貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

藤沢宿:白旗神社 弁慶藤と芭蕉句碑「草臥れて・・・」

2023-06-30 11:15:34 | 日記
令和5年6月30日(金)
藤沢市: 白旗神社              
 旧・藤沢宿。
 藤沢市の白旗交差点から
国道467号(八王子街道)を
北へ300メートル進んだ場所にある。

 白旗交差点のすぐ傍には、
伝・源義経首洗井戸も残っている。
 創立年代は不詳。
 荘厳寺(地図)を別当とした神社で
相模国一宮の寒川神社の祭神を祀り
寒川神社と称している。
<白旗神社湯立神楽の説明>

 享保年間(1716 - 1735)に
正一位に叙せられ、    
坂戸町の総鎮守となる。
 元文年間(1736-1741)に
荘厳寺が火災で消失し、
延享4年(1747)に神社の隣に移転。 
 宝暦2年(1752)に社殿の再建、
白旗神社と称するようになる。

 明治8年(1875) 荘厳寺が
明治元年(1868)の神仏分離令
により移転。
 御朱印をいただく間に
神社内を散策。
<芭蕉句碑>と弁慶藤

 芭蕉の句碑は、
「草臥(くたび)れて 
  宿借る頃や 
    藤の花」 



茅ヶ崎市金剛院 槇に守られし芭蕉句碑

2023-06-29 09:37:48 | 日記
令和5年6月29日(木)
茅ヶ崎市: 金 剛 院  

<本殿>

          
    金剛院は
相模国準四国八十八ヶ所
第49番の霊場。
<大師堂>

 茅ヶ崎市がまだ茅ヶ崎町だった頃、
1908年から1911年まで
茅ヶ崎町役場が置かれている。
<芭蕉句碑>

 
芭蕉の句碑の句は、
「父母の 
  しきりにこひし
    初松魚」
 である。


横浜市戸塚区 富塚八幡宮 戸塚の地名由来と芭蕉!

2023-06-28 12:01:30 | 日記
令和5年6月28日(水)
横浜市戸塚区: 富塚八幡宮     
 源頼義・義家父子が、
前九年の役平定のため、
奥州下向の折にこの地に露営。

 夢の中で応神天皇(誉田別命)
及び富属彦命の神託を授かり、
その加護によって戦功を収めたため、
延久4年(1072)
富塚山中腹に社殿を造り、
両祭神を勧請したもの。

 明治6年(1873)に郷社に列す。
 境内裏山(富塚八幡緑地)に
富属彦命の墓と伝えられる古墳があり、
これを「富塚」と呼んだことが
「戸塚」の由来とされている。 

 また、
全国の戸塚姓・富塚姓の祖先とされる
戸塚(富塚)一族が
平安時代にこの地に住んでいたことから、
当社を全国の戸塚姓・富塚姓の
祖霊神としている。

  三叉路の角地にある塚、
階段を20数段上がった所にある。

 お宮の下にある芭蕉の句は、
「鎌倉を 
  生きて出けむ  
    初松魚」    
「鎌倉を 
  生きて出でけむ 
     初鰹」   
である。


戸塚区清源院色々な墓あり 芭蕉句碑あり

2023-06-27 11:33:35 | 日記
令和5年6月27日(火)
横浜市戸塚区: 清 源 院       
 戸塚駅前にある寺である。

 全て建て替え中であった。

 小山に墓、
墓詣でをしている感じ。
 いろいろなお墓があり。
 ○○○時代に師岡の70代の男性が
突然訪問されたことを思い出す。
「墓詣でが趣味で、
某寺で、素晴らしい詩に出合う。
 墓主のお家を訪ねたら、
作詞者は貴方だといわれる・・・」
という趣旨。
 丹さんの墓誌のこと。 
 今、思い出しても辛きこと。
 最愛の父親の故郷に帰っている
6年生の夏に、
くも膜下出血を起こし天に召される。

 毎年その時期になると、
秋田で収穫されるメロンを
送り続けてくださっている。
 深謝するのみ!
 その夜の哀しみの愚作が
墓碑の隣に刻印されているのだ。

 芭蕉の句碑は、
「世の人の 
  見付けぬ花や 
     軒の栗」 




横浜市鶴見区総持寺「芭蕉庵桃青翁像碑」初見!

2023-06-26 11:44:42 | 日記
令和5年6月26日(月)
横浜市鶴見区: 総 持 寺   
<本堂>
   
 總持寺は、曹洞宗大本山の寺院。 
 1911年に石川県鳳至郡門前町から
現在地に移転。
山号は諸嶽山。本尊は釈迦如来。
 能登国櫛比庄(現在の石川県輪島市)
の真言律宗の教院「諸嶽観音堂」が、
「總持寺」の前身である.
<鐘楼>

 元亨元年(1321)
曹洞宗4世の瑩山紹瑾は、
「諸嶽観音堂」への入院を
住職の定賢から請われる。
 また同年に定賢より
「諸嶽観音堂」を寄進され、
寺号を「總持寺」、
山号は「諸嶽観音堂」にちなみ
「諸嶽山」と改名し禅院とする。
<大祖堂>

 翌年(元亨2年)
後醍醐天皇より
「曹洞賜紫出世第一の道場」の綸旨を
受けて官寺、大本山となり、
曹洞宗を公称する。
<金鶏門>


 元和元年(1615)
徳川幕府より法度が出され、
永平寺と並んで大本山となる。

 明治31年(1898)火災で焼失。
 明治44年(1911)、現在地に移転。
 石川県輪島市門前町の旧地は
總持寺祖院と改称される。
 奨学金の関係で、
2年間鶴見区にある処にお世話になる。
 こんな由緒も初めて知る。
 ほんとに総本山という処。
<芭蕉庵桃青翁像碑など>

<芭蕉庵桃青翁像碑>

 芭蕉庵桃青翁像が、
鐘楼の右脇に建立されている。