ついの世界へ 推敲の極み ⑤
令和3年1月29日(金)
『野ざらし紀行』では、
「馬上吟」として、
道のべの
木槿は馬に
くはれけり
「廿日餘の月かすかに見えて、
山の根際いとくらきに、
馬上に鞭をたれて、数里
いまだ鶏鳴ならず。
杜牧が早行の残夢、小夜の中山に
至りて忽ち驚く。」と本文。
そして、
馬に寝て
残夢月遠し
茶のけぶり
という句が続く。
今日は、この馬の句の推敲をみる。
「馬上で寝てしまい、その夢から
醒めると、有り明けの月が遠く
の空に残り、里では朝茶を煮る
煙が立ち上っている、の意。
貞享元年の句である。
晩唐の詩人杜牧の「早行」にある
「鞭を垂れて馬に任せて行く。
数里いまだ鶏鳴ならず。(中略)
月が暁に明らむ遠い山に浮いて
いる。」
という詩と似ており、杜牧の詩から
想を得たものというのが定説らしい。
初句は、
馬上落ンとして残夢残月
茶の烟
カタカナの「ン」を使ったところが
芭蕉らしく面白い。
平仮名は形の描写、片仮名は動きの感覚
があると、師匠(?)は云う。
落ちそうになり、吃驚して目覚める
様子が如実。
カタカナ使用の効用である。
そして、推敲。
馬上眠からんとして残夢残月
茶の烟
「眠からんとして」に推敲。
状況が正確に言い表している。
眠くて、ちょっと眠ったときに
短い夢を見た。
夢が消えて現実の月が見える。
茶の烟りも見える。
馬から落ちずに風雅な景色を見る
ことができた良かった。
しかし、「残夢」と「残月」の並列が
気になる。
夢と月は別世界の光景だ。
夢という非現実、
「月」や「烟り」は現実のこと。
そこで、「残月」は「月遠し」に、
「烟り」を平仮名に。
馬に寝て
残夢月遠し
茶のけぶり
お見事な推敲である。
尊んだ西行の短歌、
「年たけて
また越ゆべしと
思ひきや
命なりけり
さやの中山」
の小夜の中山に至るときに、
遠い昔の夢と現実の遠い小夜の
中山の月とが繋がっている
素晴らしさ!!
すごいとしか言い様がない。