道彦の散歩道

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07/28 「皿鉢料理」と「有職料理」

2013年07月28日 | 食・レシピ

【皿鉢料理】
「皿鉢料理」は、高知県の郷土料理である。また近年では、大ぶりの皿に刺身などを盛り合わせた宴会料理を指して「皿鉢料理」と言う場合もある。
農耕儀礼として行われていた五穀豊穣の祈願祭や収穫を感謝する収穫祭には、神前に様々な食材が供えられた。神事の後それら供えられた食材をおろし、御厨などで神饌として調進した。出来上がった料理は神に供えられるだけでなく、神事に参加した者も共に分かち合って食べた。この神と人とが共有する酒宴を直来(なおらい)と言い、神と人とが共に賞め合う神事の一つであり、重要な儀式とされていた。こういった伝統を受け継ぐ料理は、明治の中頃まで鉢盛り料理や盛り鉢料理とも言われ、日本中に残っていった。
現代の皿鉢の源流である器は室町時代から作られていた。当時の器は比較的深みのある高杯で、浅鉢、深鉢、大皿、大鉢など器に合った呼称で呼ばれていた。それらの器が「皿鉢」と総称され始めたのは江戸時代だと考えられている。現在の形状は様々であり、料理に合わせた皿鉢になっている。
土佐の郷土料理として庶民の中に定着していったのは、明治期以降から昭和にかけてである。同じ行事食ながら形式を重んじる本膳料理ではなく、皿鉢料理が受け継がれてきた理由として、共に食事を作る事で互いへの慰労を示し、一つの皿の料理を分け合って食べる事により連帯意識や仲間意識が養われるなど、地域や集落が共同生活を営む上でも極めて有用な「晴れ食」であった事が挙げられている。
高知では刺身を生(なま)と言い、生を盛った皿鉢と「組み物」の皿鉢、さらに「すし」の皿鉢を加え三枚の皿鉢料理の一応の基本とされる。

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【有職料理】
「有職料理」とは、平安時代の貴族の社交儀礼の中で発達した大饗料理が、公家風の料理形式として残ったものである。但し、現在「有職料理」と言われている物は、本膳料理などの影響も受け、平安時代当時のそのままの様式ではない。また、本膳料理を有職料理に含める定義もある。
『大饗料理』
長屋王邸出土木簡などから、奈良時代には既に貴族社会で接待料理が成立していたことが伺えるが、その具体的な形式は不詳である。
それが発達したものが「延喜式」に出てくる「神饌」と思われ、春日大社の神饌や、談山神社の「百味御食」などにその形式を残していると考えられている。
平安中期になると、貴族の中でも皇族、摂関家、それ以外の貴族の序列は動かしがたい物となり、その接待の形式として「大饗」が定められている。

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