徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

ヴェネツィアフェスティバルオペラ、ケルン公演:ヴェルディ『アイーダ』

2016年08月11日 | 日記

昨日(8月10日)、ヴェネツィアフェスティバルオペラ(Venizia Festival Opera)のケルン公演に行ってきました。演目はヴェルディの『アイーダ』、会場はケルン・ドイツにあるメッセ会場の隣、タンツブルンネン(Tanzbrunnen、舞踊の泉)の野外劇場でした。

  

 

ヴェネツィアフェスティバルオペラ(Venizia Festival Opera)

ヴェネツィアフェスティバルオペラ(Venizia Festival Opera)はヨーロッパでもっとも人気のある旅する歌劇団の一つで、その伝統は1945年にまで遡れるそうです。その交響楽団はプロヴディヴ・フィルハーモニー及びOpera and Philharmonic Society Plovdivの元総監督アンドレイ・アンドレエフによってスタジオ及びフェスティヴァルオケとして創立され1997年、「トラキアの夏」という国際フェスティヴァルでデビューしました。これまで350を超えるコンサートやオペラ公演をヨーロッパ中で行ってきました。

私たちはこの歌劇団&オケを元々知っていたわけではなく、ケルンチケットというインターネットチケット販売サイトのメルマガでたまたま「チケット2枚で1枚の値段!」という知らせが来たので興味を持ち、珍しいのでそのセールスに「よっしゃ!」と乗った次第です。(* ̄▽ ̄)フフフッ♪
席は舞台正面中央路に近い前から10列目で、メルマガプライス1人当たり30.20ユーロ。

出演者:

アイーダ(ソプラノ)―Elena Baramova

アムネリス(メゾソプラノ)—Elena Chavdarova-Isa

ラダメス(テノール)- Stoyan Daskalov

ラムフィス(バス)―Ivaylo Dzhurov

アモナスロ(バリトン)―Alexander Krunev

使者(テノール)―Ivailo Yovchev

女性神官(ソプラノ)―Emiliya Dzhurova

 

演出 ―Nadia Hristo

舞台美術・衣装 ―Rada Hadzhiyska

音楽監督・指揮 ―Nayden Todorov

美術監督 ―Andrey Andreev

 

Making of『アイーダ』

『アイーダ』の製作にはちょっとした裏話があります。「君頼むよ」「はい、分かりました」でできた作品ではないのです。ことは1869年11月17日のスエズ運河開通に始まります。エジプトのケディヴェ(Khedive、副国王)であるイスマイル・パシャなる人物がこの偉大な国の事業を記念して、文化面でも国力を示そうとオペラハウスを作り、そのオープニングにヴェルディになにか賛歌のようなものを作曲するよう依頼したのです。ヴェルディは「何かの記念のための作品など作曲したくない」とこれを断ります。でもその裏で友達に宛てた手紙に、「エジプトのために仕事するなど気違い沙汰だ」とか「ミイラにされるのが怖いからエジプトには行かない」などと書いています。結局ただの偏見で断ったみたいですね。

カイロオペラハウスは1869年11月1日に、ヴェルディの「リゴレット」(1851)でオープンしましたが、パシャは「ヴェルディによるカイロオペラハウスのための特別な作品」を諦められず、当時のパリのオペラ・コミーク(Opera Comique)のディレクター、カミーユ・デュ・ロクルにヴェルディを説得するよう依頼します。資料はフランスのエジプト学者オーギュスト・マリエットが提供するとのことでした。ヴェルディはこれも固辞します。

そこでデュ・ロクルとマリエットは一計を講じます。デュ・ロクルはマリエットのシナリオを散文物語形式に書き直し、「これにはエジプト皇太子も一枚かんでいる」と言う含みを持たせて、それをヴェルディに渡します。同時にマリエットはヴェルディに手紙で「パシャにこれ以上ヴェルディに固執せず、話をシャルル・フランソワ・グノーかリヒャルト・ヴァグナーに持っていくように頼まれた」と知らせます。そこでヴェルディは「ライバルに栄誉を奪われるくらいなら」と思ったらしく、デュ・ロクルに「シナリオは舞台化に適している。しかしやるかどうかはエジプト側の提示する報償額による」というようなことを書きます。そして提示された額は15万ゴールドフランと当時としては破格のものでした。それでヴェルディはリブレット作家のアントニオ・ギスランツオーニに連絡を取り、本格的な製作に入ります。彼は舞台演出の詳細(出演者、小道具、舞台装置、衣装等々)に渡って監督し、1871年始めに『アイーダ』を完成させました。ところが予定されていた初演は仏独戦争のため延期。衣装や小道具がパリにあって、プロイセンによるパリ包囲のためにそれをカイロに運ぶことができなかったからだそうです。結局初演は同年の12月24日に実現しました。世界的に反響を呼んだ大成功だったようです。

 

『アイーダ(Aida)』のあらすじ

 舞台は「エジプトスタイルの壮大なオペラ」という依頼通りエジプトです。4幕あります。途中に挟んだ写真は今回のケルン公演のものです。

第1幕:

アイーダ(ソプラノ)はエチオピア王女で、エジプト王朝に人質として連れてこられ、奴隷として生きています。若い将校ラダメス(テノール)はアイーダと密かな恋愛関係にあり、戦果を挙げることで自由を取り戻せるという希望を持っています。最高神官ラムフィス(バス)はラダメスが将軍に任命されることを仄めかします。

一方、ファラオの娘アムネリス(メゾソプラノ)はラダメスに片思い。彼を観察するうちにライバルがアイーダであることに気付きます。

そこへエチオピア軍がエジプトに侵入した知らせが入ります。ファラオはラダメスを将軍に任命します。アイーダは祖国への愛とラダメスへの愛で心が引き裂かれ…

シーンは変わって神殿。最高神官ラムフィスはフター神の聖剣をラダメスに厳かに授けます。歌と踊りで神々にエジプトの勝利を祈ります。(ここで披露されるダンスが見もの)

 

第2幕:

アムネリスの私室。ラダメスの率いるエジプト軍はエチオピアに勝利。アムネリスは戦士たちを出迎えるために召使たちに着飾らせていましたが、ラダメスが彼女ではなくアイーダを望んでいるのではないかという考えに苦しみます。それを確かめるためにアイーダに「ラダメスは戦死した」と知らせます。アムネリスは自分がアイーダのライバルであることを悟らせた上で、勝利者の出迎えに彼女に尽き従うよう命じます。

 

テーベの門前。ファラオは廷臣たちと共に凱旋したエジプト軍を迎えます。ここでもダンスが披露されます。

ラダメスは捕虜たちを御前に引き出させます。アイーダはその中に父、エチオピア王アモナスロ(バリトン)が居ることに気付きます。アモナスロは身分を隠しており、アイーダにも黙っているようにささやきます。最高神官ラムフィスはエチオピア人の死刑を求めますが、ラダメスは捕虜の解放を望みます。ラムフィスはアイーダと彼女の父が人質として残ることを求めます。

ファラオはラダメスを後継者に決め、アムネリスと共にエジプトを統治することを命じます。アムネリスは喜び、アイーダは絶望します。

第3幕:

ナイル河畔。婚姻前夜、アムネリスはラムフィスと共にイリス神殿へ行き、ラダメスの愛を受けられるよう祈ります。

アイーダはナイル河畔でラダメスと最後の逢瀬をしようと待っています。そこへ突然父親のアモナスロが現れ、彼はアイーダがラダメスを愛していることに気付きます。エチオピアの反乱を成功させるため、彼はアイーダにラダメスからエジプト人たちの進攻経路を聞き出すように唆します。アイーダはそれを断り、二人はけんか別れします。

ラダメスが現れ、彼はアイーダへの愛を認めます。新たに戦果を挙げることでファラオにアイーダとの結婚を望めるようになると彼は考えますが、アイーダはそれを信じられず、二人で逃げることを望みます。ラダメスは少し躊躇したものの、ナパタ渓谷のルートを説明します。そうして意図せず戦略的機密を漏らしてしまう。それを盗み聞いたアモナスロは二人の前に現れ、自分がエチオピア王であることをばらします。

アムネリスとラムフィスが神殿から出てきたとき、アモナスロはアムネリスを殺そうとしますが、ラダメスはこれを阻止し、そして二人の護衛兵に投降します。アモナスロとアイーダは逃亡。

第4幕:

王宮。アムネリスはまだラダメスを愛しており、彼がアイーダを諦めるなら彼の命を助けると約束します。ラダメスはアイーダへの愛を変えることなく死を選びます。裁判で彼は黙秘を貫き、裏切り者として神殿の地下に生き埋めの刑を受けます。

火山神殿の内部。墓室は石で閉じられます。ラダメスは死を待っていましたが、そこに忍び込んでいたアイーダが姿を現します。二人は共に生に別れを告げます。アムネリスは一人残され、悲嘆に暮れつつ祈るばかり。


ケルン公演の感想

久々にクラシカルな演出のオペラが見れたと思いました。実は最近のケルンオペラの奇妙な現代的解釈入りの演出や時代設定の変換などにいい加減嫌気がさしていたので、今回の何の解釈も入らないオリジナルに即した舞台演出に心が洗われるようでした。

ただ、残念に思ったこともたくさんあります。一つは旅する歌劇団の限界もあるのかも知れませんが、舞台の大道具や仕掛けが簡素であったこと。もう一つはオープンエアという状況の中避けられない音響の悪さや雑音の多さ(ヘリコプターの音がうるさかった)や途中雨が降ったことで起こったざわつきなど。

こうしたどちらかといえば厳しい舞台状況の中で、歌手さんたちもダンサーたちもオケの人たちもよくやっていたと思います。湿気のせいで弦楽器の音の冴えが鈍り、部分的に若干ぴったりと嵌ってない音があったように感じられました。私自身も素人とはいえバイオリンを嗜んでいるのでよく分かるのですが、湿気が多いといくら調音しても演奏している間にほんのわずかずつですが音がずれてきてしまうのです。演奏中に調音することはできませんので、そのずれを指の位置を微妙にずらすことで調節するのですが、たとえプロであっても全員がそういう微調整を完璧にできるわけではないので、オケの音にかすかな不快感を伴うずれ(不協和音と言うほどではない)が生じてしまいます。これがあると私は音の世界に浸りきれなくなってしまうので、本当に残念でした。室内だったらきっともっと良かっただろうと思うと残念さもひときわ強く感じます。

もう一つ残念に思ったのは字幕がなかったこと。あらすじを知っていても、実際にやりとりされる会話やアリア、合唱の意味するところが具体的に分からないとやはり若干舞台の進行を追うのに戸惑います。音楽の雰囲気と歌手の演技力でおおよそのことが分かることも多いですが、歌詞がちゃんと分かるに越したことはありません。

あとはまあ、ラダメス役の人はもっとかっこいい人が良かったなと思ったくらいでしょうか。だって二人の女性に愛され、奪い合いされる男性なのに、ダサいおっさんでは興ざめじゃないですか?(* ̄▽ ̄)フフフッ♪ 声は良かったと思いますけど。
それをダンナに言ったら、「成功している男は多少外見が悪くてももてる!」と返されました。確かにそうかも! 

 

公演は19時に始まり、22時少し前に終わりました。休憩込みで約3時間だったわけですが、FB友の一人がヴェローナで見た公演は休憩込みで4時間だったというので、ケルン公演ではダンスやパレードみたいな部分が短縮されていたのかも知れません。

それはともかくかなり冷え込んだので(気温は12度になってました)、駐車場の混雑が過ぎ去るのを待つことも兼ねて近くのラインテラッセン(Rheinterrassen)というカフェ・バーに入り、ミントティーを頂きました。

 

6月にケルンオペラ座の公演で『ルチア・ディ・ランマーモール』を見に来たときは終わったとたんにすぐ帰ってしまったので全く気付きませんでしたが、シュターテンハウスという劇場もタンツブルンネンという野外劇場もライン河畔と言ってもいいところにあり、ちょうどケルンの大聖堂が見える位置なのですね。ラインテラッセンの敷地には海岸に置くような座籠もおいてあり、よく見たら下に砂が敷いてあって、砂浜のイメージが作られてました!( ´∀` )

ライン川と大聖堂が夕日に染まってゆく中で取るディナーもなかなか乙なものかもしれません。ラインテラッセンのレストランとしての質は未知ですからお勧めとかはできませんけど。トリップアドヴァイザーに掲載されている口コミによればブランチなんかもあるらしいですが、「サービスが悪い」という声が若干多いような?

何はともあれお茶で温まった体が冷えないうちに車に駆け込み帰途についたのでした。それなりにいい晩でした。でもいつか本格的な劇場で壮大な『アイーダ』を堪能してみたいですね。


ロマネスクサマー•ケルン(音楽フェスティバル)2016

2016年06月23日 | 日記

現在ケルンではロマネスクサマー・ケルン2016(Romanischer Sommer Köln 2016)という音楽フェスティヴァルが開催中です。「時空間を通じて聴く・道」をモットーに中世的な音楽をケルンのロマネスク様式の教会で堪能する、どちらかと言うと地味な催し物です。

私はチケット・ケルンというチケット販売サイトからのメルマガでこのフェスティヴァルを知り、丁度コンサート三つセットチケットが割安で販売されていたので、6月23日は平日にもかかわらず、滅多にない機会だからと買ってしまいました。この為に有給休暇を一日取りました。

聖パンタレオン教会

本日最初のコンサートは「ロマネスクの昼休みーRomanische Mittagspause」というタイトルで、開始時間は12:45。このところずっと☁だったり☂だったりで、気温は20度超えればいい方だったのに、今日は快晴で、いきなり33度。溶けそうなくらい暑い中、聖パンタレオン教会へ向かいました。下の写真は教会近くの公園。

聖パンタレオン教会の中はひんやりと涼しくて、助かりました。元は10世紀に創設されたベネディクト教会で、12世紀にバシリカに建て替えられ、19世紀に西翼が改築されたそうで、なかなか長い歴史のある教会です。

講壇と懺悔室があるので、カトリック系ですね。

コンサートの演奏者はアンサンブル・ミクストゥーラ(Ensemble Mixtura)というアコーディオンとシャルマイ(Schalmeiまたはショーム)のコンビ。シャルマイはもともとはイランのSornay、トルコのZurnaがヨーロッパに渡って進化したものと言われており、中世及びルネサンス期に最盛期を迎えた楽器です。バロック時代になり、オーボエが登場してからはほとんど姿を消していたのだそうです。20世紀半ばにある種の『再発見』があり、中世・ルネサンス音楽の演奏を始め、フォークなどにも使われているのだとか。

演奏された曲は全て現代の作曲ですが、14世紀の音楽にインスピレーションを受けているとのことでした。実際中世のお祭りなどで演奏されたようなメロディーもあり、なるほどと納得のいくものでした。演奏された曲の題名などは全然言及されなかったのでさっぱり分かりませんが、アルプスに放牧されたヤギや牛を思い浮かべてしまうような牧歌的な曲もあれば、中世の修道院に好奇心と一種の畏怖感というか緊張感を持ちながら入っていって、探検しているうちにおどろおどろしい雰囲気になり、終いにはなんかやばいものが出てきた、というイメージ(私の勝手な脳内変換)が湧いてくるような曲、ホラー映画のサウンドとしか思えないようなものとかもありました。そうかと思うと、演奏者の足元にとっちらかってる紙をアコーディオンの和音(あるいは不協和音)に合わせて破くパフォーマンスや、足を踏み鳴らして効果音として使ったりと、非常に面白かったです。毎日聞きたいとは思いませんけど。シャルマイのよく通るメリハリのある音にかぶさるアコーディオンの伴奏が教会の荘厳さの中でゆったりと響き渡る時、未知の世界へ誘うような不思議な気持ちになりました。

聖ウルズラ教会

二つ目のコンサートは聖ウルズラ教会で、開演時間は20:00。聖ウルズラ教会は1135年からバシリカ。その後いろいろ増築されています。現在位置はケルン中央駅から北西に徒歩10-15分くらいのところです。尖塔のバロック風冠は17世紀のもの。

出演者はムジカ・フィアータ(Musica Fiata)とカペラ・ドゥカーレ(Capella Ducale)というグループで、ローラント・ウイルソン指揮の下、1650年のベネチアを音楽的に再生。モンテヴェルディと彼と同時代人の作品が演奏されました。楽器は見てわかる限りではオルガン、ヴァイオリン、ハープ、トランペット、ファゴット、テオルボ。そして男女混成の合唱団。ベネチアのサンマルコ聖堂のように、聖ウルズラの2階席及び祭壇の奥行で独特の音響空間が再現される、とのこと。

実際、素晴らしい音響でした。音楽もこれぞまさに教会音楽という感じでしたが、バッハとは一味違う中世的な素朴さがあり、ロマネスク様式の教会によく合ってると感じました。バッハはバロック教会というイメージですが。

曲目によって舞台に上がる歌手の人数が変わり、女声だけあるいは男声だけの曲もありました。楽器は決して歌声の伴奏ではなく、むしろ歌声の方が楽器の一つになっていたように感じました。

出入り口でCD販売していたので、2つ購入しました。2つで25ユーロ也。大量生産でない分割高ですね。ライブには若干劣るとはいえ、満足な音質です。

 

聖アンドレアス教会

三つ目のコンサートは聖アンドレアス教会で22:00から。この教会はケルン大聖堂・ケルン中央駅から徒歩3-5分くらいのところにあります。私たちは聖ウルズラ教会から歩いて移動しました。この教会も10世紀に創立され、12世紀にクロッシングが加えられ、更にゴシック様式の聖歌隊席などが中世後期に増築されました。

さてこの教会の中に入って、困ったことが起こりました。私はダニ、ハウスダスト、カビなどに対するアレルギー持ちで、古い教会では場所によってアレルギー反応を起こしてしまうのです。聖アンドレアス教会はまさにアレルゲンの宝庫だったようで、入ってしばらくすると咳が出て、息ができなくなるほど。コンサートが始まった直後でしたが、取りあえず外へ出ました。残念ながらマスクの手持ちがなかったので、どうしようかと考えた末にハンカチを鼻と口に当ててもう一度はいることにしました。すぐに出られるように出口近くに座ったので、楽器などはあまり詳しく見ることはかないませんでした。でもハンカチで何とかコンサート終了前の約1時間持ちこたえました。若干苦しかったですが…

演目はケルンのドミニク修道会系尼僧院パラディーゼ由来のあまり知られていないグレゴリオ聖歌。パラディーゼの尼僧の作も何点か入っている可能性がある手書きの礼拝式聖歌集を再現したもの。マリア・ヨナス(Maria Jonas)指揮で女性ばかりの合唱団アース・コラーリス・ケルン(Ars Choralis Coeln)が出演。女声によるグレゴリオ聖歌は初めて聞きましたが、これも教会で聞くと美しくていいですね。心が洗われるようです。

難を言えば、どの曲もなんだか同じように聞こえることでしょうか。楽器が変わるので辛うじて違う曲だと分かる感じです。この点では男声によるグレゴリオ聖歌も同様なのですが。

今日は比較的珍しい演目のコンサート3つを堪能できて、贅沢な一日でした。ロマネスクサマー・ケルンは明日で終わりです。明日はバッハやシューベルトなどのメジャーどころやジャズなどの現代的な演目みたいです。フェスティヴァル中一番おいしいプログラムは今日だったと思いますね。

明日は今日休んだ分の仕事をしないといけません。では、おやすみなさい。


オペラ:ドニツェッティ『ルチア・ディ・ランマーモール』~ケルンオペラ座にて

2016年06月19日 | 日記

昨日、6月18日、ケルンのメッセ会場の近くにできたオペラ座でドニツェッティのオペラ『ルチア・ディ・ランマーモール(Lucia di Lammermoor)』を見てきました。

『ルチア・ディ・ランマーモール』自体はイタリアのロマンチックオペラのプロトタイプと言うべきベルカント・オペラで、表題となっている主人公のルチアが若きアシュトン家当主・弟のエンリコによって無理に政略結婚させられた夫を刺殺し、永遠の愛を誓い合った恋人で家族の政敵であったレイヴンスウッド家の生き残りであるエドガルドとの結婚を言祝ぐ発狂アリアを歌うところでドラマの頂点に達し、夫を殺し発狂したルチアが自殺し、それを知った恋人エドガルドが絶望して自殺して終わる悲劇です。レイヴンスウッド家とアシュトン家と名前が英語なのは、このオペラの元になっている小説が「ランマ―モールの花嫁(The Bride of Lammermoor)」というウォルター・スコットの小説(1819)だからです。オペラ化に当たってファーストネームだけイタリアナイズされたそうです。1835年が初公演だったそうですが、ケルンのオペラ座では今年度が初演。原作の小説を読んでみるのもまた一興かもしれません。

ルチア役のOlesya Golonevaが父親の急死により出演不能で、代役のTatjana Larinaが出演しました。最初の方は声の伸びが悪く、弱々しい感じがしましたが、舞台の進行とともに調子が出てきたのか、弱々しい感じは目立たなくなっていきました。基本的にきれいなソプラノで素晴らしいコロラトゥーラを披露してくれましたが、きゃしゃな体型のせいなのか、声に迫力が足りない印象を受けました。

恋人のエドガルド役(Jeongki Cho)も殺される夫のアルトゥーロ役(Taejun Sun)も韓国人で、音楽監修もEunsun Kimという韓国人。そのせいか韓国人の観客も普段より多かったようです。Jeongki Choはケルンオペラ座ではお馴染のテノール歌手で、ちょっと腰砕けになりそうないい声なのですが、演技力の方は今一つ動きが硬くて、ところどころ台無しな感じなのが残念です。

姉ルチアの恋を引き裂き、自分のひいてはアシュトン家の将来のためにルチアと自分の友人であるアルトゥーロの結婚を決めてしまう弟エンリコ演ずるBoaz Daniel(バリトン)も悪くはなかったです。演技力はエドガルド役よりあったのではないかと思えます。思わず殴りたくなるほどの悪役でした。

ライモンド(神父)役のHenning von Schulmanが歌うバスもなかなか素敵でした。非常に背の高いスマートさはバス歌手としてはあまり有利な体型ではないのかも、とも思ってしまいましたが。【重低音】の【重】が足りない感じがしたのは、見た目からの錯覚なのか、実際に声に重みが足りなかったのか判断に迷うところです。

舞台設定はナチスが没収したというハウス・トゥーゲントハットをモデルにした大きな階段が特徴的な二階建ての家。エドガルドの属するレイヴンウッド家が所有していた邸宅をアシュトン家が没収し、そこに住んだことを踏まえたアナロジーだそうですが、そういうムリなアナロジーはなくてもいいと思いますし、実際ハウス・トゥーゲントハットを目にしたことがなければそれがアナロジーであることすら気付かれない、どちらかと言うと独りよがりな舞台演出のような気がします。でも舞台セット自体は階段をうまく使うことができていいと思いました。

これはちょっと。。。と残念に思ったのが、結婚式で集まる親戚一同の集団の動きですね。動きがばらばらで、コレオグラフィーが全然なってない。音楽と舞台全体の絵をぶち壊しにするような意味のない(と思われる)個別の動きが目障りでしょうがなかったのです。特に発狂シーンでのそれは本当に台無しでした。

あと、舞台では兄エンリコが友で妹の夫となったアルトゥーロを殴り殺してたようにしか見えなかったことが変でした。一緒に見ていた旦那もそう見ていたので、勘違いではなくそのような動きだったのでしょう。でもライモンドが歌う歌詞の方は「ルチアがアルトゥーロを殺してしまった」となっているので、余計に腑に落ちないいらだちが感じられました。そして、ルチアは血まみれで発狂アリアを歌うはずなのに、エンリコが殺したので彼女に返り血は当然なく、凄い違和感でした。でも、他の舞台写真では血まみれ演出があったので、私が見た回だけ(代役だから?)違っていたのかも知れません。

全体的に悪いとは言えませんが、なんとなく不満の残る舞台でした。ベルカント・オペラは本来物語ではなく、舞台上のシーンと音楽で観客を感情的に揺さぶるオペラのはずなのに、いろんな欠点が目について感情的に揺さぶられることは残念ながらありませんでした。アリアのテンポが速すぎて情感を表しきれなかった疑いもあります。


ドイツ・アイフェルの片田舎を歩く

2016年04月10日 | 日記

今日はアイフェルの片田舎に住む友人を訪ねたついでにそのご近所を散歩してきました。

アイフェル(Eifel)とはドイツ西部からベルギー東部にかけて広がる標高の低い山地。ノルトライン・ヴェストファーレン州の南西部、ラインラント・プファルツ州の北西部、ベルギーのドイツ語共同体の南部にまたがる広範な地域を指します。私の友人が住むところはアイフェルでも北部の方になり、ヘレンタール(Hellenthal)というベルギー国境に近いところです。ボンから西へ約70㎞。アウトバーンを使わずに1時間ちょっとのところです。特に観光客が来るようなところでもなく、別荘やホテルが密集している地域から外れた片田舎で、見渡す限り森と牧草地が広がるのどかなところです。標高は300-350mくらいのところが多く、気温はボンやケルンなどの低地都市部と比べて2-3度低いことが多いです。

 

もう10年以上前のことですが、初めて自分で車を運転してヘレンタールまで地図を頼りに行った時、残念ながら友人宅にたどり着くことができず、ベルギー国境を目の前にして初めて道を間違えたことに気付き、慌てて来た道をちょっと引き返して、近くのスーパーの駐車場に車を止めて友人の旦那さんに迎えに来てもらったことがありました。当時はカーナビがなかったので大まかな方向は標識を頼りに走ることができても特定のお宅を訪問するのには随分苦労したものです。

友人宅は森林に隣接しており、裏庭を抜けるとすぐに道ならぬ道が森・牧草地へ向かっています。

 

森と牧草地に挟まれた整備されていない道を歩いていくのはなかなか骨が折れます。幅30㎝位の小流があったり、ぬかるみがあったり、はたまた鹿のふんや兎のふんなどがあったりして、油断できません。

緩やかとは言え傾斜があるので、散歩というよりはハイキングに近い感じです。

その道なき道を上り切ると、若干舗装された道に出ます。道沿いによく植えられているのが柳の一種ザールヴァイデ(Sal-Weide、学名Salix caprea)で、ちょうど花が開きかけている所でした。ザールヴァイデは別名ケツヒェンヴァイデ(Kätzchenweide、子猫柳)と言いますが、私が知っているネコヤナギとはまた違うようです。

その舗装された道から見える景色はなかなか見渡しが良く、なだらかな丘陵地帯が広がっています。発電風車も珍しく全機回っていました(いくつか止まっていることが多い)。写真では遠くてあまり分からないかもしれませんが。

てくてくと村の方に向かってまた歩いていくと十字路があり、お約束のごとく十字架が…

その数メートル先はもう村の入り口で、黄色い標識が立っています。

さて、村に入るとちょっと花が咲いていて、春を感じることができました。気温は12度くらいでしたが。

 

村のチャペル。正面から見ると正方形のように見えますが、後ろ(祭壇部分)は半円形に丸く外にせり出していました。

よく手入れされた庭が羨ましいですね。

地価が安いせいでしょうが、どこも広々とした庭があり、ゆったりとしたテラスやバルコニーやガラス張りの温室(ヴィンターガルテン、Wintergarten、「冬の庭」という)があったりして、「いいなあ」とため息が出るほどです。

こうして小一時間ほどのハイキング的散歩を終えたのでした。


イェーテボリ交響楽団、ケルン公演

2015年11月10日 | 日記

11月10日、イェーテボリ交響楽団(Göteborgs symfoniker)のケルンフィルハーモニーでのコンサートに行ってきました。


指揮:ケント・ナガノ
バイオリン:アラベラ・シュタインバッハー

曲目
シベリウス、フィンランディア op.26(1900)
メンデルスゾーン、バイオリンコンチェルト 、ホ短調、op.64 (1838–44)
ブラームス、交響曲第1番、ハ短調、op. 68 (1862–77)



シベリウスは、あまり馴染はないのですが、コンサートの出だしとして適した小品で、素敵な曲でした。

メンデルスゾーンのバイオリンコンチェルトは有名過ぎて、私も耳が肥えてしまっているので、バイオリニストの力量不足がちょっと耳に触ってしまったような気がしました。バイオリンがオケに負けているような、深みが足りないような、そんな感じでした。
それでも、シュタインバッハーさんがアンコールで演奏してくれた曲は、題名は聞き取れなかったのですが、面白い曲で、彼女の技巧の高さがよく表れていたような印象を受けました。

ブラームスの交響曲も有名ですが、私は普段ブラームスも交響曲もそう好んで聞いたりしないので、新鮮でした。ティンパニーは迫力があり、フルートは繊細。本当に鳥肌が立つほど素晴らしい演奏でした。

指揮者のナガノさんの気前が良かったのか、オケ団員の時間的な余裕があったのか、アンコールで2曲も演奏してくれました。1曲目はグリークのペール・ギュントより『朝のすがすがしさ(Morgenstemning)』。2曲目は知らない曲だったのですが、間違って聞き取ったのでなければ『スウェーデン舞踊曲』という、思わず踊りだしたくなるような、かわいらしい感じの曲でした。

結局演目に入ってた3曲の他にアンコールで3曲、トータル6曲を堪能させていただきました。
実は、このコンサートのチケットはメルマガ購読者だけが注文できる2割引きお得チケットでした。その上に、3曲もアンコールで演奏してもらって、すごく得をしました。
仕事を早めに切り上げることができず、帰宅後は着替えて、軽く食事してすぐ、慌ただしくケルンに向かったので、コンサートが始まるまで結構ストレスを感じていたのですが、終わった後はこのお得感もあって、上機嫌


コッテンフォルストの森を歩く(2)~ドイツ統一記念日

2015年10月03日 | 日記

今日は25年目のドイツ統一記念日です。4半世紀というのは一つの節目なのでしょうが、毎年「東西ドイツは本当にともに発展したのか」というような歴史振り返り記事や式典などやっていて、少々食傷気味になっています。私がドイツに来たのはベルリンの壁が崩壊した後の1990年3月末で、まだ通貨統合の前でした。それからあれよあれよという間に同年の10月3日正式に東西ドイツ統合ということになってしまいました。そういうわけで、自分がどれだけ長くドイツにいるかを計るには良い目安となっています(苦笑)。
ドイツの未だにある東西格差などについては、また別の機会に回すとして、今日は天気も良く、祭日で買い物にも行けないので森に散歩に行きました。多くの人たちが同様に考えていたようで、結構な人出でした。


今回行ったところはボン西部に広がるコッテンフォルスト (Kottenforst) の中でもかなり人気のある「ヴァルダウ (Waldau)」というエリアで、私の近所の森より南に位置しています。ここは親子連れに対応した子供用の遊び場や、子供向けの木々や動物の説明等がところどころにあり、またイノシシやシカを囲っているところもあるのが人気の理由です。昔このエリアの近所の女子寮に住んでいたことがありましたが、久々に行ったら、パンフレットまでできていて驚きました。


こちらがイノシシたち。
  

さすがにオスは迫力の大きさです。囲いのないところでは絶対に出会いたくないですね。大人しくクリやドングリなどのエサを食べてるところなら、そっとそばを通り抜けても危険はないでしょうけど。
このイノシシの囲いの隣に鹿の囲われているエリアがあるのですが、人の多さに恐れをなしたのか、しかの姿は全く見当たりませんでした。

ヴァルダウ・エリアはブナ、オークの他、松、菩提樹などが多い混交林で、自然保護区域ではなく、適度に林業に利用されています。昔、18世紀から19世紀末ころまでは果樹園があったそうで、その名残で多少果樹が残っています。



鳥類観察のための小屋も設置されてます。


森の出入り口にはカフェ。バス停も目の前にあります。


昔はこのカフェで散歩の後にコーヒーとケーキを頂いたものですが、今日はお水持参でしたので、寄り道せずに帰宅して、家でまったりとコーヒーを頂きました。


ドイツ・ボンの森、コッテンフォルストを歩く

2015年09月27日 | 日記
今日は、天気も良く、日中最高気温20度近くと、温かい絶好の散歩日和でした。
コッテンフォルストはドイツ、ボン市の西部に広がる比較的大きな森林地帯で、その多くが自然保護区域です。そのため、指定の遊歩道から外れて森の中に入ることは禁じられています。アカシカ、ノロジカ、アナグマ等がいるらしいのですが、実際に出くわしたことはありません。

天気の良い日曜日は、散歩、サイクリング、ジョギングなどを楽しむ市民で賑わいます。
   

コッテンフォルスト周辺は乗馬用の馬の飼育場や馬場が数件あります。

 

森の中を自由に乗馬することは許されていません。乗馬用に決められた道があり、青地に白の馬の標識でそれと分かるようになっています。


乗馬用の道に歩行者が立ち入ることは基本的に禁止されてますが、まあ、馬糞を踏む危険を冒してまでわざわざ立ち入ろうとする人はあまりいないのではないでしょうか。

コッテンフォルストは特にブナやシデが多いため、秋でもあまり秋らしく色づくことはないので残念なのですが、それでもところどころ楓もあり、少し色を添えています。


しかし、やはり目立つのはセイヨウナナカマドの赤い実でしょうか。ドイツ語ではVogelbeere「鳥のベリー」と呼ばれている木で、街路樹としても好まれています。


ちょうど、ナナカマドの木に止まっているズアオアトリをカメラに収めることができました。


残念ながら、森は高速道路で分断されています。


森の端の方は農耕地が隣接しています。ちょうどビートの収穫が終わったところのようで、大きなビートの山ができていました。

 

秋の森といえばキノコ類です。田舎育ちでない私は残念ながらキノコ狩りの経験がなく、日本にあるキノコ類とも違うので、どれが食べられるものなのか区別がつきません。食用キノコによく似た毒キノコもあって危ないということなどで、素人が手を出すのは控えた方が良さそう。カメラに収めるだけで満足しましょう。



今日の散策は2時間余り。良い運動になりました。