先日、カール・テオドア・ドライヤー監督の'43年作品『怒りの日』をIMAGICA・BSで再見し、その素晴らしさを再認識しました。詳しいあらすじは私のサイトの「Favorite Movies」の「カール.テオドア・ドライヤー」のところにアップしておきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。
さて、河野多惠子さんと山田詠美さんの対談本『文学問答』の中で詠美さんが絶賛していた、河野多惠子さんの'00年作品『秘事(ひじ)』を読みました。
三村清太郎は妻の麻子のことを〈麻子〉とか〈あんた〉と呼び、麻子は三村のことを〈あなた〉と呼びます。二人とも関西生まれ、関西育ちで、昭和30年代前半に関西の国立大と女子大を卒業し、三村は大学時代に演劇サークルの資金集めのための映画上映会に多く関わり、そこで二人は出会いましたが、その頃、三村は麻子のことを〈木田さん〉とか〈あんた〉と呼び、麻子は〈三村さん〉と呼んでいました。
二人はお互いに知らずに同じ商社に就職が決まっていましたが、二人とも恋人同士になり、三村は麻子と結婚するとともに彼女が入社を辞退してもらいたいと思っていましたが、後者の願いをなかなか言い出せずにいました。彼らは結婚後、当時としては恵まれた借家を借り、翌年、鉄筋ビルの社宅へ移り、その年の春に長男の太郎が、2年後の9月に次男の次郎が生まれ、その1年後、三村は転勤でシドニーへ、その6年後、東京本社に戻り、その後、ロンドン、ニューヨークへも駐在しました。息子たちからは終生〈お父さん〉〈お母ちゃん〉と呼ばれ、二人はロンドンから帰った時、都心にマンションを購入しました。長男の太郎は斗久子と結婚して女の子と男の子をもうけ、次男の次郎も百子と結婚して男の子二人をもうけました。年に1、2度は息子一家が三村のマンションに集まり、そんな時、三村は、自分の臨終の時は麻子だけに聞かせたい素場らしい言葉があるので麻子と二人きりにしてほしいと、息子らに言うのでした。
麻子は大学卒業を控えている時、三村との待ち合わせ場所に行こうとして自動車にはねられ、左頬を負傷し、傷痕が残りました。彼女はそれを理由にしてか入社を辞退し、三村が彼女との結婚を申し込むため彼女の父に会いに行った時には、その傷痕のことで麻子の父は頭を下げ、三村の母は結婚に反対しました。三村は彼女の頬の傷痕をあえて隠そうとせずにウエディングドレスでの結婚式を行ない、新婚旅行先での初夜には、麻子は三村の寝る布団の前に正座して「ほんまによろしいの」と言って、三村を驚かせるのでした。
彼らは商社のプチ・ブルジョワ社会の中で楽しく暮らし、いつも気持ちのよい返事をしてくれる麻子に、三村はふと、自然にそういう返事をしてくれているのだろうかと戸惑うこともありました。それは自分が彼女に「ケガ」という言葉を言わず、彼女が何か行動を起こす時、必ず注意を促す言葉をかけることへの、彼女からの返礼なのでは、とも思ったりするのでした。
ロンドンでシングルベッドで寝るようになった時、営みを行うのにベッドの弾みによって体が押し返されるように感じた三村は、床に敷いたふとんの上での営みの快さを思い、床にふとんを敷いて強引に麻子を誘い、その後、マットレス代わりになる藁布団を二人で探して歩きます。彼はそのことで、彼女が顔にケガを負って入院していた時、彼女の枕の両隣りに両腕を立て、彼女の顔を見守った時、彼女が上掛けから両腕を出して彼の肩へ伸ばした際、三村が「よしよし」と言うと、麻子の眼に涙が湧いてこぼれたことを思い出します。彼は求婚した時の彼女の沈んだ顔の理由も、これまで尋ねてきていませんでした。
ある日、三村の母が急死し、三村は1人ロンドンから帰国し、再びロンドンに帰って来てしばらくしたある晩、麻子は「わたしは、あなたにまだ聞いてもらっていないことがある」と言います。それは抜糸で残っていた糸を抜いてもらった時の気持ちのよさが、結婚して2ヶ月ほどたって味わえた初めての性の快感に似ていたという告白でした。(明日へ続きます‥‥)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
さて、河野多惠子さんと山田詠美さんの対談本『文学問答』の中で詠美さんが絶賛していた、河野多惠子さんの'00年作品『秘事(ひじ)』を読みました。
三村清太郎は妻の麻子のことを〈麻子〉とか〈あんた〉と呼び、麻子は三村のことを〈あなた〉と呼びます。二人とも関西生まれ、関西育ちで、昭和30年代前半に関西の国立大と女子大を卒業し、三村は大学時代に演劇サークルの資金集めのための映画上映会に多く関わり、そこで二人は出会いましたが、その頃、三村は麻子のことを〈木田さん〉とか〈あんた〉と呼び、麻子は〈三村さん〉と呼んでいました。
二人はお互いに知らずに同じ商社に就職が決まっていましたが、二人とも恋人同士になり、三村は麻子と結婚するとともに彼女が入社を辞退してもらいたいと思っていましたが、後者の願いをなかなか言い出せずにいました。彼らは結婚後、当時としては恵まれた借家を借り、翌年、鉄筋ビルの社宅へ移り、その年の春に長男の太郎が、2年後の9月に次男の次郎が生まれ、その1年後、三村は転勤でシドニーへ、その6年後、東京本社に戻り、その後、ロンドン、ニューヨークへも駐在しました。息子たちからは終生〈お父さん〉〈お母ちゃん〉と呼ばれ、二人はロンドンから帰った時、都心にマンションを購入しました。長男の太郎は斗久子と結婚して女の子と男の子をもうけ、次男の次郎も百子と結婚して男の子二人をもうけました。年に1、2度は息子一家が三村のマンションに集まり、そんな時、三村は、自分の臨終の時は麻子だけに聞かせたい素場らしい言葉があるので麻子と二人きりにしてほしいと、息子らに言うのでした。
麻子は大学卒業を控えている時、三村との待ち合わせ場所に行こうとして自動車にはねられ、左頬を負傷し、傷痕が残りました。彼女はそれを理由にしてか入社を辞退し、三村が彼女との結婚を申し込むため彼女の父に会いに行った時には、その傷痕のことで麻子の父は頭を下げ、三村の母は結婚に反対しました。三村は彼女の頬の傷痕をあえて隠そうとせずにウエディングドレスでの結婚式を行ない、新婚旅行先での初夜には、麻子は三村の寝る布団の前に正座して「ほんまによろしいの」と言って、三村を驚かせるのでした。
彼らは商社のプチ・ブルジョワ社会の中で楽しく暮らし、いつも気持ちのよい返事をしてくれる麻子に、三村はふと、自然にそういう返事をしてくれているのだろうかと戸惑うこともありました。それは自分が彼女に「ケガ」という言葉を言わず、彼女が何か行動を起こす時、必ず注意を促す言葉をかけることへの、彼女からの返礼なのでは、とも思ったりするのでした。
ロンドンでシングルベッドで寝るようになった時、営みを行うのにベッドの弾みによって体が押し返されるように感じた三村は、床に敷いたふとんの上での営みの快さを思い、床にふとんを敷いて強引に麻子を誘い、その後、マットレス代わりになる藁布団を二人で探して歩きます。彼はそのことで、彼女が顔にケガを負って入院していた時、彼女の枕の両隣りに両腕を立て、彼女の顔を見守った時、彼女が上掛けから両腕を出して彼の肩へ伸ばした際、三村が「よしよし」と言うと、麻子の眼に涙が湧いてこぼれたことを思い出します。彼は求婚した時の彼女の沈んだ顔の理由も、これまで尋ねてきていませんでした。
ある日、三村の母が急死し、三村は1人ロンドンから帰国し、再びロンドンに帰って来てしばらくしたある晩、麻子は「わたしは、あなたにまだ聞いてもらっていないことがある」と言います。それは抜糸で残っていた糸を抜いてもらった時の気持ちのよさが、結婚して2ヶ月ほどたって味わえた初めての性の快感に似ていたという告白でした。(明日へ続きます‥‥)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)