貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

生の苦しみをうつす喜びの一句?

2021-09-30 10:49:26 | 日記
令和3年9月30日(木)
 今年も元気で誕生日を迎えられた。
 家族や友人からお祝いのメッセージを
戴く。感謝と深謝、深謝!
櫓の声 
  波ヲうって氷ル 
     夜やなみだ
 岐阜での句の続き。
◎ この句を宗匠としての生活に失敗した
失意の作品として読むのは間違いであろう。
 むしろ、新しい孤独と貧乏との生活に
いよいよ飛び込んでいく、それまでの
古典読書ですませていた芭蕉が、
新しい苦行の生活にあって、それまでの
勉強による知識と滑稽、もじりの世界から、
人間存在の奥底にある生の苦しみを
写し取る喜びを宣言したものと読むのが、
また、芭蕉の新しい世界を驚きながら
認める読者の態度を自覚するのが、
本当の鑑賞であろう。



自称「乞食の翁」と呼ぶか?

2021-09-29 10:16:43 | 日記
令和3年9月29日(水)
櫓の声 
  波ヲうって氷ル 
     夜やなみだ
  腸の氷るような寒夜、櫓に波の
当たる音を聞くにつけ、なぜだか
涙を催して仕方がない、
の意。
延宝八年(1680)の作。
「櫓の声」・・・舟をこぐ櫓の音。
「櫓声」は、漢詩で鷹のまがうものとされ、
歌語「鷹の涙」を介して、
「櫓の声」と「涙」の結びつく必然性が
あると指摘される。
 十・七・五の字余り句で、
上句/中七・下五の二段構造により、
漢詩的表現の可能性を追求した作。
 深川の草庵生活を対象に、
大げさな表現を敢えて使い、
自己を劇中人物のように扱ったと見る
のが妥当のよう。
 種々の前書きが知られて、その一つでは、
杜甫「絶句四首の詩句」を引きつつ、
「他だ老杜にまされる物は、独多病のみ。
閑素茅舎の芭蕉にかくれて、
自乞食の翁とよぶ。」
と記す。(これを真蹟と見ない説もある。)
つづく。


ぴいと啼く哀切の句!

2021-09-28 11:38:01 | 日記
令和3年9月28日(火)
 昨日の続き。
ぴいと啼 
   尻声悲し 
     夜ルの鹿 

◎ 同じ年の九月のこと、芭蕉は奈良に泊まる。
八日の月が明るかったので、夜更けて、
猿沢の池を廻って、月を鑑賞する。
 すると、鹿が鳴いた。
 ぴいと細く押し出すような鳴き声が哀切
極まりない。
 それを擬音として掬い採ったのが
この句。
 その鳴き声を注意深く聞きながら、
鹿の夜歩きの寂しさを、己の心として
実感したのである。
 九月六日に、大阪に行くが、
病はだんだんに重くなり、
十月十二日には死去する。
 そう思うと、このぴいと啼くという擬音が
芭蕉の聴いた哀切な音であったと思われて
粛然とする。
 俳諧の天才芭蕉にも弱点があった。寿貞が死んだ時に、彼は自分の落ち度に罪の意識を覚えて、それが彼の死期を早めたともいえる。


雅・俗一体化の句

2021-09-27 10:53:14 | 日記
令和3年9月27日(月)
ぴいと啼 
   尻声悲し 
      夜ルの鹿 
 ピイーと尾を引いて夜の鹿が鳴く。
その声が何とも悲しげだ、
の意。
 元禄七年(1694)の作。
「尻声」・・・長く伸ばした鳴き声。
 伊賀上野から大坂に赴く途中、奈良で一泊
した九月八日の吟で、同行した支考は底本に、
「さる沢のほとりに宿を定ムルに・・・
月の三更なる比、かの池のほとりに吟行す。」
などと記す。
 許六が『篇突』で、
「びいとなく尻声の悲しさは、歌にも及び
がたくや侍らん」と評するように、
和歌で読み尽くされた感のある鹿の声を対象に、
「擬声語と日常語を駆使して和歌にも
及びがたい情趣と現実味の獲得に成功した、
雅と俗の見事な一体化といえる。


皆老いた句会でも若く新鮮な発句をの願い!!!!

2021-09-26 13:26:20 | 日記
令和3年9月26日(日)
顔に似ぬ 
  ほっ句も出(いで)よ 
        はつ桜
 初桜を詠むのだから、年寄りじみた顔に
似合わぬ、若々しい発句も出ておくれ、
の意。
 元禄七年(1694)の作。
 『芭蕉全伝』に、伊賀上野の無名庵で、
『続猿蓑』の草案を検討している時に
思いついて書き付けた句とあり、
 『三冊子』は、土芳を相手に下五を
あれこれ置き換え、「初の字の位よろし」
と治定したことを記す。
 当季ではなく、興じる心を全面的に出す。
 ◎ 親戚の人々が年を取り、白髪杖曳き
になった。
 弟子や友人の老いた姿もはっきりとして
きた。
 年寄りばかりの句会でも、時には新鮮な
若々しい初桜を詠んでもらいたいものだ。
 当時の人々は、芭蕉が51歳で亡くなる
のを当然の老化と見做していたらしいし、
芭蕉自身もそう思っていたのであろう。