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貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

敦賀市気比神宮③芭蕉翁月名句八首!感動もの!!!

2025-09-07 17:04:35 | 日記
令和7年9月7日(日)
敦賀市気比神宮③
 芭蕉はその夜に
「氣比神宮」を参拝し、
月明かりに照らされた
神前の白砂と
その由来に感動し、
次のように詠む。
「月清し 
  遊行のもてる 
    砂の上」
 翌15日、
亭主が言ったとおり
雨天となる。
 そして、
「名月や 
  北国日和 
    定なき」
という句を詠む。
 樹齢七百年といわれる
タモの木の前には、
高さ26m、横44m、
奥行き1.3m、 
重量が約30tの
巨大な句碑。
<芭蕉翁月五句碑>

 しかも
日本では数少ない自然石を
使用したもので、
上記の敦賀の地を詠んだ
“芭蕉翁月五句”
が刻まれている。
「國々の 
  八景更に 
   氣比の月」
「月清し 
  遊行のもてる 
    砂の上」
「ふるき名の 
  角鹿や恋し 
     秋の月」
「月いつこ 
  鐘八沈る 
     海の底」  
「名月や 
  北国日和 
     定なき」

 また、
別の「芭蕉と敦賀の月」の石碑には
他3句が刻まれている。
<芭蕉と敦賀の月の説明碑>

「中山や 
  越路も月ハ 
    また命」
「月のみか 
  雨に相撲も
    なかりけり」 
「衣着て 
  小貝拾ハん 
    いろの月」

敦賀市気比神宮②芭蕉翁の愉しみ中秋の明月!

2025-09-06 18:01:04 | 日記
令和7年9月6日(土)
敦賀市気比神宮②
<芭蕉翁立像>
 その夜、月殊晴たり。
「あすの夜もかくあるべきにや」
といへば、
「越路の習ひ、
 猶明夜の陰晴はかりがたし」
と、あるじに酒すゝめられて、
けいの明神に夜参す。
 仲哀天皇の御 廟也 。
 社頭神さびて、
 松の木の間に
 月のもり入たる、
 おまへの白砂霜を
 敷るがごとし。  
<芭蕉翁のこと説明>
 
 往昔、
 遊行二世の上人、
 大願発起の事ありて、
 みづから草を刈、
 土石を荷ひ、
 泥渟をかはかせて、
 参詣往来の煩なし。
 古例今にたえず、
 神前に真砂を荷ひ給ふ。
 これを
 『遊行の砂持と申侍る』
 と、亭主のかたりける。
「月清し 
  遊行のもてる 
     砂の上」 
 十五日、
 亭主の詞にたがはず雨降 。              
「名月や 
   北国日和 
     定なき」 」
と記されている。
 芭蕉の敦賀市訪問の目的の一つが、
美しい月の姿を句に詠むこと。
敦賀では特に、
“中秋の名月”
を心待ちにしていたようだ。
 1689年(元禄2)
旧暦の8月14日の夕方、
快晴の敦賀に入り、
宿の旅籠出雲屋の主人に、
明日も晴れるかどうかを問う。 
 出雲屋の主人は、
北陸の天気は変わりやすく
明日は晴れるか分からないので、
月見なら今晩の内にと・・・。
 芭蕉はその夜に
「氣比神宮」を参拝し、
月明かりに照らされた
神前の白砂とその由来に感動し、
次のように詠む。

「月清し 
  遊行のもてる 
     砂の上」
<芭蕉翁月五句碑>

~つづく。

敦賀市: 気 比 神 宮 ①交通の要衝に鎮座!芭蕉つるがの津に宿を!

2025-09-05 17:08:23 | 日記
令和7年9月5日(金)
 台風15号のお陰で、
しっかり雨が降り、草木も山も
生き生き!
 猛暑もこの二日間一寸お休み!
 有り難きかな?
さて、さて、敦賀市へ!
敦賀市:  気 比 神 宮 ①           
 敦賀駅の北1Kmほど。
 8号線に面して朱の大鳥居がある。
<大鳥居>

 この大鳥居は、
国の重要文化財。
 敦賀湾の最奥部。
 京都から北上して、
日本海へ向う道の終着点。
 当地から、東へ向えば越中・越後、
西へ向えば丹後。
また、
大陸への表玄関として、
交通の要衝に位置する
重要な場所に鎮座する。
 西に面した大鳥居を東へ進むと、
左手に猿田彦神社。
<社殿>
<阿吽狛犬>


 その先に、垣に囲まれた境内がある。
<気比神宮由緒>

 その前に、
芭蕉の像や句碑等が
整備されている。
<芭蕉翁像>

『奥の細道』には、
「漸白根が嶽かくれて、
 比那が嵩あらはる。
 あさむづの橋をわたりて、
 玉江の蘆は穂に出にけり。
 鶯の関を過て、
 湯尾峠を越れば、
 燧が城。
 かへるやまに初雁を聞て、
 十四日の夕ぐれ、
 つるがの津に宿をもとむ。
 その夜、月殊晴たり。

~つづく。

福井市: 玉江跡:朝六つ橋 清少納言から定家、西行、芭蕉そして今!?

2025-09-04 17:11:03 | 日記
令和7年9月4日(木)
福井市:  玉江跡:朝六つ橋    
<朝六つ橋>
   
 『奥の細道』には、
「漸白根が嶽かくれて、
 比那が嵩あらはる。
 あさむづの橋をわたりて、
 玉江の蘆は穂に出にけり。
 鴬の関を過て
 湯尾峠を越れば、
 燧が城、
 かへるやまに初鴈を聞て、
 十四日の夕ぐれ
 つるがの津に
 宿をもとむ。」
と記されている。
<朝六つ橋解説碑>

 朝六つ橋は、
清少納言が『枕草子』で、
「橋はあさむつ橋」をあげ、
催馬集にも歌われて以来、
藤原定家、
松尾芭蕉の歌句に
詠まれた名所である。
 その後、
近世には、
宿場町として
また交通の分岐点として発達。
 今は俤なし。
<西行と芭蕉の句歌碑>

 西行の歌は、
「越に来て 
  冨士とやいはん
   角原の 
    文殊がたけの 
     雪のあけぼの」
 芭蕉の句は、 
「朝六つや 
  月見の旅の 
    明けはなれ」 
が刻印されている。


福井市玉江跡二の橋③歌枕の証となる古歌三首と親鸞上人遺跡!

2025-09-03 17:04:54 | 日記
令和7年9月3日(水)
福井市玉江跡二の橋③
 歌枕となる証の古歌。
 まず、後拾遺和歌集の一首。

「夏刈の 
  玉江の芦を 
   ふみしだき       
   むれいる鳥の 
    立つ空ぞなき」。
 藤原俊成(古今和歌集)の歌は、         
「夏刈の 
  芦のかりねも 
   あはれなり          
   玉江の月の 
    あけかたの空」 。
 忠房親王の歌は、
「夏刈の 
  玉江の芦の 
   短夜に            
   見る空もなき 
    月の影かな」 
 承元元年(1207)、
親鸞聖人は越後に流されたが、
その道すがら沿道の人々に
一向念佛を説かれる。
 越後の親鸞聖人
七不思議の一つに、
「片葉の葦」
というのがあるが、
越前にも七不思議があり。
 その片葉の葦は
先年までここ花堂玉江一帯に
繁茂していて、
聖人の遺跡として
伝承されている。
 玉江二の橋の竣工を
記念して、有志相計り
聖人の御遺徳を偲んで、
この石碑を建立したという。
<親鸞上人遺跡>