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鶴田法男監督『13 thirheen ドリーム・クルーズ』その1

2012-06-20 08:37:00 | ノンジャンル
 テレビシリーズ「13 thirteen」の中に一編、鶴田法男監督・共同脚本の'06年作品『ドリーム・クルーズ』をDVDで見ました。
 海に落ちた帽子を取ろうとしてボートが転覆し、沈んでいく弟のショーンを助けられなかった兄のジャック。弟が海の底へ沈んでいくところで目が覚めた、既に大人となった彼(ダニエル・ギリス)は、洗面台に浮かんでいるショーンの帽子を目にしますが、目をつぶって改めて見ると、そこには何もありません。顔を洗っていると、いきなり緑色の手に顔を掴まれます。
 海上のボートの上にいるジャック。横に浮かぶ帽子。それに手を伸ばすと、背後から緑色になった弟が飛びかかってきます。再び目を覚ますジャック。そこへ百合(木村佳乃)から電話がかかってきて「近々会いたい」と言ってきます。
 東京の「M&B法律事務所」に出社したジャックは、支社長から、大事なクライアントである斉藤英治が契約不履行で数社から訴えられそうになっていることを知らされ、すぐ彼に会って手を打ってほしいと言われます。携帯はずっと留守電なので、彼の会社に連絡をほしいと伝言を頼むと、すぐに英治から電話があり、夢浜マリーナへ来いと言った英治は、一方的に電話を切ってしまいます。
 待ち合わせ場所にジャックが行くと、そこには英治の妻・百合がいて、彼女のことを本気で好きになってしまったとジャックが話していると、遠くから疑惑の目で英治が二人を見ています。英治は海の上で話をしようと言って、ジャックを自分のクルーザーに誘いますが、海の中からは緑色のショーンが「ジャック」と呼ぶのが一瞬見えます。
 クルーザーに乗り、弟が溺れ死んだ時のことを回想するジャックは、コーヒーの表面に弟の姿が写っているのに気が付きます。海を怖がる理由を百合に教えるジャックに、百合は英治と別れるつもりだと言います。錨を投げ下ろす英治。書類を見せて自分に任せてほしいと言うジャックに、英治は任せるが裏切るようなマネはするなと念を押します。すぐ戻らなければならないと言うジャックに、晩飯くらい喰っていけと無理矢理足留めする英治。食事をしながら、日本語の上達にはピロートークが一番だから、日本人の恋人を作れと、英治は言う一方、姦淫の罪を犯した者は地獄行きだとも言い、日本では昔は四つ裂きの刑に処していたと語ります。そして、自分の世界一の宝物は百合だと言い、彼女が美人であることをジャックに無理矢理認めさせます。
 夕陽の中、鼻歌を歌いながら船を操船する英治。二人の仲に英治が勘づいていると話すジャックに、百合は無事に帰れるか不安だと言います。百合が英治の前妻は情緒不安定で失踪したことをジャックに語るショットに、英治が操船しながらジャックナイフを取り出すショットがカットインします。
 やがて陸に船が向かっていないことに気付く百合。すると船が急に止まり、エンジンに異常がないことを確かめた英治は、スクリューに海草が絡まったかもしれないと言って、ジャックに命綱を放り投げ、潜れと命令します。客に失礼だと言う百合の意見を入れて、自分で潜る英治。髪の毛がからみついているのを見て、急浮上する英治でしたが、百合らの問いには応えず、再び潜って髪の毛を取り除いていると、髪の毛が急に英治の腕にからみついてきて、エンジンが突然かかり、スクリューが回り出します。命綱が途中で切れているのを見た百合は、英治を助けようとするジャックを押しとどめ、事故であの人は死んだんだとジャックを説得していると、そこへ無傷の英治が海の中から現れます。やはり海草の仕業だったと言う英治は、エンジンを全開にさせますが、スクリューは回っていないことに百合は気付きます。エンジンが煙を発しているのを見るジャック。そこに現れた英治は階下へ歩いていきますが、彼の歩いた跡には血がたれているのにジャックは気付きます。しかし百合が来ると、血は消えています。ベッドに座り込んだ英治は、何も心配することはないと言い張ります。(明日へ続きます‥‥)

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河野多惠子『みいら採り猟奇譚』

2012-06-19 08:36:00 | ノンジャンル
 河野多惠子さんと山田詠美さんの対談本『文学問答』の中で、詠美さんが絶賛していた河野多惠子さんの'90年作品『みいら採り猟奇譚』を読みました。
 1941年、相良比奈子は女学校を卒業するとすぐに、38才で内科医を開業している尾高正隆と結婚します。尾高家は医学者・医家一族で、比奈子の父・相良祐三も外科医を開業していました。祐三には子が比奈子1人しかなく、比奈子よりもずっと年上の養子・邦夫を比奈子と結婚させようと思っていましたが、邦夫は服毒自殺してしまい、そんな事情を持つ比奈子と、38才でまだ独身で尾高家の次男であり、母がドイツ人とのハーフである正隆との縁談が生じると、祐三はすぐに比奈子を嫁にやってしまい、相良家ではいずれまた養子をもらえばいいと思います。比奈子は正隆の父が妻のことを「あんた」と呼ぶのに好感を持ち、祐三も正隆の父が自分と仲の悪い義父に対し、自分のことを擁護してくれていることを知って正隆の父に好感を持っているのでした。
 正隆は比奈子と最初に顔を会わせ、二人きりになると、お互いに嫌いなものをあらかじめ言っておこうと言います。比奈子が鳥が好きではないと言うと、正隆はその部屋にあった鳥籠の中の鳥を、その場で放ってやります。
 結婚後、比奈子は夫婦の営みの日にちを1回目から書き留めておこうとしますが、途中から、それが営みとして数えていいものかどうか分からなくなってきて、その習慣は途絶えてしまいます。それは正隆が比奈子からいたぶられるのを好む嗜好がはっきりしてきて、比奈子もその嗜好に付き合ううちに、自らも快感を得るようになってきたからなのでした。また、正隆の背中には昔付き合っていた女に付けられた古い傷痕があり、やがて彼らの結婚を知ったその女から手紙が届くようになりますが、時節柄、手紙の検閲が始まったことにより、もう手紙を書いて寄越さないようにと比奈子がその女に手紙を出すと、住所不明で戻ってきます。
 それからはしばらく、比奈子は尾高家の女性たちと楽しい時間を過ごすようになります。一方、正隆のマゾぶりもエスカレートしていきます。
 しかし時代は戦争へと一方的に進んで行き、家庭の女性にも勤労奉仕が望まれるようになっていきます。祐三は新しい養子を見つけていなかったため、比奈子は書類の上ではまだ相良家の後継者であり、正隆との結婚届もまだ役所に出していない状態でした。そうした状態を周囲は許さぬ方向に進み、祐三はやっと新たな養子を迎え、比奈子は正式に正隆の妻となります。
 そして正隆は折りを見て比奈子のことを「小さい」と言って楽しむようになり、そんな正隆を比奈子も微笑ましく思います。
 やがて東京に空襲の危機が迫り、正隆の実家は山梨に疎開できる準備を整え、正隆と比奈子も、身の周りの物以外の大切な物は、祐三が海辺に持つ別荘に運び込みます。毎日のように警戒警報と空襲警報が続く中、東京大空襲の日を迎え、正隆と比奈子は家を失い、祐三の別荘に引越すことになります。平和な別荘での暮らし。敵が上陸してくるとの噂から、別荘のある辺りは人も閑散とし、静かな時が流れます。
 そして二人の営みは増々エスカレートして、ついには比奈子は正隆の望みの通り、彼の首を絞めて殺します。そこには二人だけの穏やかな興奮があったのでした。

 日々の暮らしが淡々と綴られていて、谷崎の『細雪』を想起したりもしました。SMの倒錯的な喜びに没入していく比奈子の心情描写にはついていけない部分もありましたが、それ以外に関しては、静かな読書の喜びを味わえたと思います。また、この内容でこういう題名をつけるというのも面白い感性をしてらっしゃると思いました。

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ジョン・カーペンター監督『13 thirteen グッバイベイビー』

2012-06-18 04:57:00 | ノンジャンル
 テレビシリーズ『13 thirteen」の中の一編、ジョン・カーペンター監督の'06年作品『グッバイベイビー』をDVDで見ました。
 森の中を逃げる娘アンジェリーク。男女の医師が乗る車の前に彼女は飛び出し、その車で医師らの勤務先である「リンカーン郡婦人科診療所」に運び込まれます。診療所のゲートに迫る真っ赤なバン。アンジェリークの懇願で、警備員のキアナンはゲートを閉め、バンの侵入を防ぎます。バンにはアンジェリークの父ドウェインが乗っていて、1分以内に娘を返すようにキアナンに言いますが、キーファー所長は、ドウェインが過激な中絶反対派として裁判所命令で診療所への接近を禁じられていることを理由に、キアナンに命じて、ドウェインに車を450m後退させます。15分以内に娘を返せと改めて言うドウェイン。
 アンジェリークを診察した医師は、彼女が妊娠していることを知りますが、アンジェリークは中絶が神のご意志だと言って、すぐに手術してほしいと言います。彼女は自分が15才で、妊娠するのも今回が初めてじゃないことを認め、先週の土曜日にレイプされたのだと言いますが、胎児の成長を見て、医師はもっと前から妊娠いているはずだと言います。
 しびれを切らしたドウェインは、自ら拳銃を持ち、3人の息子たちにもライフルを持たせて、警備員を殺し、診療所に侵入します。防弾チョッキを着て、拳銃で応戦する所長。その間にアンジェリークの腹はみるみる膨張し始め、医師は既に陣痛が始まっているので、もう産むしかないと言います。邪悪な子なので産むわけにいかないと言うアンジェリーク。
 ドウェインの息子の1人が所長に撃たれて死に、所長も足に傷を負います。一方、アンジェリークの産道からは白い液体が噴出し、それを顔に浴びた女医は目が見えなくなります。所長室に追い込まれた所長は、椅子に座った状態で、ドウェインとその息子の銃弾を浴び、手に傷を負い、拳銃を落とします。ドウェインはぶらんぶらんになった所長の右手を確認すると、左手も拳銃で叩いてつぶし、防弾チョッキを脱がすと、机の上に所長を横たわらせ、自分が中絶をしてやると言って、所長の股間に穴を開け、そこから血液を吸い出して、所長を殺します。
 たまたま診療所に居合わせた別の親子は脱出を図りますが、診療所の外で警備に当たっていたドウェインのもう1人の息子に足留めされ、ライフルを構える息子に駆け寄ろうとした父親は腹を撃たれた後、頭を吹き飛ばされます。
 アンジェリークは、頭が人間の赤ん坊で体はエビ状のものを産むと、診療所の照明が点滅し始め、やがて廊下の床が持ち上がると、そこから角をはやした巨大な化物が現れ、咆哮します。ドウェインの息子はその化物に殺され、赤ん坊の姿を見たドウェインは「神の意志にしたがったのに‥‥」と絶句した後、やはりその化物に殺されます。アンジェリークは赤ん坊の頭を拳銃で撃ち抜いて殺すと、その赤ん坊の父親であった化物は、赤ん坊の死体を抱き上げると、静かに立ち去っていくのでした。

 最初から最後まで緊迫感のある画面が連続し、化物やその赤ん坊の造形、そしてそれらの撮り方も見事で、堪能しました。居合わせた親子の父親の頭がライフルで吹き飛ばされるショットも、リアルで凄かったと思います。見ごたえ十分の「娯楽映画」でした。

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林京子『長い時間をかけた人間の経験』その2

2012-06-17 05:06:00 | ノンジャンル
 石井輝男監督・脚本の'63年作品『昭和侠客伝』をスカパーの東映チャンネルで見ました。昭和初期の浅草に縄張りを持つ桜(嵐寛寿郎)組の舎弟である茂宗(鶴田浩二)が、卑怯な方法で新たに勢力の拡大を画策する黒帯(平幹二朗)組とその舎弟・常(大木実)に、茂宗を慕うチンピラの勝男(梅宮辰夫)と桜の叔父貴・池上を殺され、単身殴り込みをかけ、常と黒帯を殺す一方、自らも相手の刃に倒れるという話で、勝男の姉に丘さとみ、茂宗に思いを寄せる桜の娘・よし子を三田佳子、勝男の兄弟分の譲二を待田京介、茂宗の弟分の深見を内田良平が演じていました。梅宮辰夫と待田京介の若々しさを除くと、暗い場面ばかりが続く印象で、ラストの斬り込みの場面では、相手に斬りかかられる鶴田浩二が少しも防御をせず、ひたすら相手に迫っていくという殺陣のない斬り込みが印象的で、途中では鶴田浩二が黒帯の指を詰めさせた後、若い二人と必死に逃げるという、これまた珍しい場面もありました。

 さて、昨日の続きです。
 姿を消したカナの行動に、今日まで味わったことのない虚しさを感じ、生きるということは何なのだろうと問うた私は、お遍路を思いついたのでした。
 世界で最初の被爆者は1945年の7月16日未明にニューメキシコ州トリニティで行われた世界最初の核実験によって生まれ、その後、その年の8月6日の広島、8月9日の長崎、後のチェルノブイリなどで起こった核物質の拡散によって体内被爆者が広がり、現在に至っています。彼らは原爆症という明らかな名を与えられずに次々と今でも死を迎えてい続けていて、私は8月9日の平和式典後の平和公園で、ぶらぶら病のために困った時には自分の火傷痕が見えない闇の中で身を売って今まで生活してきた女性とも出会います。核実験が成功し熱狂するインドやパキスタンの民衆の姿を見て絶望する私。そして若くした死んでいった友のことを回想する私。
 しかしカナの手拭いに三十三ケ所のご朱印をもらった私は、浜辺で遊ぶ子供たちの幸せな姿を目にして、この小説は終わります。

 小説というよりは、説明文と言ってもいいような、被爆者として生きてきた林さんの軌跡が、あえて感情的になることを避けるように、淡々と綴られている文章でした。「生き残った者」として、島尾敏雄さんの文章にも通じるものがあったと思います。単行本に一緒に収められている短編『トリニティからトリニティへ』とともに、今も続く原爆被害・核の怖さ、むごさを知る最良の一冊だと思いました。

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林京子『長い時間をかけた人間の経験』その1

2012-06-16 08:38:00 | ノンジャンル
 ジョセフ・ロージー監督、ミシェル・ルグラン音楽の'62年作品『エヴァの匂い』をWOWOWシネマで再見しました。死んだ兄の小説を盗作して有名な作家となった男(スタンリー・ベイカー)が、ビリー・ホリデーの「Weep for Me」を愛聴するエヴァ(ジャンヌ・モロー)によって新妻を自殺に追いやり、自らも身をほろぼすという映画でしたが、官能的な横移動撮影と鏡を多用した画面が特徴的でした。

 さて、河野多惠子さんと山田詠美さんの対談本『文学問答』の中で、戦争というものをよく描いていると河野さんが言っていた、林京子さんの'99年作品『長い時間をかけた人間の経験』を読みました。
 8月9日の長崎への原爆投下によって、すでに壊された体を持つ私は、新聞社の社会部の青年記者2人に同行してもらい、半島の三十三ケ所の観音札所巡りを始めます。札所の7割が山の頂か中腹にあるということで、膝頭がまた痛みはしないだろうかと、私は心配します。最初に訪れた札所から見た眼下の海の入り組んだ海岸線を辿っていけば、私が住んでいる町に行きつき、その海辺の町の山の頂に一人の哲学者が住んでおられたのでした。年に2、3回訪ねさせていただいていた、その哲学者の方も、私が遍路を始めたその年の夏の終わりに亡くなられました。
 昭和二十年八月九日に被爆して以来、私も心身の安らぎと、平穏を探してきました。あきらめたり、安心したりしながら、沢山の学友を私は見送ってきました。学徒動員中の工場で被爆死した友人たち、先生たち、傷が癒えないまま死んでいった友人たち。生き残った私たちは、還暦を迎えました。これも過去の彼方になりました。
 人生の峠に立って振り返ってみると、麓から峠へ登る道筋には、大勢の学友たちが佇んでいます。そしていま私は峠の風にさらされながら、夢中で駆けてきた道を、眺めています。八月九日の死神に足を取られないように、走り続けてきた道です。
 ここまで生き長らえた事実から私は歓喜の声をあげましたが、そこには新手の死である老醜の死というものが立ち現れていました。私は裏切られた気がしてきます。
 私の親友であるカナは、やはり被爆者で、毎年夏になると家に引き蘢ってしまうのでした。そのカナから去年の正月に電話があり、夫が死んだことを伝えられました。淋しいわね、と言う私にカナは、淋しゅうはなかよ、あの人は間違いのう天国にいきなるさ、と言いました。一月ほど経ってから、私はカナに電話をかけましたが、既にその電話は使われてなく、それからカナは消息を消してしまったのでした。八月九日という共通の根をもって、多感な少女期を生きて、娘になり妻になり、母になった私たち。女として脱皮していくたびに、そこには新しい恐怖が待っていました。ぶらぶら病といわれる厄介な健康状態、疲れ易い私たちが結婚したとしても、夫やその家族に添って、生きていけるだろうか。万が一みごもっても、健康な子供が産めるだろうか、という不安。(明日へ続きます‥‥)

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