また昨日の続きです。
これまでのすべての夏がそうだったように、いつのまにか熱は去り、吹く風の底のほうに秋のにおいがうっすらと感じられるようになった。
わたしは来る日も来る日も、進みの悪い小説を書きつづけていた。(中略)このあいだ読み終えたのは、精子提供で産まれてきた人たちのインタビューをメインにしたものだった。(中略)
そして、ある日、偶然に事実を知ってしまった人がいる。(中略)
インタビューの最後に登場した男性は、今もずっと父親を探しているのだという。(中略)
わたしは新しく取ったEメールのアドレスで、何も書かれていない白い四角の枠のなかに率直な相談内容を書きこんだ。当方は三十八歳であること。独身であり、また相手もいないために、医療機関が実施している精子提供を受けることができない。しかし子どもを望む気持ちがある。そんなおり「精子バンク・ジャパン」に辿りついた。「真剣に検討しているので、もし希望する場合は今後どのように進めていけばいいのか、方法を教えてください」
しかし一ヶ月近くたっても、返信はこなかった。(中略)
わたしはひきだしからノートを取りだして、「精子バンク・ジャパン」と「個人提供」の上に線を引いて消した。あとは選択肢がふたつ残っていた。
・デンマーク精子バンク、ヴィルコメン
・子どものいない、人生
わたしは自分の頼りない字をじっと眺めて、それからまたため息をついた。(中略)
(ヴィルコメンの)サイトには精子提供者のくわしい プロフィールが掲載されていて、血液型はもちろん、瞳の色、髪の色、身長などを選んでチェックをつけて検索すれば、希望条件を満たしたドナーが表示される。(中略)精子の値段は二十数万円。送ってもらった精子を自分で注入する。(中略)
ヴィルコメンのことを知れば知るほど、なんで「精子バンク・ジャパン」とか「個人提供」といったよくわからんサイトにメールなんかしてじっと待ってたんやろう、(中略)その理由は明白で、それはわたしが日本語しかわからないからである。ヴィルコメンのあるデンマークの言葉なんてひとつの単語も知らないし、英語は中学三年レベルで現在完了形以降の記憶がない。(中略)
11 頭のなかで友だちに会ったから、今日は幸せ
しかし今夜の朗読会はどうだろう。(中略)舞台のうえで何が行われているのか、これがまずもってわからない。(中略)
二人目の男性は(中略)尋常じゃない棒読みで、まるでテープレコーダーから流れて無限にループする念仏を思い起こさせた。(中略)
十一月に入ってからというもの、まるで冬みたいに寒い日がつづいていたので、その延長で厚めのセーターを着てきてしまったのもつらかった。とにかく会場内は尋常じゃない暑さで熱気がこもり、頭が面白いくらいにぽおっとする。(中略)念仏がついに終わった瞬間、まだ会場の照明が暗いうちにわたしはさっと席を立ち、おもいきり前かがみになってすばやく会場を出て、トイレの横の階段に座ってじっとしていた。
「おつかれさまです」
終演後、出口のわきのところで立っていると、むこうから仙川涼子が小走りでやってきた。(中略)
「うん、不思議な距離感やった」わたしは肯いてみせた。(中略)
そのまま帰ろうかと思ったけれど、仙川さんがぜひにと誘ってくれたので、打ち上げにお邪魔することになった。(中略)
「僕の作品ってなかなか理解されないけれど、たとえばいまのシリアの状況ね、さっき言ったレポートに書かれてる状況とかね。僕もう十年前の段階で、ぜんぶ書いてますから」(中略)
「そんなしょうもないことをさあ」女性の声がはっきり聞こえた。「恥ずかしげもなくべらべら言ってっから、何年たってもろくな小説の一本も書けないんじゃねえの」その言葉に場は水を打ったように静まりかえり、わたしも声のほうを見た。(中略)「(中略)誰も褒めてくれないからって人の仕事を使って自分の安っぽい自尊心を満たそうとするんじゃねえよ」(中略)声の主は、さっき仙川さんから紹介されて挨拶だけ交わした遊佐リカという女性作家で、それは芝居のつづきで親しみをこめた冗談でもなさそうだった。(中略)ひょっとしたらこの業界、これしきのことは朝飯まえというか挨拶程度というか、なんかそういう感じなのかもしれない。しかしだとしたらそんなもの笑橋の路上でもあるまいし、よくわからんけどなんかいろいろがすごくないか━━どきどきしながらビールを飲んで様子をみていたのだが、しかし数分もするとまるで何事もなかったかのような雰囲気に落ち着いていった。(中略)
(また明日へ続きます……)
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
→FACEBOOK(https://www.facebook.com/profile.php?id=100005952271135)
これまでのすべての夏がそうだったように、いつのまにか熱は去り、吹く風の底のほうに秋のにおいがうっすらと感じられるようになった。
わたしは来る日も来る日も、進みの悪い小説を書きつづけていた。(中略)このあいだ読み終えたのは、精子提供で産まれてきた人たちのインタビューをメインにしたものだった。(中略)
そして、ある日、偶然に事実を知ってしまった人がいる。(中略)
インタビューの最後に登場した男性は、今もずっと父親を探しているのだという。(中略)
わたしは新しく取ったEメールのアドレスで、何も書かれていない白い四角の枠のなかに率直な相談内容を書きこんだ。当方は三十八歳であること。独身であり、また相手もいないために、医療機関が実施している精子提供を受けることができない。しかし子どもを望む気持ちがある。そんなおり「精子バンク・ジャパン」に辿りついた。「真剣に検討しているので、もし希望する場合は今後どのように進めていけばいいのか、方法を教えてください」
しかし一ヶ月近くたっても、返信はこなかった。(中略)
わたしはひきだしからノートを取りだして、「精子バンク・ジャパン」と「個人提供」の上に線を引いて消した。あとは選択肢がふたつ残っていた。
・デンマーク精子バンク、ヴィルコメン
・子どものいない、人生
わたしは自分の頼りない字をじっと眺めて、それからまたため息をついた。(中略)
(ヴィルコメンの)サイトには精子提供者のくわしい プロフィールが掲載されていて、血液型はもちろん、瞳の色、髪の色、身長などを選んでチェックをつけて検索すれば、希望条件を満たしたドナーが表示される。(中略)精子の値段は二十数万円。送ってもらった精子を自分で注入する。(中略)
ヴィルコメンのことを知れば知るほど、なんで「精子バンク・ジャパン」とか「個人提供」といったよくわからんサイトにメールなんかしてじっと待ってたんやろう、(中略)その理由は明白で、それはわたしが日本語しかわからないからである。ヴィルコメンのあるデンマークの言葉なんてひとつの単語も知らないし、英語は中学三年レベルで現在完了形以降の記憶がない。(中略)
11 頭のなかで友だちに会ったから、今日は幸せ
しかし今夜の朗読会はどうだろう。(中略)舞台のうえで何が行われているのか、これがまずもってわからない。(中略)
二人目の男性は(中略)尋常じゃない棒読みで、まるでテープレコーダーから流れて無限にループする念仏を思い起こさせた。(中略)
十一月に入ってからというもの、まるで冬みたいに寒い日がつづいていたので、その延長で厚めのセーターを着てきてしまったのもつらかった。とにかく会場内は尋常じゃない暑さで熱気がこもり、頭が面白いくらいにぽおっとする。(中略)念仏がついに終わった瞬間、まだ会場の照明が暗いうちにわたしはさっと席を立ち、おもいきり前かがみになってすばやく会場を出て、トイレの横の階段に座ってじっとしていた。
「おつかれさまです」
終演後、出口のわきのところで立っていると、むこうから仙川涼子が小走りでやってきた。(中略)
「うん、不思議な距離感やった」わたしは肯いてみせた。(中略)
そのまま帰ろうかと思ったけれど、仙川さんがぜひにと誘ってくれたので、打ち上げにお邪魔することになった。(中略)
「僕の作品ってなかなか理解されないけれど、たとえばいまのシリアの状況ね、さっき言ったレポートに書かれてる状況とかね。僕もう十年前の段階で、ぜんぶ書いてますから」(中略)
「そんなしょうもないことをさあ」女性の声がはっきり聞こえた。「恥ずかしげもなくべらべら言ってっから、何年たってもろくな小説の一本も書けないんじゃねえの」その言葉に場は水を打ったように静まりかえり、わたしも声のほうを見た。(中略)「(中略)誰も褒めてくれないからって人の仕事を使って自分の安っぽい自尊心を満たそうとするんじゃねえよ」(中略)声の主は、さっき仙川さんから紹介されて挨拶だけ交わした遊佐リカという女性作家で、それは芝居のつづきで親しみをこめた冗談でもなさそうだった。(中略)ひょっとしたらこの業界、これしきのことは朝飯まえというか挨拶程度というか、なんかそういう感じなのかもしれない。しかしだとしたらそんなもの笑橋の路上でもあるまいし、よくわからんけどなんかいろいろがすごくないか━━どきどきしながらビールを飲んで様子をみていたのだが、しかし数分もするとまるで何事もなかったかのような雰囲気に落ち着いていった。(中略)
(また明日へ続きます……)
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