貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

足立区西新井大師②高野山で詠んだ芭蕉の句!

2024-06-30 10:35:35 | 日記
令和6年6月30日(日)
足立区西新井大師②
さて、西新井大師の由緒は?

 弘法大師、
別名空海が関東巡錫の途中、
西新井を通った際、
観音菩薩の霊託を聴く。  
 本尊の十一面観音を彫り、
天長3年(826)に
寺院を建立したことに始まるという。   
 本堂は昭和41年火災により焼亡。
 昭和46年に再建される。 
 川﨑大師などとともに
「関東三大師」の一つで、
初詣は本当に賑わう。  
 地元での愛称は、
「お大師様」。
<稚児大師尊像>

 境内には、弘法大師によって
もたらされたとされる加持水
の井戸がある。
 この井戸が本堂の西側に所在する
ことが当地の地名である西新井の
名の由来とされている。
 中野区の新井薬師と同じ
真言宗豊山派の寺院。
<いろは歌碑>

 西新井大師は正式名
「五智山遍照院總持寺」。
 総持寺は、
横浜の鶴見区の総持寺が総本山。
 皆、私の経歴と関係深い寺社。
 縁深し!
 西新井大師には、
100基を超える石造物がある。
 しかし、句碑はわずか3基。
<歌碑①>

そのうちの1基が芭蕉の句碑。
<芭蕉句碑>

 高野山で詠んだ、    
「父母の 
  しきりに恋し 
     雉の声」 



足立区: 西新井大師(総持寺) ①賑わいの凄さと芭蕉探し!

2024-06-29 10:29:41 | 日記
令和6年6月29日(土)
足立区: 西新井大師(総持寺) ①  
 東武大師線「大師前」駅から
歩いてすぐの場所にあるのだが、
初詣の人で、駅前から道一杯、
整列。
 回り道を使い、
警察官の指示で整然と進んでいく。
 一時間以上掛けて、
やっと境内に。
 明治神宮の初詣以来だが、
こちらは出店もいっぱい。
 三日目の午後というのに、
この人出。
 やっと三重の塔が見え、
人越しに撮影。

 本堂に上がれたのは、
その十数分後。
<本堂>

 それぞれの家の安寧と
息子夫婦の二世の安産を祈願し、
本堂片隅のお神籤を戴く。

 開くと、「大吉」。
 「楽」の太字が目に入る。
祈願が叶っているよう。  
 その後、芭蕉の句碑探し。 
 百数十という出店を見ながら、
参拝客や出店の食べ物を楽しむ
人の群れをかき分け、
境内を探索。 
<鐘楼>
<八十八箇所大師像>

~つづく。

足立区: 安 養 院 「行く春や・・・」芭蕉句碑!

2024-06-28 10:44:26 | 日記
令和6年6月28日(金)
足立区: 安 養 院               
 安養院は、
もと千住元町にあり。
<山門>

 鎌倉時代北条時頼が創建した
と伝えられ、西林山長福寺と称する。
 慶長3年(1598)兵火の災に遭い、
現在地に移り、
真言宗西林山長福寺安養院と改める。
<本堂>

 本尊は、金銅仏の阿弥陀如来で、
鎌倉末期のもの。
 中興開基第1世は賢智上人で、
北条氏の臣高梨氏の出身である。
 以来歴代の住職と檀家の努力で
幸運栄え、
江戸末期から明治初期にかけては
真言密教の檀林となり、
多くの仏弟子を世に送る。
<樹木の多い境内>

 現在の本堂は、
大正12年、
第22世良道僧正によって
再建されたもの。
<芭蕉句碑>

 芭蕉句碑は、
「ゆく春や 
   鳥なき魚の 
     目は泪」

 境内には、観音堂もあり。

 かんかん地蔵と呼ばれる石地蔵は、
石でかんかん敲くと願いが叶うという。


足立区: 千住本氷川神社 輪を潜って拝殿、芭蕉句碑!

2024-06-27 10:08:37 | 日記
令和6年6月27日(木)
足立区: 千住本氷川神社  
<社殿> 
    
 千住本氷川神社は、
足立区千住にある氷川神社。
<参拝客で賑わい!>

 徳治2年(1307)、
千葉氏によって、
牛田に千葉山西光院と共に
氷川神社として創建。
 江戸時代初期、
当地に分社として建立する。
 明治43年(1910)
荒川放水路建設のため、
牛田氷川神社を合祀し、
さらに昭和45年に
社殿を新築して現在に至っている。
 千住七福神の大黒天。
<輪を潜り拝殿>

 平成3年(1991)、
芭蕉翁奥の細道旅立 
 300年記念として再建。
<芭蕉句碑>

 文久3年(1863)建立の旧碑は、
現在足立区立郷土博物館に
保存されている。
句は、
「春もやゝ 
  けしきととのふ 
     梅と月」 
 梅の花もほころび、
それに月の朧が加わって
いっそう春めいてきた、
という句意。



千住宿:奥の細道プチテラス 芭蕉石像など!

2024-06-26 11:01:24 | 日記
令和6年6月26日(水)
千住宿:奥の細道プチテラス

 足立市場の正面ゲートの
すぐ横にある
「奥の細道プチテラス」は、
鰻の寝床公園?

 国道4号線沿いで、
ちょっと「えっ!」という感じ
も否めない。
 その一画に、
等身大に近い芭蕉の白色の石像が
ある。

 これが一番に飛び込んで来る。
 石像も珍しい。

 等身大なのか、ちょっと小さめか?
<芭蕉石像擁立の説明>

 このプチテラスに用いられている
敷石は、昔の「やっちゃ場」の
「せり場」に敷かれていた御影石。
 他、「日光道中 千住宿道標」、
「奥の細道入口、やっちゃ場看板」

などが設置されている。
 「街薄暑 奥の細道 ここよりす」
と菖蒲園の句碑あり。
また、ここを通る旧日光街道は、江戸時代の参勤交代で使われた道であり、当時の様子が描かれたパネルも設置されている。