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林京子『長い時間をかけた人間の経験』その1

2012-06-16 08:38:00 | ノンジャンル
 ジョセフ・ロージー監督、ミシェル・ルグラン音楽の'62年作品『エヴァの匂い』をWOWOWシネマで再見しました。死んだ兄の小説を盗作して有名な作家となった男(スタンリー・ベイカー)が、ビリー・ホリデーの「Weep for Me」を愛聴するエヴァ(ジャンヌ・モロー)によって新妻を自殺に追いやり、自らも身をほろぼすという映画でしたが、官能的な横移動撮影と鏡を多用した画面が特徴的でした。

 さて、河野多惠子さんと山田詠美さんの対談本『文学問答』の中で、戦争というものをよく描いていると河野さんが言っていた、林京子さんの'99年作品『長い時間をかけた人間の経験』を読みました。
 8月9日の長崎への原爆投下によって、すでに壊された体を持つ私は、新聞社の社会部の青年記者2人に同行してもらい、半島の三十三ケ所の観音札所巡りを始めます。札所の7割が山の頂か中腹にあるということで、膝頭がまた痛みはしないだろうかと、私は心配します。最初に訪れた札所から見た眼下の海の入り組んだ海岸線を辿っていけば、私が住んでいる町に行きつき、その海辺の町の山の頂に一人の哲学者が住んでおられたのでした。年に2、3回訪ねさせていただいていた、その哲学者の方も、私が遍路を始めたその年の夏の終わりに亡くなられました。
 昭和二十年八月九日に被爆して以来、私も心身の安らぎと、平穏を探してきました。あきらめたり、安心したりしながら、沢山の学友を私は見送ってきました。学徒動員中の工場で被爆死した友人たち、先生たち、傷が癒えないまま死んでいった友人たち。生き残った私たちは、還暦を迎えました。これも過去の彼方になりました。
 人生の峠に立って振り返ってみると、麓から峠へ登る道筋には、大勢の学友たちが佇んでいます。そしていま私は峠の風にさらされながら、夢中で駆けてきた道を、眺めています。八月九日の死神に足を取られないように、走り続けてきた道です。
 ここまで生き長らえた事実から私は歓喜の声をあげましたが、そこには新手の死である老醜の死というものが立ち現れていました。私は裏切られた気がしてきます。
 私の親友であるカナは、やはり被爆者で、毎年夏になると家に引き蘢ってしまうのでした。そのカナから去年の正月に電話があり、夫が死んだことを伝えられました。淋しいわね、と言う私にカナは、淋しゅうはなかよ、あの人は間違いのう天国にいきなるさ、と言いました。一月ほど経ってから、私はカナに電話をかけましたが、既にその電話は使われてなく、それからカナは消息を消してしまったのでした。八月九日という共通の根をもって、多感な少女期を生きて、娘になり妻になり、母になった私たち。女として脱皮していくたびに、そこには新しい恐怖が待っていました。ぶらぶら病といわれる厄介な健康状態、疲れ易い私たちが結婚したとしても、夫やその家族に添って、生きていけるだろうか。万が一みごもっても、健康な子供が産めるだろうか、という不安。(明日へ続きます‥‥)

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/