貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

若菜塚

2019-12-31 09:15:44 | 日記

若菜塚

令和元年師走 大晦日。

 「来るときは来る!」

 令和元年の大晦日の朝は

あったか。

 今年最後のブログ。

 日課のひとつとなり、

読者になって戴いた方や

励ましをいただく「いいね」

と絶大の声援を送ってくださる方、

そして、コメントをくださった

方々のお陰で、新たな気持ちで

続けられてきました。

 深謝、深謝です。

 そして、グーブログや日本

ブログ村のスタッフの皆さんの

御陰です。

 ありがとうございます。

 明くる子年も、皆様

よろしくご支援、ご声援ください。

 さあ、蓑虫庵の主の話へ。

 蓑虫塚は、黄子園の句碑。

句は、

「蓑虫の 

 音を聞かはやと 

    この庵」

 黄子園は間組の社長神部満之助。

観魚荘内本紅蓼氏を師として

句を作る。

  そして、若菜塚。

当庵の主服部土芳の句碑。

句は

「卒度往て 

 わかな摘はや 

    鶴の傍」

句意は、

「蓑虫庵の庭にも鶴が降り立つ。

その鶴のように雪芝の祖母が

気高く年を重ね88歳の米寿

を迎えた。

 おめでたいことである。

そっと静かに近寄って初春の

若菜を摘みたいものである。」

 土芳二百回忌に頒布した

土芳自筆の短冊を模刻した句碑。

 土芳の墓。

   
 昭和5年(1930) 12月、

時の庵主菊本璧山が義仲寺の

芭蕉堂にならい、建立したもの。

その天井。

    堂内には、

芭蕉翁像と服部土芳の位牌を

祀られている。

 何とも可愛い芭蕉座像。

俳聖芭蕉翁の遺蹟

 芭蕉堂よ、さらばかな。

 来春は、なづな塚へ。

 


鳴く蛙から 飛ぶ蛙

2019-12-30 11:19:30 | 日記

鳴く蛙から 飛ぶ蛙

令和元年12月30日

 朝から買い物へ。

歳末から年始の準備。

慌ただしさがスーパーにのみ

溢れている感じ?

 二度目の蓑虫庵の入口をくぐる。

 一回目は、大阪から地元に

移られた退職された方、

ユーモアあふれる案内で

印象深い。

 今回は上品で明朗な女性の方。

初回の話をすると、Tさん。

すぐ携帯で連絡を取ってくだ

さる。

 伊賀市の役所勤めをさらに

続けておられるという。

 「蓑虫庵」には、

2基の芭蕉句碑がある。


  すぐ出合うのが、古池塚。

               

「古池や 

  蛙飛ひこむ 

   水の音」  。

 円窓は正風開眼を表し、

下部に蛙の浮き彫りがある。

 これは一回目撮影。


 

 句碑は、深川の草庵に建てら

れていたものを、昭和初期当時

の庵所有者菊本直次郎により

移建。

  句は、貞亨3年(1686)芭蕉43歳

3月下旬、深川芭蕉庵での作。

季語は「蛙」で春。

 支考の『葛の松原』によれば、

芭蕉はまず「蛙飛こむ水の音」

が浮かび、上五を得なかった

ところ、其角が「山吹や」と

提案したが採らず、

「古池や」に定めたという。 

 当時「蛙」に「山吹」は

月並な付合用語(連想語)に

過ぎず、

 また蛙は『古今和歌集』の

仮名序に、

「花に鳴く鶯、水に住む蛙

の声を聞けば」

とあるように、古来、蛙と

いえば「鳴く蛙」を詠むのが

伝統であった。

 芭蕉はその伝統を打ち破り、

池に「飛ぶ蛙」を詠んだところ

に、斬新で独創的な新境地を

開く。

 蛙の飛び込む音によって、

静寂の世界に動きが与えられ、

またもとの静寂にかえると

いう微妙な境地をとらえた

即興句で、閑寂・幽玄な

古池の詩情をとらえる。

 句意は、

「静かな春の日、水を湛えた

古池がひっそりと静まりかえ

っている。

 すると、ポチャンと蛙の

飛び込む音がした。

 一瞬あたりの静寂は破れ、

またもとの静寂にかえる。」

 見事な自然の世界の描写!


芭蕉五庵のひとつ

2019-12-29 09:10:45 | 日記

芭蕉五庵のひとつ

令和元年12月29日

 令和元年歳末を祝すような

青空。朝の歩行禅も最高潮!

 さあ、蓑虫庵へ。

 芭蕉が帰郷した時には、

兄のいる生家だけでなく、

門弟の庵を一時の住居と

する。

 そうした庵の中で、

無名(むみよう)庵、

西麓(さいろく)庵)、

東麓庵、

瓢(ひよう)竹(ちく)庵、

蓑虫庵が

芭蕉五庵。

 唯一現存するのがこの蓑虫庵。

 芭蕉翁の門弟服部土芳の草庵

で、貞享5年(1688)3月

庵開きの祝いとして

芭蕉翁が贈った句、

「みの虫の 

 音を聞きにこよ 

    草の庵」

に因み名づけられる。

  土芳はここで芭蕉の俳論を

体系化した『三(さん)冊子(ぞうし)』

を執筆した他、

『蕉翁句集』など芭蕉の言葉や

作品をまとめて後世に伝える

仕事をする。

その由来記碑。

二回目の訪問である。

 明朗快活な女性が出迎え

てくれる。


優美さに加え、色香漂う

2019-12-27 08:43:36 | 日記

優美さに加え、色香漂う

令和元年12月27日

 優美にして漂う色香!

 愛染院に注視。

 浜松の俳人大蕪庵十湖の

句碑もあり。 

「白菊に 

 紅さしてくる 

  はつしくれ」

 芭蕉の句  

「白菊の 

 目にてゝ見る 

     塵もなし」

を踏まえて吟じた句。

・・・・・・・・・・・・

 冬の白菊の優美に加え

色香漂う高貴な句。

  内藤鳴雪筆の

「故郷塚由来記」碑には、

「元禄七年十月芭蕉翁浪花の

客舎に逝く。

 遺骸は粟津の義仲寺に葬せし

も、郷里の門人土芳・卓袋等翁

の徳を慕ひて、遺髪を菩提所

たる伊賀上野愛染院内に埋め、

一基の碑石を建て,

芭蕉翁故郷塚と称え里。

 此由来を汎く世に知らしめん

とて翁の碑石を建て、

翁の遺徳と共に永遠に伝へん

とす。

 因つて故郷塚保存會諸氏等

の請に應じ、其顛末を誌す

と云爾。」

と刻印。

 次、愛染院に来るのは・・・

と考える暇なし!


数ならぬ身と思いそ

2019-12-26 08:47:32 | 日記

数ならぬ身と思いそ

令和元年12月26日

 冬休みに入る。

 今朝は、美空ひばりのAI。

新曲「それから」をAIの

美空ひばりが歌唱。

 ちょっと感動もの。

 森美術館でやっているという。

 こちらも負けずに、愛染院。

 故郷塚の手前右手に、

もう一基、芭蕉の句碑。

  「数ならぬ 

 身となおもひそ 

    玉祭り」 。            

元禄7年(1694年)芭蕉51歳

の作。                     

 季語は「玉(魂)祭り」で秋。

『有磯海』(浪化編)に、

「尼寿貞が身まかりけるときゝて」

と前書きする。

「身まかる」は人が亡くなること。

寿貞は、芭蕉の庵で同居していた

尼さん。

 ちょっと謎の人?!

「玉(魂)祭り」は、

陰暦7月15日に祖先の霊を

祭る仏事、盂蘭盆会のこと。

 伊賀上野で盆会を迎え、

一族の人々と共に法要を営んだ

芭蕉が寿貞の死を悼み詠んだ句。

 寿貞に関する資料は、

元禄7年5月以降の芭蕉の手紙

5通(内、遺書1通)と、

この追悼句1句のみ。

 芭蕉の甥桃印の妻とする説、

など諸説あり。

 5月11日、芭蕉が上方へ

旅立った後、寿貞は芭蕉庵へ

身を寄せていたが、6月2日頃

病歿。

 旅中、寿貞の訃報に接した

芭蕉は、

「寿貞無仕合もの、まさ・

おふう(ともに寿貞の娘)同じ

く不仕合、とかく難申尽候。」

(同年6月8日付猪平衛宛芭蕉

書簡)と、その死を深く嘆い

ている。

 「数ならぬ身となおもひそ」に、

芭蕉の寿貞の霊への悲痛な呼び

かけと、情愛を感じる。

「自分のことを物の数にも入ら

ない身だと決して思わなくて

いいよ。

どうぞ私の心からの供養を

受けてください。」

の意。