなく、15世紀ころのドイツの森の中にランディングし、その時代にとある経緯から魔女狩りの対象となり、追って来る村人から逃げるために大木に生体同調することで姿を消し、それからオーディンに発見されるまで眠っていました。

世の中には数千年の昔から吸血鬼がおり、第一世代、第二世代はヴァチカンによって管理され、第二世代によって吸血鬼化された第三世代は各国の吸血鬼ギルドに管理されることになっていますが、暴走するものはヴァチカンの最高評議会から派遣される執行人によって始末されることになっています。この組織にオーディンはなぜか「真祖」と呼ばれており、執行人の一人であるソフィアに400年前から命を狙われています。

この未来から来た研究者たちと、吸血鬼、そしてそれを管理し、時に裁くヴァチカン。それらが絡み合ってストーリーが進行していきます。その中でびっくりな設定は、イエスキリストが不老不死で、子どもの姿でヴァチカンに居ることと、聖母マリアも同じく不老不死だということ、そして、実はイエスの父親が未来からジャンプした研究者の一人であるヨシュアで、彼は自分の遺伝子をウイルスによって操作して、生殖機能を取り戻していた、ということでしょうか。マリアとイエスが不老不死になったのはこの遺伝子操作の際に使われたウイルスに感染したから、ということになっています。そしてイエスの血を飲んだ者たちは、死ぬか、吸血鬼化した、ということになっています。この「吸血鬼はウイルス感染」というのも珍解釈で面白いです。山岸涼子の『日出ずるところの天子』における「聖徳太子は超能力者で、同性愛者」という珍設定と同じくらい衝撃的な面白さです。

登場人物もかなりキャラが立っていて、魅力的です。

「最後の審判が始まった」というところから、ストーリーはどんどん緊迫感を増していき、その中で登場するもう一人の未来からの来訪者の陰謀が明かされていき、個人的に話の収拾がつかないような方向性に脱線していくような感覚に襲われました。結論部は人類の進化そのものが「鶏が先か、卵が先か」の問いのように数十億年という時間軸でループしていまい、ちょっと首をかしげるようなものでしたが、「それも(物語として)ありかも」と思わせるぐらいの説得力はあると思います。「荒唐無稽」と言えば、最初の設定からしてそうなので、それが受け入れられない方は読むべきではないでしょう。

私的には、この作品は秀逸なSFファンタジーマンガだと思います。