懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

古い町並み 岡山県和気町

2013年09月04日 | 古い町並み
撮影場所 岡山県和気町

和気町の町の中に古い建物が残っているエリアがある。
茅葺き民家の国富家周辺にある。国富家は現在、国の重要文化財になっていて正面に立て札などが立ち生活感が無くなった。
この家は長屋門はきれいに撮れるが母屋が木が生い茂り塀もあり撮りにくい。
母屋の造りも立派である。電気工事用のリフトにでも乗らないと撮れない。
長屋門の中から見せてもらったが江戸時代のままである。。照明も少なく三脚を持っていなくて中はとれなかったのが残念

その周辺に塀で囲まれた古い民家が並んでいる。
和気町は和気清麻呂の出生地との事でこの名が付いたそうだが遠い昔の事、史実がどうか調べた事もないので何とも言えない。








古い町並み 倉敷市玉島長尾

2013年08月19日 | 古い町並み
撮影場所 倉敷市玉島長尾

古い町並みで昔ながらのどこか懐かしい風景をとりあげてみた。
古い看板の薬屋、ナマコ壁の倉を事務所につかっている。事務所の内部(おおよそOA聞きには縁がないし) 土塀の路地、板塀の路地








古い町並み 岡山県倉敷市茶屋町

2013年08月11日 | 古い町並み

倉敷市茶屋町に古い町並みが残っていた。
明治以降の建物であろうか
21世紀になった現在、今まで残った町並みも少しづつ変化している。
茶屋町も瀬戸大橋線が開通して岡山高松へと便利になり住宅地として評価が上がり土地もあるので大型スーパーも何店もできた。
それに伴い古い町並みも姿を消している。
多くの町並みはサッシの窓になっていたり古い建物の中に新建材の民家があったりで古さを出すのは難しくなっている。二軒三軒の古い民家を一杯古い民家群があるかのように見せる撮り方をするしかない。同じ場所をいろんな方向から撮影して古い民家が一杯あるように見せる。
電柱や車、ブロック塀、ガードレールは極力いれないようにする。人物も地元人だけにする観光客は風景になじまない。






古い町並み 倉敷市天城

2013年06月27日 | 古い町並み
撮影場所 岡山県倉敷市天城

天城には昔、陣屋があったといわれている。
昔ながらの狭い車一台が通れる道が続く
道の狭さが開発を遠ざけ古い民家が残ったのだろう。
残そうとして残った民家ではない。古い痛んだ民家は取り崩されていく。
手入れをすれば住める民家だけ残っている。
こんな町並みは今後残るかどうか難しい状況にある。
茅葺き民家と同じで住む人が残す意思がないと残らない。
建て替えが必要になったら更地にして郊外の新しい土地に家を建てるしかない。
駐車場も作れない昔の町並み。みんな歩いて移動していた時代
江戸や明治には車置き場など必要でなかった。
間口が狭く奥行きのある民家の造り、地震や火災にも脆弱である。
もう時代に合わない住居かもしれない。
しかし、長年住み慣れた土地や重厚な日本家屋に住みなれた人には軽い現在の家屋はなじめないのであろう。20年後こんな町並みどう変化するのであろうか

ここへは私の住んでいるところから近い、車を置くところがないので自転車できた。
カメラに白黒フィルムを入れて夕方の町並みを撮った。






古い町並み 井原市高屋

2013年06月23日 | 古い町並み
撮影場所 岡山県井原市高屋

高屋は山陽道の宿場町で岡山の西の橋にある。もう少し行けば広島県である。
県境や国境には山や川などがあり分かりやすいのだがここの県境には特徴がない。
いつの間にか広島県に入った感じである。
高屋のつぎの宿場は神辺である。
昔の町並みや民家が残る。
戦後まではこんな通りがメイン道路でほとんどの家ではなんかの店屋をやっていたと思われる。しかし、車社会になり道の狭さもあり衰退していった。
どこの古い町並みでも同じだがサラリーマンの家庭が多くなった。

古い町並みも指定を受けたところや観光資源として建物が残っているところはそれなりに観光を生業にやっていける。どこの町も町おこしや大河ドラマや朝ドラなどで取り上げられる事を模索している。
手を変え品を変え見世物を増やさないと10年、20年と観光客を呼ぶ事はむつかしい。
古い町並みは痛みが酷くなり取り壊され更地になるか観光資源として残るか厳しい分かれ道でもある。

高屋は「中国地方の子守唄」の発祥の地と言われている。この地方で唄われていた子守唄を山田耕作氏が音楽とした。島原の子守唄、五木の子守唄とともに三大子守唄といわれている。どの子守唄も母が子供を寝かせる歌ではなく10歳前後で子守の奉公に出た少女の恨み節でもあり当時の社会制度や社会の影が分かる。赤い鳥が唄い放送禁止になった竹田の子守り唄も子守の辛さを唄ったものである。
童謡の中にも「叱られて」のように奉公の辛さを唄ったものがある。








古い町並み 鞆の文具店

2013年06月19日 | 古い町並み
撮影場所  広島県福山市鞆

初めて鞆を訪れたのは昭和48年6月30日だった。梅雨の中の晴れた暑い日だった。
湿度が高く少し歩いただけで汗をかいた。何をするのにも億劫だった。
ヤル気のないまま撮影をしたが歩きまわり被写体を探す気にはなれなかった。
適当にフィルムに二本程度撮影されたネガが残されている。

なぜこの鞆にきたのであろうか、鞆や室津、御手洗は古い町並みで雑誌でも取り上げられていた。
昭和45年以降、古い町並みは観光客が訪れる事が多くなった。
木曽路や高山には大勢の人が訪れていた。
そんな事もあり鞆を訪れたのであろう。
まだその頃は蒸気機関車も走っていて鉄道の写真を主体的に撮っていた。
蒸気機関車が無くなれば古い町並みでも撮ろうと思ったが長続きはしなかった。
結婚して家庭を持つと写真を撮る事も止めてしまった。

 鞆の古い町並みに文具屋があった。これも昭和レトロであろう
こんな個人の店や古い日本家屋での商店は姿を消したもののひとつである。
コクヨの看板が見えるコクヨは越中国の誉れ 国誉が語源だそうだ。
今はカタカナや英語のロゴマークの社名がほとんどだが早くから採用していたのだ。





古い町並み 立ち話

2013年06月09日 | 古い町並み
撮影場所 岡山県玉野市八浜

八浜の通りの真ん中で立ち話、20分ほど話し込んでいた。車もほとんど通らない。
車が通るほど道が広くない。
近況や身体の事、家族の事、困った事など山ほど話す事があるのであろう。
昔はケアマネの役場がやることを近所の人が確認し手を差し伸べていた。
田舎のコミュニケーションのいい近所付き合いをしているところは年寄りや一人住まいには注意をはらっている。
古い町並みを撮り歩いていると地域の助け合いや近所付き合いを肌で感じる。
町並みや茅葺民家を訪ね歩くのも建物だけに眼をやるだけではなく暮らしを記録するのも役目かとおもう。
しかし、現在は暮らしそのものが難しくなっている。
年寄りも日中はディケアにいっているし歩きまわる年寄りが少なくなった。

二人話している光景も半逆光で二人の影が入った方がいいとおもう。

古い町並み  路地を歩く

2013年06月05日 | 古い町並み
撮影場所  岡山県倉敷市玉島

玉島の古い町並みを歩いていると板壁の路地を見かける。こんな板壁や漆喰の壁の路地は昭和レトロとして残しておきたい。
しかし、板だけにいつかは劣化して新建材にされるか取り壊される運命にある。
全国の路地を撮り歩いてている人がいる。
路地も1000カ所も撮り並べれば地域による特徴や材質も見えてくる。
路地の役割と機能もうんちくを語れるようになる。
路地学が生まれるのであろう。路地をテクテク歩き撮影するので「てくのろじー」という人もいる。
私も歩ければこんな写真にも挑戦出来たのであろうが残念である。

古い町並みも表通りは着飾ったよそいきの顔になっているところが多い。
路地は手を加えず昔のままのところが多い。表通りはよそいきの顔に歩く人も観光客りのよその人である。
よそいきとよその人では生活感のある風景は望めないので私は頭から撮影しない。
出来る事なら昔ながらの建築材料(石垣、板張り、漆喰、土壁)を使った風景を残したい。
アルミサッシや新建材、ガードレールや車のある風景は極力除外さけたい。







古い町並み 岡山県建部町

2013年05月13日 | 古い町並み
撮影場所 岡山県建部町(現在は岡山市)

岡山文庫の「岡山の街道」の本を見ていたら津山往来の項目のところで建部の町並みの事が書かれていた。建部は岡山と津山を結ぶ津山往来の途中にある。
このあたりは旭川の西岸に民家が並ぶが次の福渡へは舟で東岸に渡っていた。
福渡の町並みは昭和の建物がほとんどで私の好みでなかったので撮影せず。
この日は建部町鶴田の棚田地帯に茅葺民家があるとの情報を得てその前に立ち寄った。

建部には建部の森や八幡温泉、メダカの学校を立ち寄った事はあったがこんなところに古い町並みが残っていたとは知らなかった。通常は国道53号線は旭川の東岸を走るのので走る事はすくない。
建部駅の数百メートル東側であろうか、規模は百メートルくらいの短いが片面に民家が並ぶ。かっては商売をしていたのか今はひっそりとした町並みである。
待っていたが人通りもない。何の演出もなく素晴らしい町並みである。
車の駐車などもないので好都合である。古い民家に車は邪魔物である。ガードレールや道路の白癬や記号、ガードレール、電柱、道路標識も邪魔物である。
出来る限り入らないように構図で撮影するしかない。
車の場合は立ち退くまで待つかやんわりと移動をお願いする。
写真を撮るには「待つ」事と「交渉」する事は大切な事である。
撮影する行為は人間修行のひとつでもある。待って我慢すること最後までやり通す根性も必要で何歳になっても修行である。










古い町並み 玉野市八浜

2013年05月09日 | 古い町並み
撮影場所 岡山県玉野市八浜

八浜は現在、児島湾が干拓のため閉め切られ児島湖は淡水化された。
それまでは漁村として海路を運搬手段として生かせるため醤油や酒の製造をしていた。
私は昭和40年代後半に訪れたがその頃は標準レンズしか持っておらず狭い路地の撮影はできなかった。AFカメラになりズームレンズになり町並みの撮影は便利になった。
昭和40年代は岡山県の一部の町しか訪れていないので岡山県内を回る事とした。昭和40年代と平成では人々の服装などに違いがあった。
何かに使う予定もなかったが茅葺民家を撮影するついでに撮影した。
昭和の風景の残っているところを撮影した。

町並みの風景は変に手を入れないものが好きだ。「何も足さない何も引かない」を合言葉に自然のままがよい。富士山が自然遺産として登録されなかったのは「手付かずの自然」が残っていなかったためだそうだ。手付かずだったのは不法投棄のごみの処理と登山客の糞尿の処理だったといわれそう。
町並みも保存の運びもなく注目されずネットにも出る事もなく古い民家が残り日常の生活が営まれているところを最上とおもう。私はそんな場所を極力おとずれた。