貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

認められた遺跡群

2018-07-31 08:30:37 | 日記

認められた遺跡群

平成30年7月31日(火)

 薔薇の徒長枝は、一週間で伸びる、

のびーる。

 今年、5回目の剪定で整えた。

 さて、世界遺産に認められた遺跡群。

平泉市の 無量光院跡 だ。

 2017(平成29)年 7月15日 13:33~

 

 無量光院は、藤原秀衡が京都の平等院を

模して建立した寺院だったそう。

 当時は平等院の規模をも上回る煌び

やかな寺院だったが、度重なる火災で

焼失。

 今では、土塁や礎石が残るのみだが、

古の香りのするよき場所である。

 極楽浄土のおもかげ有り。


 2011年(平成23年)、「平泉-仏国土

(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的

遺跡群」の構成資産として世界遺産に

登録された。

 

ゆっくり一回りできるとよいのだが・・・。

ただただ眺め、回想するのみ・・・!


射殺と黒酢:ええ加減のよさ

2018-07-30 08:15:49 | 日記

射殺と黒酢:ええ加減のよさ

平成30年7月30日(月)

 文月も晦日。

 猛暑と西進台風で明け暮れる。

 高橋こうじさんの『・・・日本語の不思議』

に、義経・弁慶に因んだものがあった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 舞台『義経を守る男」で弁慶を役を演じる

ことになったオサムさんは台本を読んで

呆れてしまった。

 仲間が追っ手に襲われて死んだことを

知った弁慶が泣く場面の台詞に、

「射殺されるとは、むごい。」

とあったから。

「射殺?弁慶が生きたのは刀と弓矢の時代

だぞ」

 そこで、演出家の所へ行き、台詞の変更

を訴えたが、一言言われただけで・・・。

 演出家の一言とは?

 これは、正解した。

「いころされる」と読めばよい。

 日本語の不思議「射殺」の解説には、

「でも『しゃさつ』と読んでも間違い

ではない。

 弓矢で射て殺すことも「射殺」(しゃさつ)

だから。

 しかし、銃が発明され、「射殺」(しゃさつ)

が適用されたみたいになったのでは・・・。

 確かに、射殺というと銃がイメージされる。

 そして、「黒酢」。

 辞書では、「昆布や椎茸を焼いてすり潰し、

酢に混ぜた物」。

 現在、多く売られている黒酢の原料は、

玄米だけだそう。

 新たな言語をつくらないで、「黒酢」に

間借りしたよう。

 わかると、ほんとに日本語ってええ加減

というか、不思議で面白い。

 日本語の家に住んでいる日本人って、

ええ加減で面白い民族かな。

改めて、義経堂。

そして、弁慶のお墓。

 

 

 

 

 


珍台風12号の後の驟雨

2018-07-29 08:32:24 | 日記

珍台風12号の後の驟雨

平成30年7月29日(日)

 現在台風12号は、広島から山口付近?

そして、青梅は、再度の驟雨!

 青梅でも避難準備の予報が、昨夜ながれ、

小河内ダムの放水のサイレンがけたたましく

鳴る。

 そんなに降り続いている感じではないが

・・・・。

 土砂災害等おきゃすい場所も多いから、

ほんとに早めの知らせ。

 有難きかな?

 今朝の歩行禅、多摩川の様子を写真に

おさめてこようといそいそと・・・。

多摩川橋で。上流を。

橋のたもと、やはり泥水で増水している。

 そして、小作の堰、上手。

 中の島もちゃんと残っている。

堰の下手は。

水の動きがなお激しい。

調布や狛江の方へ行くと水量も凄いだろうな?

 取りあえず青梅での珍台風12号の被害は・・・?・・・

ないだろう。一安心かな?

 只今、狐の嫁入り状態の天気に早変わり!

 


水は熱の銀行!?

2018-07-28 09:50:11 | 日記

水は熱の銀行!?

 平成30年7月28日(土)

 気象エッセイストの倉嶋厚さん。

「水は熱の銀行」だと・・・。

 その原理。

「水は水蒸気になるのに、1㌘につき

約600カロリーの熱を周囲から奪って

大気中に浮かぶ。

 これを、「潜熱」と呼ぶ。

 気温が上がると蒸発が盛んになり、

潜熱が進むことで地表の暑さは和らぐ

のだそうだ。

 これは、各国の中央銀行がお札を

集めたりして、景気の過熱を防ぐのに

似ているということからだ。

 台風12号の進路予想。

「えっ、こんな進路初めてだ。」

 今青梅は降ったり止んだり・・・。

 どうか、西日本へは、という祈りは

多くの日本人の心からの願い・・・。

 豪雨、炎暑、台風という複合災害は、

余りにも過酷。どうか、どうかと祈る

・・・・・・・・・・・・・・!

 今朝の「編集手帳」に思う。

 「夏草や 兵どもが 夢の跡」 と。

 続いて曾良の句も並ぶ。


 「卯の花に 兼房みゆる 白(しら)毛(が)かな」 。

 頼山陽の三男、頼三樹三郞の平泉の歌碑も

ある。

    

 義経の墓も参り、妻子も道連れ自刃の悔しさは

いかばかりであったろう?

義経堂参拝。

最後の義経

義経の墓石

 

可愛い阿吽随神像

 戦や闘いは、いつの世も、どこでもつきもの。


 生き物の性なのだろう。

 幼い時からの教育の機会が全ての人に

与えられんことを願うのみ! 

 高館義経堂は、毛越寺の管理下であった。

 高館も印象深い所となる。

 

 

 


城春にして草青み

2018-07-27 08:22:42 | 日記

城春にして草青み

平成30年7月27日(金)

 今の室温は25度。

半袖・半ズボンではちと涼し?

 義経堂の分かれ道。

芭蕉句碑に誘われる。

 北上川を見下ろす風景は見事!   

 東を望むと、北上川の向こうに

秀峯・束稲山が見える。

 この山は、かつて安倍頼時の時代に、

桜の木を一万本植えたといわれる桜の

名所。 

 黄金文化華やかし藤原三代の頃は、

さぞや見事な花が山々や川面を彩った

ことだろう。 

『奥の細道』<平泉>の項では、

「三代の栄耀(えよう)一睡の中(うち)に

して、大門の跡は一里こなたに有。

 秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ

形を残す。

 先(まづ)高館にのぼれば、北上川

南部より流るゝ大河也。(中略)

『国破れて山河あり、城春にして

草青みたり』と笠打敷て時のうつる

まで泪を落し待りぬ。」

と記し、あの句を残す。

芭蕉の句碑と説明

芭蕉句碑 「奥の細道300年』記念碑だ。

「夏草や 兵どもが 夢の跡」

書字も見事!

つづく。