貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

清水市鉄舟寺その3 住職の奥様と西行の話で盛り上がる!

2023-07-31 10:12:20 | 日記
令和5年7月31日(月)
<芭蕉句碑>

 伊予の俳人井(せい)海(かい)から
贈られた歌仙一巻に対する返礼
として、「歌仙の讃」を
送ったという。
 その讃と句。
 天和3年夏、
甲州にての作とされているが、
芭蕉が滞在した谷村(都留市)から
富士山は見えない。         
 嘱目の吟ではなく、
観念の作? 
「雲が走り、霧が急に立ち上る。
瞬間瞬間にその景色を変える
富士の景色。

 瞬く間に百景を形成する。
 この富士の美を表すに詩人も
画工も文人もかなわない。
 藐(は)姑(こ)射(や) の神人なら
それができるというのだろうか?」               
※ 藐姑射とは、
中国で超人的な神仙が住むという
山の名前。 
 
 
 
 
 帰路は慎重に、そして軽やか。
 下る300段はあっという間。            
 まだ草取りをしているお二人に、
「いやあ、絶景でした。
芭蕉の句碑があそこに建てられた意味が
分かりました。」
と謝意を込めて感動を伝えると、
先程の女性がつうっと寄って来られ、
「この寺は、西行法師のものが
残っていて・・・。」
と西行のことを学生時代から
慕ってきたことを語られる。
 芭蕉と西行の話、
 西行の最愛の人の話をしたり、
西行の最後は、
花の下での自死だったのでは
ないかという説などで、
花が咲く。

 千葉のご出身ということで、
余計身近に!
 もっとゆったり話したいけれど、
先を急ぐ身、
丁重に御礼を述べ、
お別れすることに・・・。                             また機会があれば参拝したいと
願っている。  



清水市鉄舟寺その2三百段上りきると、見事な芭蕉句と・・・・!

2023-07-30 10:21:14 | 日記
令和5年7月30日(日)
 まず、鉄舟寺の由緒。
 飛鳥時代藤原氏の出身である
久能忠仁が、
現在の久能山東照宮付近に
建立した堂に始まる。
 その後、奈良時代の僧行基が
来山して久能寺と号したという
  (『久能寺縁起』)。
 平安時代に入って
天台宗に改められ、建穂寺と駿河を
二分する勢いで栄える。
 永禄13年(1570)、
武田信玄が久能山に城を作るため
現在地に移され、宗旨も変わる。 
  江戸時代には朱印寺領として
200石余りを与えられ、
多くの支坊を有したが、
江戸時代後期あたりから衰退。
 明治に入ると無住になって寺は
荒廃してしまう。
 その後、
旧幕臣で明治以降に静岡藩権大参事も
務めたこともある山岡鉄舟が、
臨済寺から今川貞山を招いて復興し、
寺号も鉄舟寺と改める。
 そのため、鉄舟の書跡の遺品も多い。

 幾多の石仏地蔵などを
左右に楽しみながら、

上りきった処に、
芭蕉の句碑。
<芭蕉句碑>

「観音堂の手前の樹木を、
やっと伐採してださったので、
清水港などとても見晴らしが
いいですよ!」と、
ご婦人が語っておられたとおり。
<観音堂>

 見事な光景が眼下に広がる!
 富士山から白雲が自ら音楽を奏で、
見事な清水の港町を眺望。

 この一番見事な景色を、
永久に見守っているところに
芭蕉句碑も建立されると察知。
こんなに映えた句碑もないだろう!   
「雲霧の 
  暫時百景を          
   尽くしけ理」

 改めて富士の美しさに、
暫く我を忘れる。


清水市: 鉄 舟 寺 住職の奥様のお陰で芭蕉句碑への階段上り!

2023-07-29 10:19:41 | 日記
令和5年7月29日(土)
清水市: 鉄 舟 寺     
<鉄舟禅寺碑>
        
 鉄舟寺は二度目の参拝!
 山門前で二人の女性が除草作業。         
 挨拶をして違う所から入る。
<山門>

 先ず、鉄舟寺参拝。
<手の込んだ鐘楼>

 鉄舟寺裏山の観音堂手前に
芭蕉句碑があるという情報。
<山岡鉄舟座像>
<鉄舟年譜碑>

 裏山らしき処を探索。
 それらしき物見当たらず。
 半ば諦め、
草取りをしている方に尋ねることに。
 「観音堂はどこにありますか。
そこに、芭蕉の句碑があると
聞いてきたのですが…?」
 作業を中止し、
観音堂へ上る処まで案内してくださる。
<観音堂への階段>

 「300段ぐらい階段がありますが、
大丈夫ですか。」
と、私の足などを一瞥、
心配してくださる。
 「大丈夫でしょう。」と応え、
登り始める。
 物腰、品性からいい、
「鉄舟寺はもともと観音・・・。」
という語りから推測。 
 この寺の奥様らしいかな?
 276段以上はあったが、
一気に上がる。

 多少足腰に自信もついてきた。
~つづく。


清水市: 福 巌 寺 半囲いの芭蕉句碑!

2023-07-28 10:34:41 | 日記
令和5年7月28日(金)
清水市: 福 巌 寺     
 
<山門と本殿>
  
  
   
 きちんと整備され、
白のシャクナゲが
咲き始めている。

 芭蕉の句碑は、
白字で、読み取りやすい。
<芭蕉句碑>

 句は、
「今朝散りし 
  甲斐の落葉や        
   田子の浦」
 半囲いが
句碑を守っているのかな。
 みみっちい感じは否めないし、
情趣を損なっている?


富士市: 源太坂クリニックの駐車場前 芭蕉共々不二の山!!!

2023-07-27 10:15:42 | 日記
令和5年7月27日(木)
富士市: 源太坂クリニックの駐車場前    
 この前に、
「カンカン堂」を探しに行く。
 伝法1丁目の滝下まで行くが、
それらしきものは、
見当たらず。
 徒歩でも探す・・・。 
<源太坂中途の富士山>
 
 源太坂もそうかな?
と近辺をぐるぐる。  
 クリニックの駐車場に入ると、
あるある!
 源太坂から眺める
富士山も最高!
<源太坂からの見事な富士>

 電線がちょっと
不二の雄大さに茶々入れ? 
 それでも、心は至上の快晴かな。 
<芭蕉句碑>
                                         芭蕉の句碑の句は、        
「目にかゝる 
  時やことさら 
   五月富士」。  
 最後の上方帰郷の際、
箱根を越えた辺り、
ちょうど富士山の全貌が
見えてくる。 
 俳聖の最期を気遣ったか、
富士は五月晴れとなって、
その姿を
「ことさら」に美しく
現してくれる。

 曾良宛書簡では、
箱根は雨、三島への下りも
難儀したことが報告されて
いるので、
この「五月富士」は
心象風景としての富士か、
または
雨の合間の瞬間の眺望
だったのか・・・。          
 時は、元禄6年の5月!       
 今回の富士は、
私にとっても
「不二」の世界。