貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

身をやしなはむ

2020-04-30 14:51:08 | 日記

身をやしなはむ

 令和2年4月30日(木)

 4月6日より忙しさも倍増!

 忙しいというよりせわしない

日々だが、三食をいろいろ工夫、

ほんとに調理に勤しむことに。

 新型コロナも気にしながら、

何とか充実した日々。

 家内も連休明けに退院し、

リハビリ専門の医者にかかるよう

になる。

 しばらくは四足歩行だが、

転ばないように祈るのみ!

 さあ、今日は、岐阜市の伊奈波神社。

 印象に残る神社だ。

 善光寺のその奥!

 こんな時刻。

   景行天皇14年、武内宿禰が稲葉山

 「稽古照今」。

 今の自分の心境でもある。

 北西の椿原(現在の岐阜公園内の丸山)

に、五十瓊敷入彦命を祀ったのが始まり。

 壬申の乱の際に天武天皇が当社に

戦勝を祈願したという。  

 天文8年(1539)、斎藤道三が稲葉山に

稲葉山城を築城するにあたり、

現在地に遷座。

 この際、その地にあった物部十千根命を

祀る物部神社を合祀し、稲葉山城の鎮守

とする。

 芭蕉句碑、見つかる。

 芭蕉翁碑だ。

「山かけや 

  身をやしなはむ 

     瓜はたけ」 

と、芭蕉翁碑の碑陰には、

芭蕉の句が彫られている。 

つづく。


一ツ葉塚

2020-04-29 14:48:27 | 日記

一ツ葉塚

令和2年4月29日(水)

 家内の入院ている病院の本日の

昼食は、「昭和の日」に合わせた

行事食。

 美味しそう!

 さて、今日もまだ美濃。

 法久寺参拝!

 境内左隅に「芭蕉翁」の碑。

 右側面に、判読できないが,

「夏来ても 

  ただひとつはの 

     一葉哉」

という句が刻まれている。

 美濃の地は芭蕉の弟子各務支考の

産れた地。

 芭蕉は、4度この美濃を訪れている。

二回目の参拝!


 

 山門左側に、「芭蕉翁一ツ葉塚史蹟碑」がある。


 

 

 句碑の説明だ。

 

 

「ひとつ葉」は、ウラボシ科の常緑多年生のシダ。夏の季語。       「芭蕉翁」と刻印された碑の句は、 「夏来ても たゝひとつはの          一葉かな」。    貞享5年(1688)、『笈の小文』の旅の帰路岐阜付近の山中で詠まれた句。 芭蕉45歳。


又や またまた!

2020-04-28 14:48:32 | 日記

又や またまた!

令和2年4月28日(火)

長良川橋の北詰の神明神社へ。

  一回目は、平成28年9月25日に

参拝。

 記録では、

「教えていただいた駐車場の入口が

わからず、橋の近辺を行ったり来たり。

 旅館石金入口とノートにメモして

あったのを確認し、やっと河原にある

無料の市民駐車場に辿り着く。

 歩いて神社へ。

『又やたくひ 

   なからの川の

     鮎なます』。」

  長良橋北詰の神明神社にある句碑。

 

  二回目は落ち着いたもの。

   ゆったり参拝して、

鳥居の傍の句碑へ。

 この句は、夕闇が迫りくるひと時、

松尾芭蕉が鵜飼に招かれ、

門人たちと稲葉山の木蔭で、

鵜飼が始まるのを待っている席で

詠んだ。

「長良川でとれた鮎のなますは、

これまた比類なくおいしいものだ」

という意。


又やたくひ

2020-04-27 10:28:20 | 日記

又やたくひ

令和2年4月27日(月)

「又やたくひ 

  ながらの川の

     鮎なます」

 やっとホテル石金が見つかる。

 数年前は、ちょっと違う所をぐるぐると

巡り、見つからず。

 今回も一方通行などで、探しことに。

 玄関前にある、芭蕉の句。

 元禄元年。

「名にしあへる鵜飼といふものを

見侍らむとて、暮かけて、

いざなひ申されしに、人々稲葉山の

木かげに席(むしろ)をまうけ、

盃をあげて」

という前書き。 

 鮎なますは、鮎の刺身。

鮎をおろし細く作り、又は骨つきの

まま背ごしにして蓼酢で食べる.

 「又やたぐひなからん」

というを長良川に言いかけた句作り。

  

その場での軽い即興的な感じを

掛言葉に。

長良川の観光ホテル。

 


ほう ほう 呼ぶ声!

2020-04-25 14:20:41 | 日記

ほう ほう 呼ぶ声!

令和2年4月25日(土)

 長良川ポケットパーク!

  北原白秋の鵜匠頭山下幹司翁歌碑もある。

 「篝火の朱にはゆる 

君こそは鵜匠なれ 濡れしづく腰蓑の

風折鳥帽子古風にて 

すばやくも手にさばく 桧の縄の

はらはらに 時の間よゆく

水のかぎりなき 

灯ににほへば 香魚を追ふ鵜の数の 

つぎつぎと目にうつりて 

ほうほうと呼ぶこゑの 

誰ならず夜を惜しむなり」

 白秋が昭和2年(1927)8月初旬、

岐阜を訪れ、鵜飼見物の感興を詠んだ

長歌の碑。

 その当時の鵜匠頭だった

山下幹司を詠んだもの。

 白秋が人を詠んだ歌は、これのみと

いう珍しい歌碑。