昨日(8月10日)、ヴェネツィアフェスティバルオペラ(Venizia Festival Opera)のケルン公演に行ってきました。演目はヴェルディの『アイーダ』、会場はケルン・ドイツにあるメッセ会場の隣、タンツブルンネン(Tanzbrunnen、舞踊の泉)の野外劇場でした。
ヴェネツィアフェスティバルオペラ(Venizia Festival Opera)
ヴェネツィアフェスティバルオペラ(Venizia Festival Opera)はヨーロッパでもっとも人気のある旅する歌劇団の一つで、その伝統は1945年にまで遡れるそうです。その交響楽団はプロヴディヴ・フィルハーモニー及びOpera and Philharmonic Society Plovdivの元総監督アンドレイ・アンドレエフによってスタジオ及びフェスティヴァルオケとして創立され1997年、「トラキアの夏」という国際フェスティヴァルでデビューしました。これまで350を超えるコンサートやオペラ公演をヨーロッパ中で行ってきました。
私たちはこの歌劇団&オケを元々知っていたわけではなく、ケルンチケットというインターネットチケット販売サイトのメルマガでたまたま「チケット2枚で1枚の値段!」という知らせが来たので興味を持ち、珍しいのでそのセールスに「よっしゃ!」と乗った次第です。(* ̄▽ ̄)フフフッ♪
席は舞台正面中央路に近い前から10列目で、メルマガプライス1人当たり30.20ユーロ。
出演者:
アイーダ(ソプラノ)―Elena Baramova
アムネリス(メゾソプラノ)—Elena Chavdarova-Isa
ラダメス(テノール)- Stoyan Daskalov
ラムフィス(バス)―Ivaylo Dzhurov
アモナスロ(バリトン)―Alexander Krunev
使者(テノール)―Ivailo Yovchev
女性神官(ソプラノ)―Emiliya Dzhurova
演出 ―Nadia Hristo
舞台美術・衣装 ―Rada Hadzhiyska
音楽監督・指揮 ―Nayden Todorov
美術監督 ―Andrey Andreev
Making of『アイーダ』
『アイーダ』の製作にはちょっとした裏話があります。「君頼むよ」「はい、分かりました」でできた作品ではないのです。ことは1869年11月17日のスエズ運河開通に始まります。エジプトのケディヴェ(Khedive、副国王)であるイスマイル・パシャなる人物がこの偉大な国の事業を記念して、文化面でも国力を示そうとオペラハウスを作り、そのオープニングにヴェルディになにか賛歌のようなものを作曲するよう依頼したのです。ヴェルディは「何かの記念のための作品など作曲したくない」とこれを断ります。でもその裏で友達に宛てた手紙に、「エジプトのために仕事するなど気違い沙汰だ」とか「ミイラにされるのが怖いからエジプトには行かない」などと書いています。結局ただの偏見で断ったみたいですね。
カイロオペラハウスは1869年11月1日に、ヴェルディの「リゴレット」(1851)でオープンしましたが、パシャは「ヴェルディによるカイロオペラハウスのための特別な作品」を諦められず、当時のパリのオペラ・コミーク(Opera Comique)のディレクター、カミーユ・デュ・ロクルにヴェルディを説得するよう依頼します。資料はフランスのエジプト学者オーギュスト・マリエットが提供するとのことでした。ヴェルディはこれも固辞します。
そこでデュ・ロクルとマリエットは一計を講じます。デュ・ロクルはマリエットのシナリオを散文物語形式に書き直し、「これにはエジプト皇太子も一枚かんでいる」と言う含みを持たせて、それをヴェルディに渡します。同時にマリエットはヴェルディに手紙で「パシャにこれ以上ヴェルディに固執せず、話をシャルル・フランソワ・グノーかリヒャルト・ヴァグナーに持っていくように頼まれた」と知らせます。そこでヴェルディは「ライバルに栄誉を奪われるくらいなら」と思ったらしく、デュ・ロクルに「シナリオは舞台化に適している。しかしやるかどうかはエジプト側の提示する報償額による」というようなことを書きます。そして提示された額は15万ゴールドフランと当時としては破格のものでした。それでヴェルディはリブレット作家のアントニオ・ギスランツオーニに連絡を取り、本格的な製作に入ります。彼は舞台演出の詳細(出演者、小道具、舞台装置、衣装等々)に渡って監督し、1871年始めに『アイーダ』を完成させました。ところが予定されていた初演は仏独戦争のため延期。衣装や小道具がパリにあって、プロイセンによるパリ包囲のためにそれをカイロに運ぶことができなかったからだそうです。結局初演は同年の12月24日に実現しました。世界的に反響を呼んだ大成功だったようです。
『アイーダ(Aida)』のあらすじ
舞台は「エジプトスタイルの壮大なオペラ」という依頼通りエジプトです。4幕あります。途中に挟んだ写真は今回のケルン公演のものです。
第1幕:
アイーダ(ソプラノ)はエチオピア王女で、エジプト王朝に人質として連れてこられ、奴隷として生きています。若い将校ラダメス(テノール)はアイーダと密かな恋愛関係にあり、戦果を挙げることで自由を取り戻せるという希望を持っています。最高神官ラムフィス(バス)はラダメスが将軍に任命されることを仄めかします。
一方、ファラオの娘アムネリス(メゾソプラノ)はラダメスに片思い。彼を観察するうちにライバルがアイーダであることに気付きます。
そこへエチオピア軍がエジプトに侵入した知らせが入ります。ファラオはラダメスを将軍に任命します。アイーダは祖国への愛とラダメスへの愛で心が引き裂かれ…
シーンは変わって神殿。最高神官ラムフィスはフター神の聖剣をラダメスに厳かに授けます。歌と踊りで神々にエジプトの勝利を祈ります。(ここで披露されるダンスが見もの)
第2幕:
アムネリスの私室。ラダメスの率いるエジプト軍はエチオピアに勝利。アムネリスは戦士たちを出迎えるために召使たちに着飾らせていましたが、ラダメスが彼女ではなくアイーダを望んでいるのではないかという考えに苦しみます。それを確かめるためにアイーダに「ラダメスは戦死した」と知らせます。アムネリスは自分がアイーダのライバルであることを悟らせた上で、勝利者の出迎えに彼女に尽き従うよう命じます。
テーベの門前。ファラオは廷臣たちと共に凱旋したエジプト軍を迎えます。ここでもダンスが披露されます。
ラダメスは捕虜たちを御前に引き出させます。アイーダはその中に父、エチオピア王アモナスロ(バリトン)が居ることに気付きます。アモナスロは身分を隠しており、アイーダにも黙っているようにささやきます。最高神官ラムフィスはエチオピア人の死刑を求めますが、ラダメスは捕虜の解放を望みます。ラムフィスはアイーダと彼女の父が人質として残ることを求めます。
ファラオはラダメスを後継者に決め、アムネリスと共にエジプトを統治することを命じます。アムネリスは喜び、アイーダは絶望します。
第3幕:
ナイル河畔。婚姻前夜、アムネリスはラムフィスと共にイリス神殿へ行き、ラダメスの愛を受けられるよう祈ります。
アイーダはナイル河畔でラダメスと最後の逢瀬をしようと待っています。そこへ突然父親のアモナスロが現れ、彼はアイーダがラダメスを愛していることに気付きます。エチオピアの反乱を成功させるため、彼はアイーダにラダメスからエジプト人たちの進攻経路を聞き出すように唆します。アイーダはそれを断り、二人はけんか別れします。
ラダメスが現れ、彼はアイーダへの愛を認めます。新たに戦果を挙げることでファラオにアイーダとの結婚を望めるようになると彼は考えますが、アイーダはそれを信じられず、二人で逃げることを望みます。ラダメスは少し躊躇したものの、ナパタ渓谷のルートを説明します。そうして意図せず戦略的機密を漏らしてしまう。それを盗み聞いたアモナスロは二人の前に現れ、自分がエチオピア王であることをばらします。
アムネリスとラムフィスが神殿から出てきたとき、アモナスロはアムネリスを殺そうとしますが、ラダメスはこれを阻止し、そして二人の護衛兵に投降します。アモナスロとアイーダは逃亡。
第4幕:
王宮。アムネリスはまだラダメスを愛しており、彼がアイーダを諦めるなら彼の命を助けると約束します。ラダメスはアイーダへの愛を変えることなく死を選びます。裁判で彼は黙秘を貫き、裏切り者として神殿の地下に生き埋めの刑を受けます。
火山神殿の内部。墓室は石で閉じられます。ラダメスは死を待っていましたが、そこに忍び込んでいたアイーダが姿を現します。二人は共に生に別れを告げます。アムネリスは一人残され、悲嘆に暮れつつ祈るばかり。
ケルン公演の感想
久々にクラシカルな演出のオペラが見れたと思いました。実は最近のケルンオペラの奇妙な現代的解釈入りの演出や時代設定の変換などにいい加減嫌気がさしていたので、今回の何の解釈も入らないオリジナルに即した舞台演出に心が洗われるようでした。
ただ、残念に思ったこともたくさんあります。一つは旅する歌劇団の限界もあるのかも知れませんが、舞台の大道具や仕掛けが簡素であったこと。もう一つはオープンエアという状況の中避けられない音響の悪さや雑音の多さ(ヘリコプターの音がうるさかった)や途中雨が降ったことで起こったざわつきなど。
こうしたどちらかといえば厳しい舞台状況の中で、歌手さんたちもダンサーたちもオケの人たちもよくやっていたと思います。湿気のせいで弦楽器の音の冴えが鈍り、部分的に若干ぴったりと嵌ってない音があったように感じられました。私自身も素人とはいえバイオリンを嗜んでいるのでよく分かるのですが、湿気が多いといくら調音しても演奏している間にほんのわずかずつですが音がずれてきてしまうのです。演奏中に調音することはできませんので、そのずれを指の位置を微妙にずらすことで調節するのですが、たとえプロであっても全員がそういう微調整を完璧にできるわけではないので、オケの音にかすかな不快感を伴うずれ(不協和音と言うほどではない)が生じてしまいます。これがあると私は音の世界に浸りきれなくなってしまうので、本当に残念でした。室内だったらきっともっと良かっただろうと思うと残念さもひときわ強く感じます。
もう一つ残念に思ったのは字幕がなかったこと。あらすじを知っていても、実際にやりとりされる会話やアリア、合唱の意味するところが具体的に分からないとやはり若干舞台の進行を追うのに戸惑います。音楽の雰囲気と歌手の演技力でおおよそのことが分かることも多いですが、歌詞がちゃんと分かるに越したことはありません。
あとはまあ、ラダメス役の人はもっとかっこいい人が良かったなと思ったくらいでしょうか。だって二人の女性に愛され、奪い合いされる男性なのに、ダサいおっさんでは興ざめじゃないですか?(* ̄▽ ̄)フフフッ♪ 声は良かったと思いますけど。
それをダンナに言ったら、「成功している男は多少外見が悪くてももてる!」と返されました。確かにそうかも!
公演は19時に始まり、22時少し前に終わりました。休憩込みで約3時間だったわけですが、FB友の一人がヴェローナで見た公演は休憩込みで4時間だったというので、ケルン公演ではダンスやパレードみたいな部分が短縮されていたのかも知れません。
それはともかくかなり冷え込んだので(気温は12度になってました)、駐車場の混雑が過ぎ去るのを待つことも兼ねて近くのラインテラッセン(Rheinterrassen)というカフェ・バーに入り、ミントティーを頂きました。
6月にケルンオペラ座の公演で『ルチア・ディ・ランマーモール』を見に来たときは終わったとたんにすぐ帰ってしまったので全く気付きませんでしたが、シュターテンハウスという劇場もタンツブルンネンという野外劇場もライン河畔と言ってもいいところにあり、ちょうどケルンの大聖堂が見える位置なのですね。ラインテラッセンの敷地には海岸に置くような座籠もおいてあり、よく見たら下に砂が敷いてあって、砂浜のイメージが作られてました!( ´∀` )
ライン川と大聖堂が夕日に染まってゆく中で取るディナーもなかなか乙なものかもしれません。ラインテラッセンのレストランとしての質は未知ですからお勧めとかはできませんけど。トリップアドヴァイザーに掲載されている口コミによればブランチなんかもあるらしいですが、「サービスが悪い」という声が若干多いような?
何はともあれお茶で温まった体が冷えないうちに車に駆け込み帰途についたのでした。それなりにいい晩でした。でもいつか本格的な劇場で壮大な『アイーダ』を堪能してみたいですね。