道彦の散歩道

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07/25 「御節料理」と「本膳料理」

2013年07月25日 | 食・レシピ

【御節料理】

御節料理」とは、節日(節句)に作られる料理。特に正月に備えて年明けまでに用意されるお祝いの料理を指す。
「お節」の語原としては中国から伝わった五節供の行事が奈良時代の朝廷内で節会(せちえ)として行われ、そこで供される供御を節供(せちく)と言った。現在のような料理ではなく、高盛りとなったご飯などであった。
五節句の行事は江戸時代には庶民にも広まったが明治6年大政布告によって朝廷料理としては廃止された。
江戸時代、関西では「蓮菜飾り」、江戸では「食積(くいつみ)」と称し歳神様に三方などで目出度い食べ物を床の間に飾り、また年始の挨拶に訪れた客にも振る舞ったり家族でも食べたりした。傍麻によると、天明の頃までは食べていたがそれ以降は飾るだけで食べなくなって行き、正月料理は重詰めへと変化していく。
後の「東京風俗志」によると、煮物のお膳料理を「おせち」、祝い肴を重詰めしたものを「食積」と呼んでいる。現在は重箱に詰めた正月料理を「御節」と呼ぶようになった。
御節料理の基本は、お屠蘇・雑煮・祝い肴三種・煮しめ・酢の物・焼き物である。地方により、三つ肴・雑煮・煮しめの内容は異なる。
祝い肴の内容は関東では、黒豆・数の子・田作り(ごまめ)、関西では、たたきごぼう・数の子・田作り・または黒豆となる。また関西では睨み鯛といって三が日の間は箸をつけず睨むだけの尾頭付きの鯛を焼き、重箱に詰めて供される。

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【本膳料理】
「本膳料理」とは、日本料理の正式な膳立て。「食事をとる」という行為自体に儀式的な意味合いを持たせているのが特徴。
室町時代に確立された武家の礼法から始まり江戸時代に発展した形式。しかし明治以降ほとんど廃れてしまい、現在では冠婚葬祭などの儀礼的な料理にその面影が残されている程度である(婚礼の際の三三九度など)。更に、肝心の料理店自体が用語の使い方を誤っている例が散見される。単なる婚礼や法事の会席料理や仕出し弁当に「本膳料理」という名前を付けている例がある。
鎌倉時代、武家の間には「椀飯」という正月に御家人から将軍に料理を献上する儀式があった。当初は鯉一匹など簡単な物であったが、室町時代になり武家の経済的政治的優位が確立し、幕府政治の本拠地も公家文化の影響が深い京に移るに至って、料理の品数も増え、料理自体にも派手な工夫が凝らされようになった。
特に室町幕府の将軍を接待する「御成」が盛になってからは次第に宴会料理の形式が整えられていった。ここに「本膳料理」が成立したと考えられる。
献立としては一汁三菜、一汁五菜、二汁五菜、二汁七菜、三汁五菜、三汁七菜、三汁十一菜などがあったとされる。もっとも基本的な形は、本膳には七菜、二の膳には五菜、三の膳には三菜を配膳するものであった。

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