貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

一日半

2019-10-31 14:02:11 | 日記

一日半

令和元年10月31日

 二日か三日、好天の時を

待ち望み、やっと・・・。

 一日目、午前中波板剥がし。

午後は、ペンキ塗り。

 波板剥がしは、棟梁の気分。

高いところから見る景色は

また趣があり、小さな悦びも

あり。

 しかし、2~3センチの桟の

上に重心がないと、劣化した

波板がベリバリ、バリベリの

深いな落下音?

 「暮れ暮れも落ちないように!」

と、棟梁からも家内からも注意を

促されている。

 重いハンマーと釘抜きのコンビの

活躍で一本の釘がやっと抜ける。

 一本一本抜くごとに、ほっと

する。

 下っている一番下の段と

ミカンが鈴なりの端の釘を

抜くときはさらに緊張を

集中力を駆使。

 しゃがみ込んでの活動。

だんだん、足腰の筋肉が

固まりつつ・・・。

 途中休憩を挟み、すべての

釘を抜き終わる。

 「ああ、落ちなくてよかった!」

 午後は、ペンキ屋さん。

 あと15年持たすには、柱・桟

等油性のペンキ塗り。

 4年前に柱等塗れるところは

塗ったので、それ以外の所。

 その時の残りのペンキを使う。

 2度塗りをすると、ペンキも

終了。

 これで、明日、新しい波板を

はれば・・・。

 (よし午前中で完了だ)

という見通しも立つ。

 そして、今朝は8時半より。

波板を並べ、釘打ち。

 新しい波板は弾力もあり、重心を

ちょっと外しても大丈夫。

 11時に全ての場所に、規則通り

打ち、終えることができる。。

 「やったあ!」

という達成感もあるが、

「ああ、無事終わってよかった!!」

というのが本音。

 「まだまだ、若い!wakai!]

と息子にメールしたら、

「無事に作業が完了して

安心しました。

 あまり無理をしない範囲で

やってね。」

と・・・。

 小屋の屋根の張替は、

みんなの心配と配慮のおかげ!

 ミカンも心配してたのかな?

 

 

 

 


地蔵堂が満徳寺に

2019-10-29 09:27:00 | 日記

地蔵堂が満徳寺に

令和元年10月29日

 予報だと、今日の雨で雨も

少しお休みに!

 今朝は時雨。

 三日ぐらい晴れたらと予定

していた修繕をやっとできそう・・・。

 一ヶ月近く延長したなあ。

 さあ、今朝から知多市へ。

 満徳寺参拝!

  元文4年(1739)、寺本新田原村

の地蔵堂として草創。

 明治6年(1873)一旦廃寺

の後、村民一同の請願により、

明治29年(1896)満德寺と

して再興。

 現住職は6代目。 

 門の前、右道路脇に、

芭蕉句碑がある。

 句は、

「今日はかり

  人も年よれ 

   初時雨」

 そして・・・・。


陶酔のハーモニー

2019-10-28 09:23:45 | 日記

陶酔のハーモニー

令和元年10月28日

 昨夜は久しぶりのウィーンの

演奏家の生演奏を聴きに、羽村

のゆとろぎへ。

 ウィーン・フーゴ・ヴォルフ

三重奏団の日本ツアー。

 佐藤財団さんが毎年主催。

 9月1日に、お一人様4枚

までの入場整理券を戴きにいき、

待ち望んでいた演奏会。

 ウィーン・フーゴ・ヴォルフ

三重奏団とは、ウィーンフィルの

前コンサートマスターのダニエル・

ゲーデさんが中心で結成した三重奏

団。高名なヴァイオリニスト。

 ピアノは、

オリヴァー・トレンドゥル。

 幼少時から国内外のコンクールで、

多くの受賞歴。世界の著名オーケス

トラとも共演。室内楽の演奏も

得意。

 そして、チェロ奏者。

グスタフ・リヴィニウスさん。

 チャイコフスキー国際コンクール

のチェロ部門優勝者で、現在は審査員。

ドイツで唯一の優勝者。

 とにかく最初の、

ブラームスのピアノ三重奏曲第2番

。一人ひとりの奏でる音の美しさ、

そして、三人のハーモニーに酔い

しれる。

 後半の二曲目のヘンデルの

ハープシコード組曲の最終楽章

「パッサカリア」をハルヴォルセンが、

編曲。クラリネットの代わりにチェロ

が入る。

 三重奏の美しい音色が琴線に触れる。

 そして、日本の歌メドレー。

落葉松、見上げてごらん夜の星を、

天城越え、レモンと続く。

 天城越えが個性的に響いてくる。

 そして、タンゴメロディー

 そして、最後にウィーンの国歌

ともいわれる「美しく青きドナウ」。

 

 席を立って帰ろうとする人も

いない。

 2時間はあっという間。

 陶酔のハーモニー!

 10時に床についたが、

2時間ぐらい陶酔の余韻か、

眠れない時も楽しむことに!


普く救う寺

2019-10-27 09:17:39 | 日記

普く救う寺

令和元年10月27日(日)

 今朝も東海市へ。

 芭蕉のおかげで、随分お寺を

参拝したが、「普済寺」という

名のお寺は初めて!

 

 「普済」とは、「普く(=幅広く)

済う(=救う)」という意味。

 仁王門は木製。

 阿吽像が二階にあるよう。

 市指定の文化財として、

『法要決疑論』がある。

 それは、文明14年(1482年)に

逆翁崇順(禅宗僧侶)によって

書かれたもの。

 禅家の法要についてのいろいろ

な儀礼について、問答形式で解説し

たもので、今も活用されている。

 

 芭蕉句碑は、本堂左奥の六地蔵

の右の片隅にある。


 句は、

「古池や 

 蛙とひこむ 

   水の音」

 と 

「ものいへは 

  唇寒し 

   秋の風」

 の二句。

  なぜ、二句を選んだのか、

そして、目立たない片隅に建立

されているのはなぜか。

 お寺再建の時の都合かな?

 とりあえず見つかってよかった!


鐘は上野か浅草歟

2019-10-26 09:25:53 | 日記

鐘は上野か浅草歟

令和元年10月26日(土)

 いよいよ東海市へ。

 

 熊野神社へ。

 鉄と洋蘭の町、東海市の中ほどに

位置し、樹木の茂る自然豊かな森を

背に、四百年以上の歴史を刻む

熊野神社。

 その創建は詳かではない。

 古文書によると、永禄3年(1560)、

桶狭間の合戦で織田信長に敗れた

今川義元の家臣の久野清兵衛

(二代目)宗政が、駿州久能山を

出てから、縁あって加木屋の住人

になる。

 久能山を出る時、所持していた

弥陀・薬師・観音の三尊の内、

観音を氏神の御神体としたという。

 芭蕉句碑は、本殿前左植込みの

中にある。

 すらっと縦長の石碑で、

句は、

「花の雲 

  鐘は上野か 

    浅草か」 。

 貞享4年春。詞書によって

深川芭蕉庵での吟。

 上野は、江戸上野寛永寺。

浅草は浅草寺

「花の雲 

  鐘は上野か 

     浅草歟」