懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,569 岩木山と茅葺民家

2022年04月12日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 青森県つがる市

津軽地方は茅葺民家は多いが、岩木山と一緒に撮るのは難しいものだ。
何軒か撮ったうちの一枚。
平野の中に忽然とある山は火山が多い。富士山、鳥海山 岩木山
強い圧力で押されて褶曲でできた山は単独峰でなく山脈が多い。南アルプス
中央、北アルプスは山脈であり火山である。

蒸気機関車 伯備線清音駅通過

2022年04月10日 | 蒸気機関車
D51型 蒸気機関車の牽引する貨物列車。
今は貨物列車はコンテナしか牽引していない。
鉄道ファンが電気機関車やディゼル機関車で、昔の貨物を牽引してほしいと言っていた。

写真の貨物も石灰石専用車や有蓋貨物を牽引している。
国鉄民営化でコンテナ以外の貨物は廃車されたのであろう。
個人のホームページを見ると、貨物を形式別に撮っている人がいる。
鉄道ファンは数が多いので凄い人もいる。

こんな蒸気機関車が走る光景は一日に何回もみられた。
しかし、当たり前の光景は平凡過ぎて気付かないものだ。
あっと思う間に50年が過ぎてゆく。50年の間には服装も風景、生活も変わった。

デジカメ時代になり一日に100枚撮影すると決めた女性がいた。
100枚撮るためには行動しないといけないし気付かなといけない。
道路工事の工事の叔父さんや町工場のおじさんも撮るようになった。
男は女性からカメラを向けられると優しい顔になるものだ。








懐かしい物 ミツマタのある風景

2022年04月09日 | 懐かしい物
茅葺民家の裏山に三椏(みつまた)が咲いている。
桜の咲く少し前に花は咲く。白と黄色の花である。

三椏は樹皮は和紙の原料になる。
お札には折れても破れない三椏が最適である。

和紙の原料には楮や雁皮がある。
和紙は千年は持つので文化財の修復や日本画や書道には欠かせない。
 
山を走っていると昔、栽培していた三椏が裾野や林に残っている。
花の時期にはよく分かる。

三椏は沈丁花科の植物である。沈丁花も枝は三又でよく似ている。 
沈丁花は有毒植物で常緑である。三椏は冬には落葉するのが違う。
沈丁花の挿し木は容易だが大きくなると移植は難しい。それと15年もすると自然に枯れる。寿命は短い。




桜並木は何時頃増えた

2022年04月08日 | 日記
桜並木

桜のシーズンになると全国各地に桜の名所がある。
城跡には大体桜を植えてある。田舎の河川の土手や川沿いに桜を植えている。山を切り開いて桜の園にしているところもある。ライフワークで沖縄から北海道まで桜の名所を追っている人もいる。桜の名所百選もある。百選制覇は定年族に手頃な目標である。百名山は体力も技術もいるし滑落や遭難の危険性もあるので誰でも出来るものではない。

いつ頃から桜並木が増えたのだろう。戦後すぐは食べる物も無かった。その頃はそんな心の余裕もなかった。私の記憶では高度成長期になり自然破壊や公害が問題になり桜公園や花公園を造り生活の潤いを求めた。岡山に住むようになり昭和40年代に植えられたものが50年経過して立派な桜並木になっている。染井吉野の寿命は60年から70年といわれている。岡山県に凱旋ザクラというのがある。日露戦争で凱旋した時に植えたもので100年は経過している。木は痛み樹勢も悪いが樹木医に手入れしてもらい、それなりに回復している。

何故、土手沿いに桜並木が多いのか
1.桜公園のように土地の造成が要らない。2.桜の根が土手の補強になる。3.花見見物客が土手を踏み固める。4.両サイドに植えると桜のトンネルになる。5.染井吉野は横に枝が張るので斜面に植えるのが良い。山桜は横に張らず上に枝を伸ばす。染井吉野は人間で言えば長男のような存在 自分勝手、財産は独り占め 6. 25メートルの間隔で植えれば400本 1Kmの桜並木なる。7.土手の斜面や河川敷で宴会も出来、車も駐車できる。

火野正平の自転車旅 こころ旅は視聴者の手紙をもとに火野が旅する。
奈良県の藤原京の近くの飛鳥川の土手の桜並木を訪れてほしい。
子供の頃にそこで育った85歳女性 現在は夫婦で中南米コスタリカに住んでいる。
戦時中は土手や近場の山の木は燃料に伐採された。戦後中学生の頃に桜の苗が土手に植えられた。どんな並木になっているか訪れてほしい。70年経過して太い幹になっている。木も元気そうだった。私の記憶にも戦後しばらくしても近くの山の木は燃料に伐採されはげ山が多かった。


茅葺民家  佐賀県の民家

2022年04月07日 | 茅葺き民家
撮影場所 佐賀県旧北方町 

まだ佐賀県には茅葺き民家が残っていた時代だ。
デジカメは持たずフィルムで撮った。
春であった佐賀では3月25日には桜は満開だった。
岡山に帰ってまた満開の桜が見えた。
手前の茅葺き民家には紫モクレンがあと少しで咲くだろう。
白モクレンだと桜の頃には咲いている。紫モクレンは10日程遅れて咲く。

この当たりを走っていたら炭鉱跡の看板があった。
特に廃坑の遺跡は残っていなかった。
佐賀県にも炭鉱はあったのだ。唐津炭鉱や許島炭鉱が有名だそうだ。

蒸気機関車の走っていた頃、長崎本線や佐世保線には来なかった。
今は廃坑や廃墟を撮る人が多い。ボタ山や炭鉱の廃墟跡はあったがほとんど撮っていない。
炭鉱こそ戦後の昭和を支えた産業だった。

九州の炭鉱は筑豊、田川 大牟田の福岡県、佐賀県、軍艦島の長崎県、の北部に偏っている。中国地方は宇部、小野田,美祢の山口県 に偏っている。

孫(高校生)の演奏会

2022年04月04日 | 日記
孫(高校生)の演奏会

ウクライナへロシアが侵攻して、休みの日は朝から昼間までワイドショーを見ている。
少しは希望的な話しがないかウクライナに平和がくるのを願って見ている。
そんな姿に同じ映像ばかり見て、頭がボケてきているのではと家内がいう。

たまには外にでてと、吹奏楽をやっている孫の定期演奏会に連れ出された。
3年生は卒業して新の3年と2年のメンバーだけで編成
1500人収容のホールに1000人は入った。父兄の家族、学校関係者が中心で
コロナ禍でこんなに人が集まる事は久しぶりだ。入場料500円
学校のクラブ活動も休止が長く続いた。練習時間も限られていただろう。
高校生になる上手いし迫力がある。家内は毎回見に行くが私は3回目
吹奏楽は盛りあがる波のような音響はジジィの脳天も感動で震え上がる。
いくら歳を取ってもこんな刺激は必要だ。

聞いた曲もいくらかあったが私の分かる曲も多かった。
チャイコフスキーメロディ,悲愴や白鳥の湖、くるみ割り人形、弦楽器が無くても聞けるものだ。松任谷由実の春よ、来い ZARD坂井泉水の負けないで、ルパン3世などマーチ

音楽はすべての楽器の音程、テンポ、強弱が合うときれいな旋律に聞える。
料理の鍋物やオデンの具材と同じでいい味を出すものだ。

歳を取ると脳の刺激が必要のは分かる。
人生の中で感動したのは夏の甲子園の入場行進。
PL学園の応援演奏は素晴らしかった。PLは宗教学校だし寄せ集めで好きでなかった。
清原、桑田のいた時代、地元だけあり編成も楽器も多い。スーザホーンなども何台かあった。
吹奏楽部のレベルも高いし、コンバットマーチなどやらない。
私はライトスタンドで聞いた。あの当時は外野はタダで何度も出入りしていた。
演奏は攻撃の時だけかとおもったら守備の時もシンセサイザーは音量を落とし弾いている
。打楽器も構えている。ファインプレーや併殺を取るとジャンジャンと応援する。
試合中休みなく演奏している人もいるのだ。
PLや大阪桐蔭は甲子園で演奏するのは1年2年のBクラスのメンバーと聞く。
マーチングバンドもyoutubeで見るのが楽しみ。京都橘や大阪桐蔭などは海外でも活躍している。

30年以上前に日本の若者の演奏レベルは高く結婚式や会合でバンドが出来ると書いてあった。福島市には毎年開催される福島音楽祭がある。作曲家の古関裕而氏の出身地。
氏の名曲を駅前広場で演奏し通行の人が歌詞を見ながら唄う.楽団の人も私服で硬くない音楽祭 youtubeで見える。コロナで三年休止しているのが残念。
にわか楽団も上手いものだ。



日本茅葺紀行 NO,568 桜と茅葺民家

2022年04月03日 | 懐かしい物
ともに京都府南丹市

桜と茅葺民家を探すが見つけるのは割と難しい。
今は茅葺も減り更に見つけるのが見つけるのが難しい。

しかし、京都北部には桜と茅葺を撮れるところはまだある。
南丹市は道路に沿い桜とモミジを植えあり春秋楽しめる。

過疎地は寂しいので沿道や土手に桜や花桃、レンギョウを植え華やかしている。

南丹市の桜は自分住む地の桜が咲いて1週間から10日に満開。