貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

揶揄句?????

2021-10-26 11:43:37 | 日記
令和3年10月26日(火)
草臥て 
  宿かる比や 
      藤の花

◎旅の道の困難さに疲れ切った芭蕉が、
愚痴をこぼしているような文章と俳句。
 自分が好んで行っている旅に
疲れ果てた芭蕉は、
それでも藤を仲間に引き入れて俳句を詠んで、
じっと疲労を耐えて見せている。
 たそがれ時の藤の花は頼りなさそうに
見える。
「此や」の切れ字「や」は、嘆きの心を
示していて、「藤の花」を装飾している。
 吉野にて花を見た後の満足が、
疲労と宿探しによって少し削られ、
さらにたそがれの色も定かでない藤によって
揶揄されている。


旅の疲れも・・・愚痴の一句?

2021-10-25 13:59:08 | 日記
令和3年10月25日(月)
草臥て 
  宿かる比や 
      藤の花
 歩き疲れて宿屋を求める夕暮れ頃、
藤の花が私の目をとらえる、
の意。
 貞享五年(1688)の作。
 4月25日は、惣七宛書簡の
「ほととぎす 宿かる比の 藤の花」
が初案で夏来る。
 『猿蓑』の前書きは、
「大和行脚のとき」。
 それを出発からほど近いころの吟と
とらえ直し、本文
「旅の具多きは道さはりなり。・・・
道猶すゝまず、物うき事のみ多し」
と対応させたもの。


旅の具の重さも身に沁みる・・・加齢?

2021-10-24 16:29:33 | 日記
令和3年10月24日(日)
旅寐して 
  みしやうき世の 
     煤はらひ
 この煤払いの習慣は、私が生誕地を離れる
十八歳まで、田舎では風習になっており、
近隣で一緒の日にやっていたような記憶が
残っている。
 日本手ぬぐいでマスク代わりにして、
やっていた。
 煙突掃除もいっしょだったなあ。
 さて、俳諧師の日常を簡潔な一句に
まとめた世間離れの秀句を、本日も。
 旅の具多きは道さはりなりと、
物みな払い捨てたれども、
夜の料にと紙子ひとつ、合羽やうの物、
硯、筆、紙、薬など、昼餉なんど
物に包みてうしろに背負ひたれば、
いとど臑(すね)よわく力なき身の、
あとざまにひかふるやうにて
道なほ進まず、ただものうきこと
のみ多し。
 そして、次の句へ。
 次回に!

浮世離れの俳諧師の常を詠う!

2021-10-23 11:17:15 | 日記
令和3年10月23日(土)
 師走十日余り、名古屋を出でて
旧里(ふるさと)に入らんとす。
旅寐して 
  みしやうき世の 
      煤はらひ
 江戸城内の煤払いは、師走十三日に
行われたので、庶民もこれに倣って、
一斉に煤払いを行った。
 これは家にいる者が、皆で協力して
賑やかに行ったものだ。
 それで、昔、父母が健在であった
幼年時代を思い出し、世間の習慣など
忘れて旅寝してきた自分も、
賑やかな人々を見て、今の年老いた身を
思い、旅寐という浮世離れした日々を
送っている自分を思うという。
 俳諧師の日常が、如何に浮世離れして
いるかを、
簡潔な一句にまとめたところが面白い。


森羅万象、闇から生まれるのだ!

2021-10-22 16:01:53 | 日記
令和3年10月22日(金)
 闇には、古来の叙情とちがって、
哀切の響きがあって、
千鳥に聞き惚れ天地を包む闇の強い
表現力に惹かれるのであった。
 闇の力を詠んだ秀句については
『野ざらし紀行』の外宮の闇についても
述べたけれども、
芭蕉は夜空の星よりも星も見えぬ
夜の闇に寄宿の根源を認め、
闇の美の表現を大事にしている。
 この芭蕉の感覚は、彼の俳諧の中心を
占めているので、もう少し述べてみたい。
 例として、『おくのほそ道』の一句を
あげよう。
荒海や 
  佐渡によこたふ
       天河
 芭蕉の視線は、先ず目の前の荒海に
落ちている。
 七夕時の荒れた海である。
 荒海は何に支えられているか。
 波の下の暗く深い海に支えられている。
 視線が揚がって、佐渡島を見る。
 島にある歴史は流(る)謫(たく)の歴史
である。暗い歴史である。
 そして、視線は天ノ川に上がる。
 明るい星の河だ。
 この満天の星を支えているのは、
広大無辺な闇である。
 この世の全て、森羅万象は闇から
生まれる。
 これが芭蕉の大事にした感覚なのだと、
私は思う。
 そう師匠は語る。
 私も同感である。
 やはり芭蕉の炯眼、自然観・宇宙観は
素晴らしい!