懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

懐かしの蒸気機関車写真展 その42 「峠越え」 米坂線宇津峠

2013年10月28日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 山形県飯豊町 米坂線手ノ子

宇津峠は分水嶺となっている。双方とも日本海へ流れているが北側は荒川となり新潟県に流れ、南は最上川となって酒田から日本海にながれる。
源流は荒川は飯豊山、最上川は吾妻連峰である。
米坂線は私のところからだと遠く何度も挑戦は出来ず一回だける撮影だった。
東京までは新幹線、東北本線、奥羽線経由、米沢で降りて米坂線に入った。
まだ山陽新幹線が開業していなかったので時間が掛かった。

米坂線沿線は現在も茅葺は民家の撮影でよく通る。日本海側を高速道路で走り新潟から一般道で山形へ入るのが一番近い。早朝に出発して夏場ならば夕方の撮影がまだできる。
新潟から山形に入る道に沿って米坂線が走っている、渓谷に橋、連続するカープ、撮影ポイントが沢山ある。宇津峠のある手の子駅を再び訪れた。あのころは茅葺民家ばかりであっただろうが雪で茅かどうかの記憶もない。現在は茅葺民家はまったくない。

あり頃は駅から峠を目指して雪の中をひたすら歩いた。
9600形の蒸気機関車が貨物の場合、重連か後続補機を付けて登ってきた。
峠付近は民家もなく山と雪と線路の世界だった。





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4 コメント

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Unknown (てらにし)
2013-10-30 22:52:09
あの有名な米坂の峠越え、初めてこの角度の写真を見ました。4110→E10→9600機関車と推移したところです。模型ではそれぞれ保有してはいるものの一度も行ったことのない所です。
今後の民家と蒸気機関車の写真が楽しみです。
土曜日は連載がありませんでしたので、ご健康を心配しました。
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コメントありがとうございます (mihoshi55)
2013-10-31 15:56:24
蒸気機関車も4110.E10になりますと現物は見たことがありません。雑誌でしか見た事はありませんがあの時代でも撮影していた人がいるのはすごい事です。フィルム感度も低いのによく撮ったものです。私のころは感度ISO400
のがありましたので楽でした。感度100のフィルムではきほとんどぶれていました。
ブログも毎日投稿はしんどいですね。新聞の休刊日のように時々休みたいものです。土曜日は家内の母親が高齢で肺炎になり命が危ないといわれ見舞いにいっていました。
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Unknown (ohtomo)
2013-10-31 20:24:11
SLが走ってたごろの写真ですか

一昨日も並行に走る国道を走ってきました
山関係で何度も通るここの国道、いつも通るたびに昔を思い出しております
あちこち、懐かしい旧道が残ってます
今思うと、こんな狭い道だったのかと思います

私がクルマの免許取ってここをドライブしたのは、22,23才の頃です(昭和48年ごろ?)
各地でSLさよなら列車が運行された頃です
当時は砂利道で何か所か踏切がありました
踏切で止まってSLをやり過ごしたこと覚えてます
そのごろは、別に珍しくもなく当たり前の風景と思ってました
もちろん、カメラ等には全く興味なくただ走るのみでした

あれから40年、今の交通量はあの当時では想像すら出来ませんでした

また沿線には絵になるような茅葺き民家もいっぱい存在してたのでしょう

一昨日、川西町玉庭地区通ってきましたが
いつも見てる茅葺き民家健在です♪
ただ、ニリンソウが土手にある民家は崩壊寸前でした
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 コメントありがとうございます (mihoshi55)
2013-10-31 22:21:00
米坂線も昭和47年3月14日に蒸気機関車は廃止になりました。
米坂線には茅葺民家はあったと思います。雪で気付かなかったか興味がなかった。
楽天3勝目これは大きいですね。
東北に勇気を与えますね。
星野さんは倉敷出身です市役所に垂れ幕をおろしています。星野さんは私と同じ歳、会社に水島中学の同級生だった人が三人いました。星野監督は番長だったといっていました。
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