貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

結びの地大垣その7菩提寺円通寺と・・・!

2023-05-31 10:54:18 | 日記
令和5年5月31日(水)
 大垣藩の菩提寺:円通寺   
<円通寺山門>
      
 円通寺山門は、
1635年(寛永12)、
大垣初代藩主戸田氏鉄公が
尼崎から大垣へ国替えになった時、
菩提寺である本寺の伽藍を移し、
現在地に建立。

 現在の木造本瓦葺きの山門は、
天保年間(1830~44)に再建され、
大垣藩十万石の歴代藩主の
菩提寺の山門に相応しい
豪壮な姿を、今も伝えている。
<本殿>

 本寺には、
芭蕉と如水の句碑がある。
<芭蕉と如水の句碑>

 芭蕉の句は、
「こもり居て 
  木の実草の実 
    拾八ゞや」
 如水の句は、
「御影
  たつねん松の
       戸の月」
 そして、また水門川へ戻る。

 ミニ句碑あり。 
 円通寺の傍である。
 富山県射水市那古での
芭蕉の句だ。

「わせの香や
  分入右(みぎ)は 
   有そ海」

  その後、
八幡大橋の手前まで行くと、
 新潟県糸魚川市市振での、
芭蕉の句の説明板に出合う。
~つづく。

結びの地大垣市その6水門川の水草や藻の除去作業と・・・!

2023-05-30 11:39:38 | 日記
令和5年5月30日(火)
「名月や 
  北国日和 
    定めなき」
すぐ近くに、加賀全昌寺で詠んだ、
句碑もある。

「庭掃て 
  出ばや寺に 
     散る柳」

 庭だけではなし。
 川に育つ水草や藻採りなどの作業を
している業者さんと出くわす。
 
 年中行事の一つかな。
 ちょっと汚れも目立つ水門川を、
地元の方々とともに観光の私たちも
応援したいものだ。  
 我が地元青梅も同じかな。
 小松市の那谷寺の
私の好きな芭蕉句の一つにも出合う。

「石山の 
  石より白し 
    秋の風」
<その説明>

 そして、円通寺に至る。
 ここの山門は、木造本が藁葺きで、
 天保年間(1830~44)に再建された門。
 大垣版十万石の歴代藩主の菩提寺の
山門に相応しい豪壮さを、
今に伝えている。


結びの地大垣その5 大垣青年クラブの句碑と芭蕉北国句碑!

2023-05-29 11:04:16 | 日記
令和5年5月29日(月)

 芭蕉句碑の近くに、
「行く春を 
    翁と語り 
      川下る」
 大垣青年倶楽部の方の句や
12名の句も
また楽し!
<大垣青年クラブの十三名碑>

 美登鯉橋の所を渡らず、
<美登鯉橋>

大垣運河の方へ道なりに行ってしまう。
 ちょっと変だな、
 これじゃ船は通れないなあ等
疑いながらテニススタジアムまで…?
 やはりおかしいと地図でも確かめる。
 Uターン。   
 自転車なので、
こういう時戻りも楽。
 ほんに助かる!                
 敦賀の句に出合って、
またまた気分復活!
<芭蕉句碑敦賀>

 「名月や 
  北国日和 
    定めなき」
<芭蕉句碑説明板>
























庭だけではなし。川に育つ水草や藻採りなどの作業をしている業者さんと出くわす。 年中行事の一つかな。
ちょっと汚れも目立つ水門川を、地元の方々とともに観光の私たちも応援したいものだ。  我が地元青梅も同じかな。


結びの地大垣その4 田三反句と四季の広場!

2023-05-28 11:38:34 | 日記
令和5年5月28日(日)
 少し脇道にそれたが、
朱塗りの住吉橋を過ぎると、
「田三反句塚」
という芭蕉句碑がある。
<田三反句碑>

 「隠家や 
   菊と月とに 
    田三反」
 月によく菊も賞すべく
まことに恰好の隠棲の地であるの意。
 「田三反」とは、一休禅師の詠んだ
 「山居せば 
   上田三反味噌八斗 
     小者ひとりに
       水の能所 (よきとこ)」 
を引用している。
 隠棲の料として、理想的な程度。
 木因は舟問屋を営む富家、
もとより三反どころではないが・・・。
 そして、四季の広場へ。
<四季の広場付近>
<虹の橋>

<四季の広場>

 馬場町総合福祉会館の所には、
芭蕉句碑、
「降らずとも 
   竹植る日は 
     みのと笠」
がある。
 これが無料のレンタサイクル車である。

 ここで、
家内のつくったおにぎり2個と
おかずをほおばる。
 その中途、3・4名ほどの婦人が
携帯写真で無神経な盛り上がり、
のんびり昼食と光景の静寂も破られ、
ちょっと無念?
 絶景を細々眺めたりして、
気分を変える。




大垣結びの地その3 初旅の不安から歓喜へ!

2023-05-27 11:15:20 | 日記
令和5年5月27日(土)
 長旅の疲れを、
大垣で木因らと俳諧に興じ、
癒やすことになる。
<谷木因の俳句の道標>

 木因の俳句道標は、
手前にあり。      
「南いせ 
  くわなへ十里ざ 
     いがうみち」 
と詠む。                 
 伊勢まで船旅もいいなあ!           
 芭蕉句碑を挟むように、
木因白桜塚がある。  
<木因白桜塚>
   
「惜むひげ 
   剃りたり窓に 
      夏木立」           
      白桜下 木因
と刻印されている。
 旧友木因との再開のくだりでは、
「大垣に泊りける夜は、
木因が家をあるじとす。
武蔵野出でし時、
野ざらしを心におもひて
旅立ければ、
「死もせぬ 
  旅ねの果てよ 
    秋の暮れ」
 と旅の緊張感をほぐし、
冒頭の句文に対応させて
大垣での様子を表現している。
 ちょうど大垣が
この旅の締め括りのような感じを
与えている。
 初旅の不安は見事に消去され、
歓喜の大垣という印象。
 元禄元年(1688)の春より、
大和から大阪・兵庫を巡歴しての後、
京都に滞在していた芭蕉は、
夏五月、
大津より帰東の途中、
岐阜妙照寺住職である己百上人の
案内で、美濃に来遊する。
大垣木因亭にて、
「来てみれば 
  獅子に牡丹の 
     住居哉」
という句を詠み、
ここから芭蕉は、
名古屋・鳴海方面をまわり、
8月11日、
美濃路を経て、
「更科紀行」の旅に出立する。
~つづく。