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『手塚マンガでエコロジー入門』(マンガ+エッセイ 手塚治虫)その1

2020-05-26 13:28:00 | ノンジャンル
 2019年刊行の本『手塚マンガでエコロジー入門』(マンガ+エッセイ 手塚治虫)を読みました。
 まず、野上暁さんによる「解題」の一部を転載させていただくと、

 敗戦後の荒廃から立ち直った日本は、高度経済成長下での環境汚染が各種の公害を引き起こし、公害反対運動が各地で起こります。そして、経済成長よりも環境が大切だという意識が1970年前後から急速に拡がります。地球環境に関する危機意識は日本だけではなく、国際連合は1972年に人間と環境に関する初めての国際会議をストックホルムで開き、環境問題を地球規模で考えることの必要性を確認するのです。しかし日本では、1972年に誕生した田中角栄内閣の列島改造計画により、各地での自然破壊や環境破壊がさらに進行していきました。この本に収められた作品は、「鉄腕アトム ミドロが沼の巻」をのぞき、すべて1970年代の後半に発表されたものばかりです。
 ぼくは1967年の四月に小学館に入社し「小学一年生」編集部に配属されて、10月から手塚先生の担当になります。当時、先生は練馬区富士見台にあった自宅兼仕事場で執筆していましたが、通りを隔ててすぐ前のアニメスタジオと行ったり来たりしながら、いつ寝ているのかわからないような忙しさで、マンガとアニメ制作の両方を精力的にこなしていました。
 63年に日本初のテレビアニメ「鉄腕アトム」を大ヒットさせ、65年には初めてのカラーによるテレビアニメ「ジャングル大帝」を放映し、66年には虫プロ商事を立ち上げます。67年にアニメ「展覧会の絵」で芸術祭奨励賞、毎日映画コンクール大藤信郎賞、ブルーリボン教育文化映画賞、アジア映画祭特別部門賞を受賞。この年、虫プロ商事から月刊誌「COM」を創刊。68年には手塚プロダクションを設立。69年には、劇場用アニメの「千夜一夜物語」も公開。70年の大阪万博ではフジパン・ロボット館のプロデューサーも務め、先生は30代の後半で最も充実していた時期でもありました。
 しかし、「COM」は思うように売れず、虫プロ商事も赤字がかさみ、アニメ制作会社の虫プロダクションも500人を超えるスタッフを抱えて経営的なピンチに襲われます。そして、73年8月に虫プロ商事が、11月には虫プロダクションが倒産するという、たいへんな危機に陥るのです。その過程での人間不信もあったのでしょう。広大な宇宙のなかでの、ちっぽけな人間。その人間が、自分だけの利益を求めて他人を踏み台にする。それは経済優先で自然を破壊していく大量生産大量消費の経済システムの在り方への疑念にもつながります。
 昆虫少年で医学博士でもあった手塚治虫は、失われていく自然や環境破壊に対しては、早い時期から危惧感を抱いていました。「鉄腕アトム」の初期の作品「赤いネコの巻」(1953年)は、まだ自然環境などにほとんど関心のなかった時代に描かれた、環境破壊をテーマにした先駆的作品でもありました。核の危険性についても、「太平洋Xポイント」(1953年)や「大洪水時代」(1955年)など、早い時期から作品化しています。その手塚治虫が、70年代後半から意欲的にエコロジカルな作品を発表するのは、このような時代的背景があったのです。
 この本では、手塚が生前に発表したエコロジーに関わるたくさんの作品の中から八点を紹介し、それぞれの作品末には、次世代に伝えようと亡くなる直前まで書き続けた未完のエッセイ集『二十一世紀の君たちへ ガラスの地球を救え』(1989年 光文社)から採録した文章を掲載しています。私たちが暮らしている地球という星は、ガラスのように壊れやすく、戦争や環境破壊で危なくなっている地球を救うのは、未来の子どもたちだと、子どもたちに向けて書き始めたのですが、最後まで書けずに亡くなってしまいました。
 「自然がぼくにマンガを描かせた」では、マンガ家・手塚治虫の誕生の背景にある豊かな自然の記憶と、自然に根ざした生命の尊厳を常にテーマにしてきたと語り、「生命のないところに未来はない」と述べています。「地球は今、息も絶え絶えの星になってしまいました。いったい、いつの間にこんな事態に陥ってしまったのでしょうか。人類はどこかで針路を誤ったのでしょう」という最後の言葉は痛烈です。つまりこれからのエッセイのそれぞれは、手塚治虫が子どもたちに伝えたかった遺言ともいえる貴重なメッセージなのです。手塚マンガはエコロジーについてさまざまな角度から考える最適な教材でもありますが、ここに掲載されたエッセイと一緒に読むと、手塚治虫が生涯をかけて読者に伝えようとしたメッセージの重みがしっかりと伝わってきます。

(明日へ続きます……)

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青山真治監督『ヤキマ・カナットによろしく』&瀬々敬久監督『菊とギロチン』など

2020-05-25 00:24:00 | ノンジャンル
 昨日は鈴木清順監督の生誕97年に当たる日でした。清順監督といえば、今の私にとってはつい先日DVDで観た『ハイティーンやくざ』が一番印象的な作品になっているのですが、次に控えているDVD『悪太郎』も以前観た時にとても面白かった記憶があるので、今から観るのを楽しみにしているところです。3年後には生誕100年になるので、そうすれば「鈴木清順監督生誕100年祭」なるイベントが起こることは必至で、その時に今は見られないプログラムピクチャー時代の作品を観ることができるのでは、と秘かに期待したりしています。映画好きでまだ清順作品を観ていない方がいらっしゃいましたら、是非観ることをお勧めします!!

 さて、WOWOWライブで、2015年公開のオムニバス映画『破れたハートを売り物に』の中の一篇、青山真治監督の『ヤキマ・カナットによろしく』を観ました。
 6メートルの高さから落ちて来た鉄骨により左足を骨折したスタントマンが、バーのカウンターで自分のことを延々と語り、彼が甲斐バンドの「ヒーロー」をバーの女性マスターにかけてもらい、立ち去った後、甲斐自身がハーモニカ演奏をする姿で終わるという映画でした。

 またWOWOWシネマで、瀬々敬久監督の2018年作品『菊とギロチン』も観ました。ウィキペディアの「菊とギロチン」のストーリーを引用させていただくと、「人々が貧困にあえぎ社会が不穏な空気が漂っていた大正時代末期、女相撲の一座である「玉岩興行」が東京近郊にやって来る。女だからという理由で様々な困難を抱えた彼女たちの中には、夫からの暴力に逃げてきた新人力士の花菊もいた。ただ「自分の力で強くなりたい」という思いで相撲を始めた花菊は厳しい稽古を積んでいく。そんな彼女たちは、社会を格差のない平等な社会に変えたいという夢を掲げるアナキスト・グループ「ギロチン社」の若者たちと出会う。時代に翻弄されながらも彼らは次第に心を通わせていく。」というもので、手持ちカメラによる撮影が印象的な映画でした。

 またWOWOWシネマで、上田慎一郎監督・脚本・編集の2017年作品『カメラを止めるな!』も観ました。テレビ用の約1時間ほどのゾンビ映画をワンシーンワンカットで撮るところのメイキングをそのまま映画にしたもので、出演する役者が酔っぱらって足腰が立たなくなったり、急に便意を催した役者が出てきたり、役に入り過ぎて台本とまったく違うことを始めるベテラン女優がいたりと、さまざまな困難を乗り越えて、ラスト、クレーンが壊れたので人間ピラミッドを作って俯瞰撮影をして終わる映画でした。世間では大ヒットしたと話題になった映画だったらしいのですが、特に新鮮な驚きはなかったと思います。

 またアマゾンのオンデマンドで、渡辺謙一監督の2009年作品『天皇と軍隊』を観ました。TSUTAYAの作品紹介から文章を引用させていただくと、
「日本国憲法第9条はなぜ必要だったのか? なぜ天皇制は存続したのか? パリ在住の渡辺謙一監督が曖昧で矛盾をはらんだ日本の戦後史を、学者や政治家など数々のインタビューや世界中から集めた貴重なアーカイブ映像を交えて描いたフランス制作ドキュメンタリー。
【ストーリー】冷戦期、アメリカの擁護のもとで、日本は第二次世界大戦の荒廃から経済的復興を遂げた。ソ連の崩壊、中国の市場開放、欧州統合とグローバリゼーションの波は、日本の政治に舵を切らせた。世界の中の日本のプレゼンスを高めるための“国際貢献”である。日本は矛盾と曖昧さの国であるとよく言う。憲法ひとつをとってもその矛盾は見てとれる。自衛隊の存在と、戦争および軍の保持を禁じた日本国憲法第9条。主権在民と天皇の地位の曖昧さ。これら3本の軸と言える、日本国憲法第9条、天皇そして軍隊について、天皇の貴重な映像をはじめ世界中から集めたアーカイブと、いまや鬼籍に入った政治家の田英夫や中川昭一など国内外の論客による秘蔵インタビューを交え、日本の戦後史を問い掛ける。」
 実際に映画を観ると、マッカーサーが天皇制を擁護することによって、その見返りに民主主義を根付かせることに成功したこと、村山首相が40数年ぶりに社会党として首相になったが、自衛隊の存在と日米安保条約の存在を認めたため、あっという間に人気を失っていったこと、韓国人の慰安婦の人たちが日本に対して起こしている、謝罪と賠償の訴訟について、福島瑞穂さんが先頭に立って協力していること、防衛大学校での日常、また三島由紀夫事件、靖国問題など、戦後のレジームを築いてきた様々な事実をわかりやすく描写したドキュメンタリーでした。天皇制に疑問を持つ方々、靖国神社の参拝に反対する人を理解できない方々に、ぜひ見てほしいドキュメンタリーだと思いましたb。

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金子勝・武本俊彦『儲かる農業論 エネルギー兼業農家のすすめ』その6

2020-05-24 01:35:00 | ノンジャンル
また昨日の続きです。

「『地域分散・ネットワーク型』への転換を阻むもの」
 今、新しい未来の創出をめぐって、古い「集中・メインフレーム型」の利害と新しい「地域分散・ネットワーク型」の利害が、潜在的に対立関係にあります。
 実は、古い「集中・メインフレーム型」の利害を代表するのは、重厚長大産業に支配された経済界です。原発再稼働や原発・武器輸出に邁進する一方で、ひたすら規模拡大路線による大規模専業農家のための規制緩和を要求しているからです。
 そして何より、銀行の不良債権問題から福島第一原発事故に至るまで、経営者も監督官庁も責任を取らず、ゾンビ状態の東京電力の救済を優先し、安全性を担保できないまま原発を再稼働しようとしていることが問題です。
 まさに二十一世紀の「地域分散・ネットワーク型」への転換を妨害する守旧勢力に成り下がっているのです。

「既得権益を打ち破る真の『電力システム改革』を」
「地域分散・ネットワーク型」とその担い手である「エネルギー兼業農家」を実現するためには、日本全体の電力の仕組みを変える電力システム改革が不可欠です。日本の場合、再生可能エネルギーの全エネルギーに占める割合が、EUに比べ極端に低い状況です。その背景には、発送電分離を中心とした電力改革が、EUに比べ遅れていることがあります。
 現在、政府は、電力システム改革を段階的に進め、発送電分離(法的分離)は2018年から2020年までを目途に実施することにしています。
 しかし、現在の改革案には、電力会社の地域独占を維持しようとする面があり、電力システム改革を中途半端で迅速さに欠けるものにしてしまうおそれがあります。
 なぜ、中途半端な「改革」にとどまりそうなのでしょうか。それは、福島第一原発事故以降、原発が不良債権化しているために、発送電分離をした途端に、発電会社の経営が破綻してしまうからです。したがって、電力システム改革を真に推し進めるには、原発=不良債権を処理する、もう一つの電力改革が必要になるのです。まさに、それこそが真の改革なのです。

「東京電力の抜本的改組が必要」
 詳細は第五章で述べましたが、真の電力改革を行うために、一刻も早くゾンビ状態にある東京電力の救済をやめなければなりません。一応、東電は組織再編することになっていますが、今の案では本格的な電力システム改革になりません。抜本的に改組すべきです。
 既に東電は当事者能力を失っているので、国のエネルギー予算を組み替え、国の責任において福島第一原発の廃炉を行うことが必要です。
 ほかの電力会社も、不良債権となっている原発を手放すことで経営は健全化され、融資している銀行も不良債権を処理できます。
 こうした電力改革を実施することで、国民負担も軽くなり、発送電分離改革もより迅速に、本格的に実施できるようになるのです。
 二十一世紀の進むべき方向は、「地域分散・ネットワーク型」社会です。そのためには、農協の改革だけでなく、財界もまた改革が求められているのです。

「新しいオルタナティブを掲げて」
 最後に、本書の分担関係について書いておきます。自転車で風を切りながら、「エネルギー兼業農家」という基本的なコンセプトを決め、二人でスケルトンを話し合ったことは既に書きました。そのスケルトンに従って、たたき台の原稿を武本が執筆し、それを金子が加筆修正して、それを武本に戻して、また再考するという往復関係でできています。こうした手法で「はじめに」から「おわりに」まで順番に書き進めました。その意味で、本書は名実ともに共著といえるものです。
 今日も二人で自転車に乗りながら、この新しいオルタナティブを掲げて閉塞状況を打ち破るために頑張ろうと話し合っています。読者の期待に十分には応えられていないかもしれませんが、読者の批判を謙虚に受け止めながら、より良いオルタナティブを練り上げていきたいと思っています。
 ともあれ、ここまで来られたのも集英社新書編集部のお二人の編集者のおかげです。本書の企画は同編集部の落合勝人さんと細川綾子さんにお世話になり、本書を進行させる過程では、細川さんが、読者が理解し読みやすくするために、原典に当たりながら、拙稿に対して丁寧かつ必要不可欠なコメントをくださり、校正段階でも種々のご助言をいただきました。また、タイトルについてもご提案をいただきました。ここに感謝の意を表して、本書を閉じたいと思います。
2014年4月 金子勝・武本俊彦

 まさに今各地で起こっている「エネルギー兼業農家」、そして「地域分散・ネットワーク型」社会をはるかに予言している本でした。図書館にある本なので、気軽に手に取って読まれることをお勧めします。

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金子勝・武本俊彦『儲かる農業論 エネルギー兼業農家のすすめ』その5

2020-05-23 08:06:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

再生可能エネルギーとは、太陽光・熱、風力、小水力、地熱、バイオマスが該当しますが、これらの多くは農山漁村に存在しています。したがって、農山漁村地域の農林漁業者、中小企業者、住民が中心になって発電事業に取り組めば、発電事業による利益は地元に還元され、それが地域内を循環するという地域の自立に貢献していきます。
 まさに、エネルギー兼業農家は、二十世紀の「集中・メインフレーム型」から二十一世紀の「地域分散・ネットワーク型」の経済システムへの転換の先頭を切ることになるのです。

「外来型開発から内発型開発へ」
 しかし、現実はそれほど甘くはありません。たとえば太陽光発電の場合を考えてみよう。太陽光発電は、太陽光パネルに太陽光が当たることによって発電がなされます。したがって、パネルの面積が大きければ大きいほど発電量が多くなり、また発電コストが低くなりますから、その利益は大規模発電ほど大きくなります。そうした事情から、太陽光発電は未利用地が多いところに立地したいという強い意向が発電事業者にはあるといわれています。だからといって、企業の自由にまかせてしまえば、地域の土地・景観の計画的な利用が損なわれ、また、地域への利益の分配が図れなければ、地域の衰退を招きかねません。
 2012年7月以降に導入された再生可能エネルギー発電設備は約900万キロワットで、その九割以上が太陽光発電とされ、その事業者は東京等の都市部に本拠を置く企業とされています。
 また、経済産業大臣から設備導入の認定を受けているものの現時点で未導入のものが約6000万キロワットもあり、そのほとんどを企業による太陽光発電が占めています。これでは、地域には発電施設に対する固定資産税や法人住民税等のほか、土地の借入に対するリース料が入るだけで、利益の大部分は本社のある都市部に持っていかれることになります。現状では、原発や大規模火力発電、あるいは高度成長時代に賃金と地値が都市部に比べ安いことから進出した工場と同様で、「外来型(植民地型)開発」にほかなりません。
 地域への還元が少ないだけでなく、地域に設置された施設は本社の判断で簡単に撤収されてしまい、地域外の要因に左右されるという意味で「他律」的な経済といえます。したがって、利益の地域への還元方法が担保されなければなりません。

「『ご当地電力』による内発的経済発展」
 それでは、内発型の経済発展を実現するためにはどうすればいいのでしょうか?
 その一つのあり方が、市民出資型の再生可能エネルギー事業と呼ぶべきものです。その基本理念は、地域住民が中心になって発電事業を立ち上げ、そこで生み出された売電収入をその地域に再投資し、資金の地域内循環を通じて、雇用と所得と環境を底上げし、持続的発展を図ろうとするものです。
 こうした動きは2001年の市民風車「『はまかぜ』ちゃん」からスタートし、固定価格買取制度の導入をはじめとする助成措置が整備されることによって、各地域での取り組みで「ご当地電力」が生まれています。
 しかし、「ご当地電力」は、地方都市を中心に展開されていて、その多くは太陽光発電です。自然エネルギーの宝庫である農山漁村において、再生可能エネルギー事業がどんどん広がっていく状況が生まれないと真に「地域分散・ネットワーク型」のエネルギー・システムを作り上げることができません。
 その意味で、農業者が6次産業化とともに、再生可能エネルギー発電の売買収入によって生きていける「エネルギー兼業農家」を、普遍的な農家経営モデルとして確立していくことが決定的に重要になってくるのです。
 農山漁村の地域資源を維持・管理しているのは、農業者をはじめとする地域の住民です。農業者が農業に従事するとともに、再生可能エネルギー発電事業に取り組んでいけるように、太陽光を農作物の栽培と発電にシェアリングする場合には、優良農地での活用も認める営農型発電や農山漁村にある一定の農地について地域への利益還元を前提に、太陽光パネルの設置のために転用を認める等の法制度が用意されています。
 しかし、6次産業化にせよ、エネルギー兼業にせよ、個別農家がやるには負担が大きく、地域ぐるみで取り組まないとうまくいかない面があります。その意味では、農協や農協系統金融機関、地域の市民ファンドや地域金融機関の役割が大きいといえます。


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金子勝・武本俊彦『儲かる農業論 エネルギー兼業農家のすすめ』その4

2020-05-22 07:17:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

「「エネルギー兼業農家」のコンセプトはこうして生まれた」
 新緑が濃くなり始めた頃、二人は自転車をこぎながら「本を出そうぜ」と、本書の相談を始めました。二人は、既に2010年2月に『日本再生の国家戦略を急げ!』を出しているので、今回は二冊目になります。前著でも、大規模専業農家を作れば、日本の農業がつよくなるという「常識」を疑い、地域単位の「6次産業化」というオルタナティブを提示しました。
 今回は、さらに「エネルギー兼業農家」というコンセプトを打ち出しています。
「このデフレで、特に農産物価格が下落する中で、単品生産の大規模専業農家なんて潰(つぶ)れるといっているようなものだな」
「この山林七割の国では、兼業農家でしか生き残れないけど、今さら工場誘致や公共事業獲得はないでしょ」
「いや、この時代だから発電する農家でしょ」
 といった具合です。
 とにかく、きれい事はヤメにして、徹底したリアリズムでいこうということになりました。結局、農業の担い手が減るのは、農業が「儲からない産業」になったからです。儲かっている農村地域には、30代40代の若い担い手がいっぱいいます。
 農家が食べていけなければ、食料危機が来たら対処できません。食料危機も原発事故以上にリアルになってきましたから、消費者としても無関心ではいられないはずです。
 こうして、農家が現実的に生きていける方法は何かを追求していった結果が、大規模専業農家でもなく、電力会社でもなく、農業者自身が発電する「エネルギー兼業農家」だったのです。私たちが提唱する近未来の農家経営モデルは「6次産業化」+「エネルギー兼業農家」です。
 私たちは通常の電力システム改革の「常識」にも疑いを向けます。通常、電力自由化論が想定しているのは、自家発電を行っている大・中企業です。これまで「発電する農家」は考えられてきませんでした。しかし農村は自然エネルギーの宝庫です。そこで農業者自身が主人公になって「発電する農家」になることが必要です。そうすることで初めて「地域分散・ネットワーク型」のエネルギー・システムが実現できるのです
 このように、「エネルギー兼業農家」は、担い手が高齢化し、衰退する農業・農村を救っていく新しい農家経営モデルであるという意味にとどまりません。それは、社会システム全体から見ても大きな歴史的・社会的意味があります。

「社会システムは変わる」
 前に述べたように、グローバル化が一層進展していくことが見込まれる中で、これまで「常識」とされてきたのは、農業においても大規模化路線の追求です。その背景には、高度成長時代の重化学工業や原発・大規模火力発電事業に象徴される「集中・メインフレーム型」経済システムの考えがあります。そうした考え方を背景に、「農業をもっぱら行う」という専業化によって、コストを削減し、大量生産したものを大量に販売する仕組みです。
 しかし、この路線では、人口減少とデフレ経済下においては価格引き下げを求められ、「安売り合戦」の蟻(あり)地獄に陥るようなものです。農業経営を維持することはできません。そもそも大規模化で利益を追求する「集中・メインフレーム型」の経済システムは、人口が増え、高い経済成長がなければ、輸出がはけ口にならないかぎり、行き詰まってしまいます。まさに、今の日本はそうした状況です。
 こうした状況のもとでは、一つひとつの事業者が小規模でも、スパコンとICTの発達を背景にしてネットワークで結ばれれば、瞬時にニーズをつかむことができ、十分に効率的になります。そして、この二十一世紀の「地域分散・ネットワーク型」経済システムが世界の流れになっているのです。スーパーよりPOSシステムを使ったコンビニの方が堅調に伸びている、あるいは固定電話に代わって携帯電話やスマートフォンが伸びているのが象徴的です。もちろん、気象システムを組み込んだ「賢い送配電網」であるスマートグリッドもそうです。
 農業分野でも、多様な消費者・実需者のニーズにかなった「量と品質と価格」の商品を生産するために、必要な加工をしたり、あるいはICTを使った産直や直売所等で販売したりすることを通じて、高付加価値・効率化を実現する6次産業化に取り組むことが重要になってきます。
 さらに農家は、エネルギー事業に取り込むことでさらなる収益が望めます。
 再生可能エネルギーについて、2012年7月に導入された固定価格買取制度によって、東京電力のような電力事業者は、再生可能エネルギーの発電事業者の採算性を考慮した価格で20年間継続して買い取る義務を負うことになっています。

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