令和5年7月31日(月)
<芭蕉句碑>
伊予の俳人井(せい)海(かい)から
贈られた歌仙一巻に対する返礼
として、「歌仙の讃」を
送ったという。
その讃と句。
天和3年夏、
天和3年夏、
甲州にての作とされているが、
芭蕉が滞在した谷村(都留市)から
富士山は見えない。
嘱目の吟ではなく、
観念の作?
「雲が走り、霧が急に立ち上る。
「雲が走り、霧が急に立ち上る。
瞬間瞬間にその景色を変える
富士の景色。
瞬く間に百景を形成する。
この富士の美を表すに詩人も
画工も文人もかなわない。
藐(は)姑(こ)射(や) の神人なら
それができるというのだろうか?」
※ 藐姑射とは、
中国で超人的な神仙が住むという
山の名前。
帰路は慎重に、そして軽やか。
下る300段はあっという間。
まだ草取りをしているお二人に、
「いやあ、絶景でした。
芭蕉の句碑があそこに建てられた意味が
分かりました。」
と謝意を込めて感動を伝えると、
先程の女性がつうっと寄って来られ、
「この寺は、西行法師のものが
残っていて・・・。」
と西行のことを学生時代から
慕ってきたことを語られる。
芭蕉と西行の話、
西行の最愛の人の話をしたり、
西行の最後は、
花の下での自死だったのでは
ないかという説などで、
花が咲く。
千葉のご出身ということで、
余計身近に!
もっとゆったり話したいけれど、
先を急ぐ身、
丁重に御礼を述べ、
お別れすることに・・・。 また機会があれば参拝したいと
願っている。