貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

芭蕉のため息

2021-04-30 17:06:16 | 日記

芭蕉のため息

令和3年4月30日(金)

 4月もあっという間に去って

いく。

 月いづく 

   鐘は沈める 

     海のそこ

   月は何処へ行ったのだろう。

そういえば、伝説知られる鐘も

海の底に沈んで音を聞くことは

できないのだが、の意。

 元禄二年作。 

 「俳諧四幅対」では、

同じ十五夜の亭主の話として、

鐘が逆さまに沈んだため、

引き上げられず、今もそこにあると

記した上で掲載。

◎ 芭蕉は沈める鐘を思って

雨の夜を過ごす。

 親爺は得意になってその高価な鐘

の話をする。

 芭蕉が

「鐘を引き上げればよいではないか。」

と言うと、親爺は、

「それができませんのです。

何しろ竜頭が下になっているので、

縄を掛けて引っ張り上げることがで

きません。」

 「国主が引き上げようと海女に命じて

調べさせたところ、竜頭が下では

仕方がないとあきらめたそうです。」

と話す。

 芭蕉は仕方がないと、

ため息をつくばかり・・・・。

 

 


歌の威力

2021-04-29 16:31:39 | 日記

歌の威力

令和3年4月29日(木)

 昭和の日!

 FMラジオで、「昭和火曜三昧」を

聴きながらヨガストレッチ。

 懐かしい青春が一気に蘇る。

 歌ってやはり凄い!

月のみか 

  雨に相撲も 

    なかりけり

 「 青空の下で、草相撲の催しが

 あるはずだった。

  それを見るのも楽しみにしていたのに、

雨で中止とは、何とひどい仕打ち

であろう。 」

と、芭蕉はぼやしている。

 しかし、いくらぼやいても天には勝てない。

 「北国は、日和定めなし。」と教えてくれた

親爺が心得顔に芭蕉を慰めてくれ、

敦賀の湊には釣り鐘が沈んでいる

という話もしてくれる。

 芭蕉は、どこかに逃げてしまった

月の代わりに沈める鐘を

題材として句を作る。

 月いづく 

   鐘は沈める 

      海のそこ 

つづく。


完成句は歓声句!

2021-04-28 14:28:59 | 日記

完成句は歓声句!

令和3年4月28日(水)

発句は、

なみだしくや 

  遊行のもてる 

      砂の露

   今も代々の遊行上人は、

神前に砂を供えて拝んでいる。

 人の行為は、このようにして後世も

大事にされる。

 白い砂に露がかかると、

ありがたい昔の遊行上人を思って

涙が流れる。

 しかし、砂だけでは表現の力が弱く、

俳句としてもあまり面白くない。

 そこで、

「月清し」と「遊行のもてる砂」とを

組み合わせる。

 ついに完成句。

 まさに、歓声句!

月清し 

  遊行のもてる 

      砂の上


故事を知り、照る月清し!

2021-04-27 16:18:53 | 日記

故事を知り、照る月清し!

令和3年4月27日(火)

月清し 

  遊行のもてる 

      砂の上

   遊行上人が持ち運んだ砂の上を、

月光が清らかに照らしている、の意。

 元禄二年作。

「遊行」とは、時宗(遊行宗)の

開祖一遍ら代々の上人に対する呼称。

 諸国遊行を旨とすることによる。

◎ 敦賀市の気比神宮には、

昔毒竜が住む、危険な沼があった。

 それを二世の遊行上人が人々と図って、

沼を砂で埋めることにする。

 そして、毒竜は退治されて、

人々はやっと安心して暮らせるよう

になる。

 そういう謂れのある砂原の上に、

清らかな月が輝いているという一句。

 これも故事を中心とした月の句 。

 二世の遊行上人の毒竜退治という

武ばった行為と、無言でただただ

清らかな月とを対比させている。

 発句は、

 なみだしくや 

  遊行のもてる 

      砂の露

 つづく。


気比の八景・・・気比の月

2021-04-26 17:32:15 | 日記

気比の八景・・・気比の月

令和3年4月26日(月)

 青梅市でのコロナワクチン予約の

初日。9時から。

 私はパソコン、家内は電話で。

 9時スタート!

 まるでゲーム感覚。

 繋がったのは、私だけ。しかし、

ラインの連携で時間がとられ、

既に予約はいっぱい!

 予想通りのスタートとなる。

 愉しんでやったが、こんなこと

までして、高齢者を悩ます策は

ほんと貧しいなという疑問も・・・?

 さて、名月!

国々の 

  八景更に 

    気比の月

  八景と賞される美景を、

国々に見て回り、更に気比で

月を眺めることだ、の意。

 元禄二年作。

  「景」と「気比」と音を重ねる。

 気比は敦賀湾の南岸で、

敦賀八景の一つ。

 徳川時代には、いろいろな国で

景勝の八景を作って、名前をつけて

いたのだ。

 気比神宮の上に輝く月は、

殊の外美観であったらしい。

気比神宮の芭蕉像。