貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

道中不用の恐怖のおかしみ!我も同じなり

2021-12-17 14:59:07 | 日記
令和3年12月17日(金)
 その道中の原文と解釈!
「あるじの言ふにたがはず。
高山森々として(樹木が高く茂り、静寂に包まれ)
一鳥声聞かず(鳥も鳴かず)、
木の下闇茂りあひて、
夜行くががとし、
雲端につちふる(雲の端から
砂交じりの風が吹き下ろすような)心地して、
篠のなか(小笹を)踏みわけ、踏みわけ、
水をわたり、
岩につまづいて、
肌につめたき汗を流して、
最上の庄に出づ。
 かの案内せし男(おのこ)の言ふやう、
『この道必ず不用(ぶよう)のことあり。
つつがなう送りまゐらせて、仕合したり』
と、よろこびて別れぬ。
 あとに聞きてさへ胸をどろくのみなり
(胸ががどきどきするようだ)。」
 この一節、文章は深山の道中を正確
に写生していて迫力がある。
 同時に、ぼろ屋で自然と死に
弱々しい恐怖を覚えているおかしみが
伝わってくる。