貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

ふわ ふわの関

2020-05-16 10:26:31 | 日記

ふわ ふわの関

令和2年5月16日(土)

 家内の介護保険の申請のついでに、

私も申請をすることにする。

 かかりつけ医に申請を依頼がてら、

診断。

 「非該当ですね。」

と笑顔満面。

 万一のことを考えて、する申請。

 はい。

と笑い合う。

  芭蕉は、関ヶ原を4度訪れている。

①野ざらし紀行で、近江から関ヶ原へ。

 「秋風や 

   藪も畑も 

     不破関」 

②寝物語の里

「正月も 

  美湯と近江や 

      閏月」

 常盤御前の墓あり。

「義朝の 

  心に似たり 

    秋の風」

 

③ 奥の細道の紀行の際  

④ 元禄4年(1691) 

  芭蕉立像は、ちょっぴりずんぐり

むっくり、やや太めかなという印象。

 雪炊庵の句碑の句は、

「名月や 

   雲有りてよし 

     なふてよし」

 蜀山人の狂歌は、      

 「大友の 

  皇子の王に点うちて 

  つふすふわ 

      ふわの関」。              

旧中山道への道案内表示

 


関ヶ原に四度!

2020-05-15 10:48:48 | 日記

関ヶ原に四度!

令和2年5月15日(金)

 39県が解除!

 ひとまずほっとする。

 来週には、東京も解除になる

といいのだが。

 東京は、ちょっと難しいかな?

 昔は関所で、人の行き交いを制限!

  不(ふ)破(わ)関(のせき)は、

古代東山道の関所の一つ。    

 672年に発生した壬申の乱の際、

大海人皇子(後の天武天皇)の命に

より美濃国の多品治によって、

「不破の道」が閉鎖される。

 この近辺が激戦地となっている。

 翌年、天武天皇は、都(飛鳥浄御原宮)

を守る為に、

不破関、鈴鹿関、愛発関の3つの関所

を設置。

 東海道の鈴鹿関、北陸道の愛発関

(後には逢坂関)とともに三関と呼ばれ、

壬申の乱後およそ百年の間、

治安維持のため畿内と東国との間の

通行を厳重に監視。

 三関から東は東国または関東と

呼ばれるようになる。

 

 芭蕉は、関ヶ原を4度訪れている。

つづく。


一里塚から関ヶ原駅前へ

2020-05-13 10:18:08 | 日記

一里塚から関ヶ原駅前へ

令和2年5月13日(水)

 ここは、不破郡垂井町。

垂井宿の一里塚。

  一里塚の隣の家のご主人が

洗車しておられる。

 声を掛けると、わざわざ停めた

車の所まで来て下さる。

   昨日が関ヶ原のお祭で、賑わった

ということと、案内書をもとに

丁寧に説明して下さる。

 その後、教わった関ヶ原の駅の

関ヶ原の駅。

古戦場の町。

案内所に行き、

芭蕉の句碑のある所とその道順を

聞く。

 これが、案内所。

 不破関跡へ向かう。

いざ、かまくら!ではなくて、

「いざ 不破関!」


更科紀行万全の感謝!

2020-05-11 13:31:38 | 日記

更科紀行万全の感謝!

令和2年5月11日(月)

 今、室温は、28.7度C。

 30度越えそうな勢いである。

 暑いのは大好きだが、寒暖の差が

大きいのは、ちょっと堪えるかな?

 惟然記念館の傍の善光寺参詣!

 同じ高台のもう一段上にある

善光寺参詣を迷ったが、折角の機会

と翻し参詣。

  長野の善光寺の姉妹編かな。

 数カ所に別院としてある。

 参詣者は多い。

 御朱印をいただくことも含め

「家内安全」、

「更科紀行万全の感謝と更なる安全」

を祈願する。

 「花に来て 

   寺の戒壇 

     巡りけり」

というモニュメントのような

句碑が印象的。

☆☆☆    道の駅「昭和村」に行く。

温泉を楽しみにしていくと、

以前から休館になっている。

 もの凄く広い所で、駐車場も

幾多もあり。

 こりゃ、トイレに行くのも大変と

感じ。

 昨日の可児(かに)市の

「可児(かに)ッテ」がよいと判断。 

 夕食だけ購入し、「可児ッテ」へ。

 2万歩をゆうに越えている。

 ほんにお疲れ様!

 


大切な日ぞ 花盛り!

2020-05-10 09:06:36 | 日記

大切な日ぞ 花盛り!

令和2年5月10日(日)

 例年なら、この時期ひとり旅を

愉しんでいるのに・・・。

 なんて思っている今日も大切な一日!

庭の花盛りに負けないで、

心身花盛りの日に!

惟然の句碑の句は、

「かうゐるも 

    大切な日ぞ 

        花盛」

 大正5年(1916)に建てたもの。
 
 広瀬惟然の顕彰活動に尽力した

山川露牛は、関町の薬種商「平賀屋」

に生まれ、明治37年(1904)没。

 露牛の句は、                 

 「稲の香や 

  今朝は伊吹も 

     軒の山」

 そうか、花の山伊吹山は

関からだと軒の山なんだ・・・!