令和3年12月2日(木)
予を待ってくれたのは、
桜ではなくて、二木の松であった。
その松を三月越しに見ることが
できた。
「松」と「待つ」、
「二木」と「三月」と数を数え、
三月を見るを掛けている。
五月四日、名取川を渡り、仙台に入る。
五月四日、名取川を渡り、仙台に入る。
端午の節句の前日である。
画工の加右衛門というのが、
風雅の分かる者というので、付き合う。
仙台のあちこちを案内してくれ、
別れには紺色に染めた緒の草鞋をくれる。
まさしく風雅の人の贈り物であった。
松島を芭蕉と曽良が見たのは、
松島を芭蕉と曽良が見たのは、
元禄二年五月九日で、
見物したのはたった半日であった。
この後、十日・石巻、十一日・登米、
十二日・一関、十三日・平泉の旅である。
この日程は、紀行本文と違うが、
この日程は、紀行本文と違うが、
そういう本文は創作とし、
読み進むより仕方がない。
たとえ創作であろうとも、
たとえ創作であろうとも、
松島の本文はなかなかの名文である。
つづく。