貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

キハチスの残像

2019-09-30 08:57:00 | 日記

キハチスの残像

令和元年9月30日

 また一つ齢を重ねる。

 淡々と流れる時間にのって

淡々と過ごしていく。

 元気で過ごせることに深謝!

 さあ、今朝は豊橋の東観音寺。

 東観音(とうかんのん)寺(じ)は

臨済宗妙心寺派の寺院。 

 山号は小松原山。

 本尊は馬頭観音菩薩。

 寺伝には、天平5年(733)

行基が自ら本尊馬頭観音を刻み

創建。

 平安時代には真言宗に属

したが、室町時代には現在

の臨済宗に改宗。

 国の重要文化財に指定され

ている馬頭観音懸仏は文永

8年(1271)、三河の地頭

安達泰盛が寄進したもの。

 同じく国の重要文化財の

多宝塔は戸田氏の重臣藤田

左京亮定光が大永8年

(1528)に寄進したもの。


 

 近世に入ると徳川家から寺領を

寄せられ、江戸時代には多くの

末寺を有する。

 元々遠州灘沿いに位置していた

が、宝永4年(1707)の津波で

被災し、正徳 6年(1716)に

現在地に移転する。

 境内には木槿塚という

芭蕉句碑がある。

 句は、

「道のべの 木槿は馬に 

    くはれけり」 。

 芭蕉は馬の上。

 前方に槿の花が咲いている。

 芭蕉の目はここに放心した

ように吸い付けられる。

 世界はただ一輪の槿の花

だけしかない。

 とその時、馬の長い口が

ひょこっと現れて、瞬間

槿の花が消えている。

 消え去った槿の鮮やかな

白さが残像として前より

強烈に瞼に映じている。

 芭蕉、中期の最高傑作の一句。

 ムクゲは、「キハチス」とも

いい、朝顔に似た花をつけ、

朝咲いて夕方に萎んで落ちる。

 7~10月に、本年枝の先の方

の葉腋に咲く。

 ムクゲは、花の形だけ見てい

ると、フヨウと間違えそう。

 同じハイビスカスの仲間。

花言葉

「デリケートな美、繊細な愛、

 信念、尊敬」

だそうだ。

 珍しや。うずらの供養塔がある。

 境内に咲いていた花。

 花名は不明。


阿ちさいや

2019-09-29 09:05:29 | 日記

阿ちさいや

令和元年9月29日

 ペーター・ハイドリッヒは

1935年生まれのドイツの

ヴァイオリニストであり、

作曲家。 

 1ヶ月ほど前ぐらいかな?

「きらくら」というFMを聴いて

いる時、この曲が流れる。

 ハッピー・バースデーの曲に、

変奏曲があることを知る。

 三十代半ば頃、「きらきら星

変奏曲に感激し、エレクトーン

などで弾いて楽しんだことを

思い出す。

 ハッピーバースデー変奏曲を

オーケストラで聴き、感動。

 室内楽の演奏CDを取り寄せる。

 今週は、私のバースデーウイーク。

14分間のこの曲を楽しんでいる。

 さあ、今朝は豊橋の妙泉寺へ。

 

 旧東海道二川宿の東端に位置

する日蓮宗の寺院。

 二川宿(ふたがわしゅく、

ふたがわじゅく)は、東海道五十

三次の33番目の宿場。

 三河国最東端の宿場町。

 征夷大将軍の天領である。

 現在の愛知県豊川市の

二川町と大岩町に相当する。

 

 参拝して境内散策。

 境内には、松尾芭蕉の句碑、

「阿ちさいや 藪を小庭の 

     別座敷」 

        芭蕉翁

と記された自然石の碑が

静かに鎮座する。

 地元では「紫陽花塚」として

親しまれている。

 


今朝は 萩塚詣で

2019-09-28 09:44:37 | 日記

 今朝は 萩塚詣で

令和元年9月28日(土)

 9月半ば頃から近所の庭や

原っぱやあぜ道で目立ってき

始めた彼岸花。

 紅白2色。

 彼岸花の別名は1000に

及ぶとか。

 「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」や

リコリスという名称はよく知

られている。

 私の子ども時代の田舎では、

曼珠沙華が一般的だった。

次は由来別にした別名

 お彼岸の頃に咲くこと、

墓地などにも植えられていた

記憶。

 「死人花」とか、「地獄花」

とかいわれ、毒をもっていると

知らされた。

「毒花」とか、「しびれ花」

と火ともいっていたっけ。 

 花の形は素晴らしい!

「狐花」とか「狐の松明」

なんていう人もいた。

 葉がないことから、

「葉見ず花見ず」。

 何となく仏教臭いイメージも

ある。

 境内に咲いていると、

ほっとするのはそのためか。

 さて、豊橋市の西光寺へ。

 芭蕉の句碑の句は

「ぬれてゆく 

  人もをかしや

    雨の萩」 。

 萩塚も参拝!

 バショウの実がある。

 これも初物。

 何か麒麟さんみたい。

 

 


二人旅寝ぞ 旅寝塚

2019-09-27 09:19:19 | 日記

二人旅寝ぞ 旅寝塚

 令和元年9月27日

 今朝は、一人で旅寝塚へ。

 豊橋市の湊神明社へ。

 二度目の参拝!

 

  湊神明社は、白鳳元年(672)

創建と伝えられる伝統のある

神社。!

 歴代領主から崇敬庇護され、

天文年間(1532~55)には、

今川義元が社領を寄進。

 永禄4年(1561)には今川氏真が

社領14貫350文を寄進。

 慶長8年(1603)には伊奈氏が

10石を寄進。

 幕府からは歴代将軍から朱印

状を賜わるという由緒ある神社。

 かっては吉田城下最大の祭と

云われた伊勢神宮に御衣(絹)を

献上する「御衣祭」が現在も行

われている。

 一度この祭をみたいもの。

 祭神は天照皇大神、豊(とよ)

宇(う)気(け)毘売神(びめのかみ)。

 山田宗徧が造ったという弁天池

の築島に立つ湊築島(ちくしま)弁天

社は、平成20年(2008)7月

8日、国の登録文化財に指定され

る。

 弁天社は戦国時代に琵琶湖の

竹(ちく)生(ぶ)島(しま)から

弁財天を勧請し、後の天和3年

(1683)に神明社境内に建立

されたことに始まる。

 滋賀県、琵琶湖の島と密接な

関係。

 弁天社に残る棟札から寛政

7年(1795)の建造とされる。

 明治初期、廃仏毀釈により

弁天社には市(いち)杵(き)島(しま)

姫神(み)命(こと)が祭られ、

市杵島社と改名されたが、第二次

世界大戦後に旧名に戻し、

築島弁天社と呼ばれている。

 弁天社も参拝!

 この一角には、芭蕉が貞享4年

(1678)11月10日 保美(現渥美町)

の杜国を訪れる際に、吉田に

泊った時に詠んだ芭蕉句碑

(旅寝塚) がある。

「寒けれど 二人旅寝ぞ 

  たのもしき」

 真底の師弟の二人。

信じ合う者二人。

 心細きことは何もない。

 たのもしきことこの上なし。

  


手拭い あぶる

2019-09-26 09:05:07 | 日記

手拭い あぶる

令和元年9月26日

 キャッシュレス決済の特集を

今朝もテレビで放映。

 バーコードの決済がお得とか。

 何でもそうだが、手始めが

難しい!

 知らないうちに多額のお金が

弾き出されている報道も有。

 躊躇と用心も・・・。

 10月1日は迫りつつ・・・。

 今朝は、そんな葛藤の時間も

獲得。

 ゲームしているみたい。

 加齢のせいかな?

 さて、昨日のブログに写真を

掲載するのを忘れたので、

今朝は再現!

 2基の松葉塚が境内に並んで建立。

 

  山門横に古碑松葉塚を案内

する古標石が建っている。

 この3基は資料的にも貴重と

考えられ、豊橋市の史跡に指定

されている。

芭蕉の古碑。

句は、

「こを焼て 手拭あぶる

      寒さ哉」。

 


 こちらが 芭蕉句碑2基め。

「ごを焚いて 

  手拭あぶる

     寒さ哉」


 

 「ご」は三河方言で、枯れた松葉

のこと。

 焚き付けとして最良の燃料。

 なお、『如行子』には、

「ごを焚いて 

  手拭あぶる 

     氷哉」
とある。

 私の田舎では、焚き付けは

杉の葉。

 柴刈りと杉の葉取りは

子どもの仕事だった。