貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

挙くる扇や

2020-01-31 09:12:32 | 日記

挙くる扇や

令和2年1月31日

 歩行禅に出かけ始めた時、

数日前から出会う方から、

声をかけられ、談笑。

 家内の親友のご主人。

 朝の歩行禅の楽しみが

またひとつ増える。

 今朝も大津市。

 天孫神社、初参拝!

 信楽の狸も歓迎してくれる。

 奈良時代、782年に創建。

   平安時代、平城天皇が近江に

行幸された時、仮の御所として

禊祓い。

 その後、近江の守護職佐々木

定綱により社殿造営。

  その後、大津城が築城された

際、城下の守護神として

町衆より崇敬される。

 近江では、

一宮が建部大社、

二宮が日吉大社、

三宮が多賀大社、

四宮が天孫神社として

市民に親しまれる。

   芭蕉の句碑は、神社前の

道路に面してある。

  句は、

「ひらひらと 

 挙くる扇や 

  雲のみね」。        

            

 扇形の碑も珍しい! 

 元禄7年。

 『笈日記』に、

「本間氏主馬が亭にまねかれ

しに太夫が家名を称して

吟草二句」

と前書して、

「蓮のかを 

 目にかよはすや 

   面の鼻」

と並記する。

 本間氏主馬は大津の能太夫。

「太夫が手に扇を高くかざし

て舞う。

ひらひらと高くひるがえる

その扇は、舞台の軒端に 

聳える雲の峰に達するほど

高く上ってゆくように見える。

太夫の芸を称えて、

同時にその扇の如く、雲の峰

までも家名を挙げよ。」

と祝った。

 神社前の道路沿い。

粋だね!

 


財さん、巡り会い!

2020-01-30 09:05:58 | 日記

財さん、巡り会い!

令和2年1月30日

 小春から春到来の日?

 日射しきらきら!

 17時の室温は20度超え。

 夜間も暖房いらずの1月は、

初体験。

 今日も続きそう。

 今朝も、茶臼山公園内。

「芭蕉会館」がある。 

 今日は閉ざされていたが、

ちょっとした俳句会などに

使われるのだろうか。

 「正風合同記碑」と

「正風顕彰碑」がある。


 

 俳句の盛んなことも偲ばれる。

   そして、この近辺の小山の

傾斜地に、句碑が6碑ぐらい

建立されている。

俳人の氏名を調べたが、今の処不明。

  筆塚もある。


 

 そして、絶景の場所を見つける。


 

 たまたまそこで、絵を趣味に

しておられる方と遭遇。

 琵琶湖のことをいろいろ

話していると琵琶湖への

思いが全く一緒。

 意気投合し自宅へと

誘われる。

 「絵ができたら、年賀状で

送るよ。」と約束。

 名は「財さん」。

 79歳だがお若い!(現在は80代)

 お礼に、

『ぼくの細道、芭蕉の古径』

の私の冊子を贈る。

 感嘆の一報!

 よき友となる。

 私の財産となる。

 出会いは妙味!

 


あでやかな春の近江!

2020-01-29 09:01:07 | 日記

あでやかな春の近江!

令和2年1月29日

 雪から土砂降り、

そして降り続く雨。

 1月のこの大雨も珍奇!

今朝の多摩川は数倍の水量。

 4月の陽気になるという予想。

 今朝も『酒落堂の記』。

『洒落堂の記』碑。

「山は静かにして性を養ひ、

水は動いて情を慰す。

静・動二つの間にして、

住みかを得る者あり。

 浜田氏珍夕といへり。

目に佳境を尽し口に風雅を

唱へて、濁りを澄まし塵を

洗ふがゆゑに、

酒落堂といふ。

 門に戒幡を掛けて、

「分別の門内に入ることを

許さず」

と書けり。

 かの宗鑑が客に教ゆる

戯れ歌に、一等加へて

をかし。

 且つそれ簡にして方丈なる

もの二間、休・紹二子の侘び

を次ぎて、しかもその矩を見ず。

 木を植ゑ、石を並べて、

かりのたはぶれとなす。

そもそも、おものの浦は、

瀬田・唐崎を左右の袖の

ごとくし、

湖をいだきて三上山に向ふ。

湖は琵琶の形に似たれば、

松のひびき波をしらぶ。

比叡の山、比良の高根を

ななめに見て、

音羽・石山を肩のあたりに

なむ置けり。

長等の花を髪にかざして、

鏡山は月を粧ふ。

淡粧濃抹の日々に変れるが

ごとし。

 心匠の風雲も、またこれに

習ふなるべし。」

 おものの浦は、もと膳所城が

琵琶湖に突き出して立って

いた浜。

 三上山は野洲に位置する

近江富士。

長等山は三井寺の裏山で

桜の名所。

鏡山は月の名所。

 春の近江のあでやかな風景が

目に浮かぶ。

  完璧なセッティングに囲まれた

洒楽堂の主、珍夕の風流を

称えたものである。

 濱田 酒堂(しゃどう)は、

近江蕉門の俳人、

近江国膳所藩の医師。

 風流人の中の風流人。

 芭蕉の挨拶句は、  

「四方より 

  花吹入て 

   鳰の波」  。

  元禄3年(1690)47歳の作。


水は動いて情を慰す

2020-01-28 09:08:19 | 日記

水は動いて情を慰す

令和2年1月28日

 生業について師と仰ぐ人が

二人。

 お一方は、定年退職後1年

もたたずに他界される。

 仕事終了後、病床へ日参。

 励ましながらもいろいろお話も

できたが、進行性の肝臓癌で、

あっという間に・・・!

 もう人方は、数日前に急逝。

 12月半ばに、一緒にコーヒー

を飲み、1時間ほど談笑!

 「昔のことをいっぱい話しでき、

楽しかった。ありがとう!」

 終の言葉となった。

 安らかな表情で逝かれて・・・。

 奥様の言葉「無念だったのでは?」

という言葉を味わいながらお別れ

もできる。

 しかし、私の心の中に大きな空洞が

できた。

「無念!」

 師と呼ぶ人がいなくなった。

 深謝あるのみ。

 大津市の茶臼山公園へ。 

 茶臼山(155m)中腹にある

県下第2位の規模を誇る

大古墳で国指定の史跡。

 節目に、古墳を訪ねている

のも興奮する?

 古墳時代前期に属する

4世紀末から5世紀初頭の

ものと推定されている。

 彦坐(ひこいます)王とも

大友皇子一族の墓ともいわれ

ているが、被葬者については

明らかではない。 

 全長122m・後円部径70m、

高さ8m、前方部の長さ60m・

先端部幅58mの大きな前方後

円墳で、被葬者の強大な勢力

が偲ばれる。

 墳丘全面には葺石(ふきいし)

が敷かれ、円筒埴輪が巡り、

後円部頂上には形象埴輪も見

られる。

 近江ではもっとも定型化した

標準的な前方後円墳。

 

 現在、古墳東部に除火神とし

ての秋葉神社が祀られており、

さらに南西100mのところには

小茶臼山古墳。

 秋葉神社。

 葬り塚。

 周辺は茶臼山公園として整備

され、市民の憩いの場となる。

『酒落堂(しゆらくどう)の記』。

「山は静かにして

 性を養ひ、

 水は動いて

情を慰す。

 静・動二つの間にして、

住みかを得る者あり。

 浜田氏珍夕といへり。

目に佳境を尽し口に風雅を

唱へて、濁りを澄まし塵を

洗ふがゆゑに、酒落堂といふ。

・・・・・・・・。

つづく。


ゆるく洗いつ 膳所の浜辺

2020-01-27 09:30:12 | 日記

 

ゆるく洗いつ 膳所の浜辺

令和2年1月27日

 膳所の浜辺の芭蕉句碑。

 句は、

「湖や 

  暑さを惜しむ 

    雲の峰」

 説明碑によると、

「元禄7年(1694)6月中旬、

芭蕉翁は膳所の能太夫遊刀

の家でこの句を作る。

 膳所義仲寺の無名庵に、

最後の滞在の日のこと。

 琵琶湖の上に高々と立ち

上っている雲の峰は、

夕方の涼しい風が吹き渡って

くるようになっても、

まるで昼間の暑さを惜しん

でいるよう。

 湖と雲が演出する雄大な

景色が目に浮かぶ。」

と。

  友と話しながらよく歩いた処だが、

すっかり整備されている。


 

 しかし、半世紀以上時は過ぎて

いるが、空気感、風情はそんなに

変わっていないかな…!

「琵琶の水 

みづうみながら 

 流れをり 

膳所の浜辺を 

ゆるく洗いつ」

という歌は、飯田棹水作。

 膳所の浜辺は、今も営々と

ゆるく洗われている、

心地よく!


 

そして、伊藤雪雄の歌。

「少年の 

 日の還りくる 

 石鹿の 

 渚辺ぬくし 

   鮎も寄りくる」

  御殿浜の芭蕉句碑を探すが

見当たらず。

 あれば、 

「四方より 

 花吹き入れて 

  にほの海」

  にほの海をゆったり眺め楽しむ

ことに。

 老夫婦がトイレを掃除してされ

ている・・・。