貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

半囲いの句碑

2019-07-31 08:46:14 | 日記

半囲いの句碑

令和元年7月大晦日

 清水市へ。

 先ず、福巌寺参拝!

きちんと整備され、白の

シャクナゲが咲き始めている。

 火災と地震から守るためか、

最近お寺も変わりつつ・・・!

 参拝だけは、衷心からの御礼と

祈り!

 掲示板が正面にある。

「仏様は見ている

 みんな見ている。」

 見られて恥じることは

しない。

 当たり前のこと。

 しかし、時にぶれるのも人間

模様。それも見守ってくださる。

 芭蕉の句碑。

 

 白字で、読み取りやすい。

句は、

「今朝散りし 甲斐の落葉や 

    田子の浦」 はせを。

 半囲いが句碑を守っているのかな。

みみっちい感じは否めないし、

情趣を損なっている?

 いろんな事情があるにせよ、

 仏心、人心に囲いなしと

いきたいものだ。


目にかかる時や殊更!

2019-07-30 09:11:35 | 日記

目にかかる時や殊更!

令和元年7月30日

 梅雨が明け、早速猛暑日!

暑さと水が大好きな私は、

ちょっとほっと一息!

 海へ行きたいという願望は、

この2・3年衰退しつつあるが・・・。

 今朝も富士市。

 「カンカン堂」を探しに行く。

伝法1丁目の滝下まで行くが、

それらしきものは、見当たらず。

徒歩でも探すが・・・。

 源太坂もそうかな?

と近辺をぐるぐる。   

 クリニックの駐車場に入ると、

あるある!!!

 源太坂から眺める富士山も

最高!

 電線がちょっと不二の雄大さに

茶々?

 それでも、心は至上の快晴かな。

 芭蕉の句碑の句は、

「目にかゝる 時やことさら 

      五月富士」。  

 最後の上方帰郷の際、

箱根を越えた辺り、ちょうど

富士山の全貌が見えてきた。 

 俳聖の最期を気遣ったか、

富士は五月晴れとなって、

その姿を「ことさら」に

美しく 現してくれたのである。


 

 曾良宛書簡では、箱根は雨、

三島への下りも難儀したことが

報告されているので、

この「五月富士」は心象風景として

の富士か、または雨の合間の瞬間の

眺望だったのか・・・。          

 時は、元禄6年の5月!

 今回の富士は、私にとっても

「不二」の世界。ふたつとなし!


一尾根は・・・

2019-07-29 08:44:33 | 日記

一尾根は・・・

令和元年7月29日

 梅雨明け間近?

 今朝は、平垣公園。

 何処にと、交流プラザの周囲

の道路も探索。

 平垣公園入口が道路沿いに

見つかる。

 すぐ芭蕉句碑も発見。

完全な芭蕉句碑迷い人の心境。

 芭蕉の句は、

「ひと尾根は しくるゝ雲か

        不二の雪」

「雪におおわれて天空に聳える

富士山。

 その一つの尾根に低く雲がかか

っているが、あれは時雨を降ら

しているのか」

 の意で、富士山に相応しい雄大な

句である。

 先日は、往復とも雲がかかって

いた。

 行きは、笠雲。帰りは

黒灰色の雲が尾根を覆うように

たなびいていた。

 時雨を降らしているようだ。


捨子へ慈悲の施し三説

2019-07-28 10:32:24 | 日記

捨子へ慈悲の施し三説

令和元年7月28日

 「富士川のほとりを行に、

三つ計なる捨子の、哀氣に泣有。

この川の早瀬にかけてうき世の

波をしのぐにたえず。

露計の命待まと、捨置けむ、

小萩がもとの秋の風、

こよひやちるらん、

あすやしほれんと、袂より喰

物なげてとをるに、

「猿を聞人 捨子に秋の 

     風いかに」

いかにぞや、汝ちゝに悪まれ

たる欤、母にうとまれたるか。

ちゝは汝を悪にあらじ、

母は汝をうとむにあらじ。

唯これ天にして、汝が

性のつたなき(を)なけ。」 

と、全文彫られている。

「中国の詩人にとって、

猿の鳴き声を聞いた時、哀切の

情を表現するのが常套であった。

芭蕉はこの句で、そのような

悲しみなど、親に捨てられた子を

目にして感じる哀切とは、比べ

ものにもならぬ、といいたかった

のである。・・・・・・。

しかし、それにしても芭蕉が、

なぜその子に、持ち合わせの食物

投げ与えただけであったのか、

はなはだ理解に苦しむのである。

なぜ彼はその子を抱き上げ、誰か

世話してくれる人のいるところ

まで連れていかなかったであろ

う?」

と、ドナルド・キーンさんは言う。

 学者の三説も説く。

「ある学者は、芭蕉の寺代には、

道端に捨子を見ることが今より

は遙かにおおかたのだ、

と指摘する。」

二つ目は、

「芸術神への芭蕉の献身が、

彼をして世の常の人間的義務を

放棄せしめたのだ、と説明する。」

三つ目は、

「このエピソードは全くの作り話、

「旅に死す」というこの日記の

主題を強調するため、作者が挿入

したものだと主張する。」

 何回原文に触れても不可解さは

残るのは、私だけではない。

 左右の二つの章文碑、読みやす

い方に、どうしても目が走る。

 富士市の交流プラザ前であった。


三つ計なる捨子

2019-07-27 10:00:07 | 日記

三つ計なる捨子

令和元年7月27日

 昨朝、安城市を2時に出発。

帰路に着く。

 途中サービスエリアで、台風6号

発生を知る。

 野ざらし紀行パートⅡの旅も

伊賀市まで行き、完遂。

 道の駅伊賀で、一夜お世話に

なろうかと夕方入ったが、車の

室温は、37度越え。

 夕食を済ませ、一服したので、

安城の道の駅まで100㎞弱。

 日も高いので、デンパークで

仮眠することにする。

 一般道路優先で、9時頃着く

予定が渋滞とすいすいの繰返し。

 8時過ぎよりすいすいと国道

をひた走る。

 8時半に到着。

 10時頃就寝。2時前に起床。

帰路に着く。

 9時間かけ、家に無事到着。

11時半であった。

 梅雨寒の青梅から、梅雨明けの

名古屋方面、最終伊賀市。

 3泊4日の酷暑の旅となる。

 今朝は快晴だったが、もう灰色雲

に覆われ、風も出てきている。

 あら、もう雨!

 急変ならぬ激変だ。

 幸運に感謝。

 幸運も神仏のご加護かな?

 今朝は、5月の野ざらしの旅。

富士川の楽市楽座から。富士山に

見守られての感激の朝。

 夕刻の富士。

 

 道の駅「富士川楽座」の夕方と

朝の富士山に魅了される。

 富士交流プラザは二度目の訪問。

 芭蕉の『野ざらし紀行』の

「富士川の捨子」は、印象深い。

「富士川のほとりを行に、三つ

計なる捨子の、哀氣に泣有。

 この川の早瀬にかけてうき世

の波をしのぐにたえず。

 露計の命待まと、捨置けむ、

小萩がもとの秋の風、

こよひやちるらん、あすやしほれん

と、袂より喰物なげてとをるに、

「猿を聞人 捨子に秋の

       風いかに」