貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

目を覚ます自然の歓喜!

2021-08-31 13:34:21 | 日記

目を覚ます自然の歓喜!

令和3年8月31日(火)

 8月もあっという間に大晦日。

春雨や 

 ふた葉にもゆる 

   茄子(なすび)種(だね)

   春雨の中、茄子床に蒔いた種から

双葉が萌えだしている、の意。

 元禄三年(1690)の作。

 前書き「ふる里このかみが園中に

三草の種をとりて」

「このかみ」・・・長兄。芭蕉の兄、

         松尾半左衛門。

「三草の種をとりて」・・・三種類の

種。茄子、唐辛子、芋の三種。

「もゆる」・・・萌ゆる。芽生える。

 春雨の本意である植物を育てる

イメージを生かした句。

◎ 細かい粒の春雨が降っている。

その雨の中に、自分が蒔いた茄子の

種から双葉開いている。

 雨も植物も春になると、自然が

目を覚ましたように、活動し出す。

 雪で氷って動かなかった植物も

柔らかな双葉を赤ん坊が両手を挙

げて伸びをするように開いている。

 自然は天も地も呼応したように、

明るい誕生の運動を始める。

「ふた葉にもゆる」運動である。

 何と不思議で、美しく、可愛らしい

ことだろう。

 ところで、この句には、

推敲ではなくて、別の記述の句もある。

 「春雨」を「こまか成(なる)雨(あめ)」

と書き、

「ふた葉にもゆる茄子種」を、

「二葉のなすびだね」

と記すのだ。

 すなわち・・・つづく。


詠嘆の助詞「も」の効用

2021-08-30 10:37:36 | 日記

詠嘆の助詞「も」の効用

令和3年8月30日(月)

二日にも 

  ぬかりはせじな 

      花の春

 二日にはしくじったりしないで、

日の出を拝んで、初春を祝うのだ、

の意。

 貞享五年(1688)の作。

「二日にも」・・・『三冊子』に

よれば、「二日には」というべきところ、

それでは平板で趣がないため、

「二日にも」にしたという。

「ぬかり」・・・手抜かり、失敗。

 紀行本文に、除夜に酒を飲んで、

夜更かしをし、元日は寝過ごして

しまったとある。

◎ 元日の朝はよってしまい、

初日の出を見損なってしまった。

 そこで、二日に日の出を見ること

にした。

 春の朝の暁の桜を見るのに、

「二日には」とするのは、

「あまり平目にあたりて、聞なく

いやし。」と避けたという話が

残っている。

 「二日にも」の「も」は、

詠嘆の助詞で「二日に」とするのと

同じである。

 しかし、「字足らず」となって

形が悪くなる。

 わずか一文字だが、一字でも

おろそかにしないところが、

芭蕉の面目である。

 井本・堀両氏注解の『松尾芭蕉集①全発句』

には、去来の

「凩の 地迄おとさぬ しぐれ哉」を、

芭蕉が「地迄とかざりたる迄の字いやし」

と教え、

「凩の 地にもおとさぬ しぐれ哉」

と改めさせたとあり。

 我が師匠も大いに啓発された。

 漢字と平仮名の用い方を芭蕉は教えている。


自然の奥を見抜く力

2021-08-29 12:23:34 | 日記

自然の奥を見抜く力

令和3年8月29日(日)

春の夜は 

   桜に明て 

     しまひけり

  朝日が桜を照らしだし、春の夜は

すっかり明けてしまった、

の意。

 年次不明

「桜に」・・・桜を観賞しているうちに

これから桜を観賞すべくの二解あり。

 曙光を受けた桜への賞美吟と見られる

ものの、構成上は夜を主体にしており、

夜桜の名残を惜しんでいるとの解もある。

◎ 春の夜の帳が引き明けられると、

まるで美しい芝居の幕開きのように、

江を巡る桜が、曙の光に照らし出さ

れてきた。

 前夜から続いていた花見の宴が

赤々とした光に一層美しく見える。

 春は、花も朝もいい。

 寝るのは遠くに忘れてしまったが、

朝になったと分かっていても、

まだ眠る気にならない。

 夜も朝も昼も、春はいい。

 こう読めてくると、今の人々の花見が

乱れた、しかも数時間ほどの花見などは、

まるで花見ではないと、

芭蕉に叱られそうだ。

 春という季節に対する態度、

花見に対する態度は、

芭蕉のほうがずっと真剣で美しく、

自然の奥の奥まで見抜く程の力を

持っていたと言わざるを得ない。


俳諧の謎を解く鍵の句

2021-08-28 17:22:40 | 日記

俳諧の謎を解く鍵の句

令和3年8月28日(土)

木曾の情 

   雪や生ぬく 

      春の草

    木曾義仲の心意気をそのまま、

春草は木曾塚あたりに残る雪の下

から芽を伸ばしている、

の意。

 元禄四年(1691)の作。

「木曾の情」・・・木曾義仲の心情・気質。

 底本の編者史邦(ふみくに)  の自序中

に引かれた句で、義仲寺(大津市)での吟。

◎ 木曾義仲こそ、芭蕉が最も敬愛

する武将であった。

 木曾の山の奥に隠れていて、不意に

平氏を急襲して都に攻め入る。

 田舎の荒々しい男が、京で高位の公達

になって威張っていた平家の武士たちを、

忽ちに一掃した。

 その義仲の所業が、積もった雪を

撥ね除けるような春の草の生命力の

強さを示していて面白いと

芭蕉は詠んでいるのだ。

 芭蕉は生前義仲寺の墓「木曾塚」の

近くに庵を結んでいて、

死後は塚の横に自分を葬るように

言い置いていた。

 塚のあたりの四季の眺めをこよなく

愛し、それを知らなければ良い句は

生まれてこないと、門弟に語っていた。

 四季の眺めは、義仲の心中を

知ってこそ、それを写しても

強い感銘を受けるとも語っていた。

 この一句に込められた俳人の

心の深さを読み取ることこそ、

芭蕉の俳諧の謎を解く鍵である。


清貧の安定感は?

2021-08-27 15:06:58 | 日記

清貧の安定感は?

令和3年8月27日(金)

はる立や 

  新年のふるき 

      米五升

この初句は、

我富り 新年古き 米五升

   これでは、威張りすぎと気付いて

もう少し穏やかに!

 似合しや 

   新年古き 

         米五升

    清貧を自慢するような響きがあって、

芭蕉は気に入らなかった。

    結局最初にあげた「はる立や」の

句に落ち着いたらしい。

 それにしても米五升で正月を過ご

せるのか。

 誰かが訪ねて来て、酒肴があって

こそ正月なんだろうから、

句作もなかなかお膳立てが難しい。

 天和か貞享か、いずれにしても、

普通の正月ではない。

深川の草庵に来た初期の作品と読める。

 自分の貧乏を世捨て人という諦念に

ぴたりと一致させているという気持ち

はあるのだが、まだその気持ちが

安定していない。

 結局、最初に示した「はる立や」と

いう自分のおかれた状況を淡々と

詠んだ句が力まずに自然で、

最上の表現であった。

はる立や 

  新年のふるき 

      米五升

 それにしても、「立春と新年」の

新たな希望、歓びと、

「ふるき」「米五升」という暮年の

寂しさ、哀れさ、多忙さ等との対比は、

半世紀以前の庶民の暮らしを想起させ

させたりもする。

 清貧はよいのだが・・・・。