令和7年8月22日(金)
福井市称念寺②
江戸時代の松尾芭蕉が、
「奥の細道」の旅の途中取材。
その後、
芭蕉は伊勢の山田又玄宅を訪れる。
又玄は貧しい神官で、
才能がありながら、
出世できないことに悩んでいた。
<芭蕉塚>

そこで、
芭蕉は弟子の又玄に、
「月さびよ
明智が妻の
咄せむ」
の句を贈って励ましたという。
<芭蕉句碑>

意味は、
「又玄よ、
今は出世の芽がでないが、
あなたにはそれを支える
素晴らしい妻が
いるじゃないか。
今夜は じっくり
明智の妻の黒髪伝説を
話してあげよう」
という意か。
<芭蕉句碑2>

芭蕉の師弟愛も深い。
新田義貞公の墓所も
きちんと整備されている。
<新田義貞公の墓所>


平成人のひとりとして
参拝する。
これも蕉道のご利益か?
これも蕉道のご利益か?