貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

93歳の針仕事

2020-03-31 08:50:32 | 日記

93歳の針仕事

令和2年3月31日(火)

 馬籠宿は、長野県から岐阜県へ。

中津川市に所在。

 「馬籠は何処?」

って聞かれたらまだ「長野」と応えそう。 

 馬籠宿の無料駐車場に車を止める。

  島崎藤村の生まれ故郷である。

本陣、庄屋、問屋を営む名家の産。

 本陣跡には藤村記念館が建っている。

 数年前に家内と歩いた時の印象が

そのまま。

 テーマパーク化しているから変化が

ないのか。

 約4割は外国の方である。

 当時80代後半だったかな、品のよい

おばあちゃんが今も猶針仕事をして

おられる姿を見られ、安堵。

 93歳。(現在97歳?)

 欲しかった小銭入れがあったので、

頂戴した。

 長寿は張り子実演継続の賜かな。

 70代じゃまだ小僧かな?

 元気と励ましをいただく。

 馬籠宿は、中山道43番目の宿場

(中山道六十九次)で、

木曽11宿の一番南の宿場町。

 かつては長野県木曽郡山口村に属したが、

平成17年(2005)2月の山口村の越県

合併により岐阜県中津川市に編入される。

 1895年(明治28年)と1915年(大正4年)

の火災により、古い町並みは石畳と

枡形以外はすべて消失したが、

その後復元され現在の姿となる。

 天保14年(1843)の『中山道宿村大概帳』

によると、

馬籠宿の家数は69軒、うち本陣1軒、

脇本陣1軒、旅籠18軒で、

宿内人口は717人。 

 藤村の詞で、

「血につながるふるさと

  心につながるふるさと

   言葉につながるふるさと」

 が印象に残る。


桜絨毯に降る雪と燕を!

2020-03-30 09:05:13 | 日記

桜絨毯に降る雪と燕を!

令和2年3月30日(月)

 見事な春名残の雪化粧を我が里にも。

 多摩川沿いの桜や山桜もいつもより

輝いて見える・・・!?

雪模様の中に、ホトケノザも・・・!

思いのままに咲く桃?

 久しぶりに水の流れも、

興奮のシンフォニー・・・!

 その上手で、堰の直下をのぞくと、

飛燕の燕。

 水面上を十数羽が燕がスペインの舞。

この寒さを乗り越えようと必死の舞。

 見事というしかなし!

 春の終わりと初夏の始まりが、

零度越えの多摩川の我が里に観る。

 嬉しい一日!

 

 

 

 

 


418人の宿場

2020-03-29 09:16:28 | 日記

418人の宿場

令和2年3月29日(日)

 今朝から霙混じりの雪。

弥生最後の里の雪になるか?

 昨日は暑くて半袖に途中着替えた。

 気温差は17度以上かな。

 インフルエンザだとこの雪で流行は

終末なのだが、新型コロナは、増大する

傾向。不要不急の外出は自粛の要請。

 日曜日だし、雪の良き計らい。

 自生の松に、「大きく育て!」

とエールを送り、木曽路を進む。 

 道の駅「大桑」で昼食。

 「米っ子大桑」という店で蕎麦と

五平餅のセットを食す。710円。

 地元のお米と蕎麦で店の人が漬けた

漬け物は自分で好きなものを好きな

だけ皿に盛って良しという粋な心配り。

 ちょっと濃い味になっているが、

皆地の味であった。

 妻籠(つまご)宿   

  句碑もなく、何となく寄らなくてはと

いう感じで立ち寄る。


  やはり観光客は多い。

 外国の方も結構楽しんでいるが、

ガイドがほしいかな。

  全国で初めて古い町並みを保存した

宿場町で、現在、国の重要伝統的

建造物保存地区(昭和51年)に選定。

「郷土環境保全地域」(昭和56年)の指定

を受けている。 

 宿駅が制定されると、妻籠宿本陣には

島崎氏が任命され、明治に至まで本陣、

庄屋を兼ね勤める。

 

 妻籠宿は中山道と飯田街道の追分に

位置する交通の要衝。

 天保14年(1843)の『中山道宿村

大概帳』によれば、

妻籠宿の宿内家数は31軒、うち本陣1軒、

脇本陣1軒、旅籠31軒で、

宿内人口は418人。

 1960年代に長野県の過疎問題が深刻化。

開発事業としての保存事業が基本方針

となる。

 明治百年記念事業の一環として、

寺下地区の26戸が解体修復され、

その後、観光客が増え始めたことから

観光関連施設の整備が本格化。

 町独自の『妻籠宿保存条例』を制定。

 気配りも素晴らしい!

 


無常なる無上?

2020-03-28 09:02:11 | 日記

無常なる無上?

令和2年3月28日(土)

  川下にある美術館とモニュメントのある

広場の方から、ご夫婦か父娘連れの方

と説明板の所で擦れ違う。

 女性の方が、足を洗いに一本立って

いる水道の所へ行かれる。

「美術館の方は如何でしたか。」

「特に・・・。」という返事だったので、

寝覚めの床の方へ歩いて行く。

 警報音のブザーが耳障り乍ら進むと、

「立ち入り禁止」の札。

ここまでかと諦めて戻ると、

二人乗りの関西電力の小型トラックが

来て停止する。

 おひとりは、川の様子を目視し、

もうひとかたは「立ち入り禁止」の札を

外して持って来られる。

 挨拶を交わし、立ち入ってよいかの

確認をとる。

 瞬時の幸運に感謝!

 一番乗りである。

取りあえず寝覚めの床という床の上

から風情を楽しもうと、道なき岩場を

慎重に突き進む。

 滑って転んだら大怪我だ。

「最近も救急車でと・・・。」

受付の方の注意もあったので、

より慎重にゆっくり浦島堂を目指す。

 目指す浦島堂。


 

 すると、跡を追うように4・50代の男性が

一人忍者の如く岩から岩へ飛ぶように

来る。

「今日は幸運です。美術館の方から

 入ると無料です。」という話。  

 たぶん立ち入り禁止だという判断

だったのかな。

「私は臨川寺から入ったから、200円

払いました。」。

 木曽らしいといえば木曽らしい?

入口によって対応が違う。

これまた一興。

 その方の跡を追いたいのだが、

とてもとても。

 数年前だったら…?

 只淡々と自分のペースを守って!

 何とか浦島堂に辿り着く。

 そこで、20代の若者二人と出会う。

 私ひとり汗びっしょり。

 一息つき、飴玉をしゃぶる。

 素手の若者二人にも「どうぞ」とお裾分け。

「ありがとうございます。」と快活な応対。

 幸運な寝覚めの床の寸話をし、

それぞれの感性の赴くままに・・・。


 

 浦島堂は、一枚岩の上に立ち、

十数本の赤松に囲まれ守られている。

とにかく自然の凄さ、素晴らしさに

圧倒される。

 水の音が弛まず勢いよく、

「ダッダーダッダー」「サアーサア-」

という輪唱。

 雨上がりなので浅黄色の水の地色だが、

白波の線が場所場所によって見事。

規則的であったり、そうでなかったり・・・。  

    頂上の緑の松に囲まれた所で再度寝そべる。

ひんやりとした感じが、汗ばむ体をしっとり

とほほえむように包んでくれた。

 空は灰白色一色。 

 松の枝には、小さく尖った松ぼっくり

の実がいくつか実っていた。                    

 行きはよいよい、帰りはこわい…。

 一度岩と岩の間にお尻から滑る。

 リュックで命拾い!

 その後、這うようにして一つ一つの

床岩を降り、その場その場の光景を

目に焼き付けておこうとする。

 臨川寺の和尚が

「畑を打つ 土中の虫に詫びながら」

という箴言をも噛みしめて…。

 一切は無常、そして無上!

  芭蕉はこんな光景をさぞ喜んだであろう

に、なぜここで一句も詠まなかったの

だろう?

 『更科紀行』では、

「途中で出会った老僧がいろいろ話しかけ

てくるので気が散って一句もまとめること

ができなかった」

と愚痴をこぼしている…。

 あながち言い訳でもないだろう。
                


天画、天然のオーケストラ!

2020-03-27 09:06:38 | 日記

天画、天然のオーケストラ!

令和2年3月27日(金)

 昨日は、春爛漫に近い満開の

花々に気をとられ、肝心の芭蕉の

句碑の写真を掲載するのを・・・。

 一日遅れですみません。

「昼顔に 

  昼寝せうもの 

      床の山」

 浦島太郎姿見の池だ。

 臨川寺の境内を抜けると、

すぐ中央本線の線路下を潜る。

 出ると、切り立った河岸段丘の間を

珍しい奇岩の風景に目が点となる。

 木曽川の水の色は、雨上がりでも

浅黄色で、岩にぶつかる水の音が

絶え間ない轟音も輪唱の響き・・・。

 どこを撮っても天画である。 

  

 浦島太郎がこの岩の上で寝覚めた

というのが地名の由来である。

 私も1時間後横になり寝そべったが、

岩のひんやり感がすこぶる心地よく、

天然のオーケストラが奏でる

「浦島太郎」の曲を聴いているよう。

 謡曲『寝覚』には、長寿の薬を

三度飲んで三度若返り千年生きた

という翁が登場するという。