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イタリア首相ベルルスコーニの人気の秘密とは?

2008-06-20 18:30:53 | ノンジャンル
 19日発行のフリーペーパー「R25」に、イタリア首相ベルルスコーニが3度目の首相になれたのはなぜか、という記事が載っていました。何とその人気の秘密は、失言が多い事。これが市民の人気の的というのですから、平和な国です。
 どんな失言を今までしてきたのか、というと、2006年のイタリア総選挙では1月の党大会で「投票日までセックスしない」と変な公約をし、3月には「毛沢東時代の中国は赤ん坊を茹でていた」と発言して中国の猛反発を食い、4月の投票日数日前には、対立候補の支持者に対して「キ●タマ野郎がこんなにいるなんて考えられない!」と放送禁止用語を連発。その後、街中で「私はキ●タマ」Tシャツやバッジがたくさん売られる事態を招いたそうです。
 他にも、女性閣僚が半数を閉めるスペイン内閣を「ピンク色すぎる」と評して顰蹙を買う一方、自分の新内閣にもかつてナンパしたことのある女性議員を閣僚に起用。この女性は「ミス・イタリア」コンテストで入賞したこともある美女で、ベルルスコーニは1年ほど前、あるパーティーで彼女を熱心に口説き、それが妻に発覚。公の場で謝罪させられたこともあったとか。
 また'01年9月にはイラクのフセイン大統領を腐して「ムッソリーニは政敵を殺したり引退させたりしなかった。離島に追放しただけ」と言ったり、'03年7月には欧州議会でドイツ選出議員の質問にキレて「ナチスドイツの強制収容所の看守役をお薦めしたい」と言って大問題になったり、まあ言いたい放題。
 こんな首相を日本で例えると「読●新聞グループの会長さんと某都知事さんを合わせたの」だと書いている編集員も勇気があるなあ、と思いました。このところ「R25」の記事をよく取り上げますが、結構勉強になることが多いので気に入っています。大きい本屋さんだと毎週木曜日には置いてあるので、興味のある方には手にとることをお薦めします。

阿曽山大噴火『裁判狂時代』

2008-06-19 15:40:35 | ノンジャンル
 今朝の朝刊各紙にシド・チャリシーさんの訃報が載っていました。17日に心臓発作のためロスの病院で86才で亡くなったそうです。私にとってのシド・チャリシーさんは'52年の「雨に唄えば」の幻想シーンの中でジーン・ケリーを誘惑するギャングの情婦役のミュージカルシーンが一番印象的です。バレーをやっていた筋肉質の素晴らしいプロポーションと美貌に打ちのめされました。ご冥福をお祈りいたします。

 さて、芸能人で唯一の傍聴マニアである阿曽山大噴火さんの「裁判狂時代」を読みました。内容は単行本「裁判大噴火」に大幅に加筆、修正を加えたもので、大部分は「裁判大噴火」と同じでした。新しく加わった点は、単行本が発行された'04年からこの本が発行された'07年の間に著者が新たに体験したことや、社会的に起こった変化について書かれていることです。
 新たに加わった内容を列挙すると、
・この3年の間に傍聴人が増えたこと
・裁判官や弁護人にノートパソコンを使う人が増えたこと
・75才から急に窃盗癖が出るようになり、裁判で知能テスト(ボケ判定テスト)を受けさせられていた77才のおばあさんの話。
・仕事がないので万引きをするしかない、と堂々と検察官と渡り合う、名前を言わない男の話。
・法の華の被告人質問における福永法源のバカっぷり(ゴーストライターによって書かれた100册以上の自分の著作を一冊も読んでいないことをあっさり認め、天声は嘘をつかない、という法源に「では、天はすべてお見通しなんですね」と検察官に言われ、何も言えなくなってしまう、など)。
・以前日本に存在した陪審員制度の話(36人から裁判所職員が12人に絞り込むが、その手続きは非公開であり、陪審員の議論が1日で終わらないと泊まりになり、有罪になった場合は陪審員を呼ぶのにかかった費用は全額被告人の負担になり、陪審裁判にするかどうかは被告人が決められたことなど)。
・来年導入される裁判員制度の説明
・オウム裁判で何もしゃべろうとしない麻原被告に何とかしゃべらせようとする弁護団の孤軍奮闘ぶり。
・松本の日本司法博物館のハチャメチャな展示ぶりの話。
などです。
 そして著者はあとがきでこう書いています。「(前略)数々の裁判を見てて、常に思うのが、被告人は特別変わった人間じゃないってこと。逆に言えば、いつ自分が刑事裁判を受ける側になっても不思議じゃないってことですね。
 被告人の発言を聞いてると、罪を犯したことには賛同できなくても、犯行までのいきさつや動機には、うなずける点はたくさんある。その辺は理解できなくても、経歴なんかを聞いていると、過去にはいたって普通の生活をしてたことが分かる。
 そんな、自分とはほとんど変わりのない人間が、一歩踏み越えてしまった瞬間を自ら語るんだから、これほど『人間』ってものを見つけられる場ってないと思うんだよね。
 他人や世間に見せるために行なう劇場型犯罪ってのもあるけど、ほとんどが理解のできる人間くさい裁判だらけだ。
 スーパーの店員の目の前で万引きする奴はいないし、電車に5人くらいしか乗ってないのに痴漢する奴もいない。捕まりたくないって思いからでしょう。車で人を轢いて『ケガ人がいる』って警察に連絡してから逃げた人の裁判を見ると、実に人間くさいな、と思うわけだ。
 連続殺人事件の裁判だって、自分と同じ人間がどういう理由があって、そんなことをしたのか、解き明かされていくのは、興味深いという意味で、非常に『面白い』。
 そして、裁判を見るたび、初めて傍聴したときのように、思う。
 『人間って、面白い生き物だなぁ』と。(後略)」
 確かに、裁判を見なくても、この本を読むと、被告人は個性の強いけど、言ってることは理解できる人ばかりでした。被告人を犯罪に追い込むのは、やはり社会的な原因が圧倒的に多いのだと思います。これからは偏見を持つことなく、被告人の人たちをウォッチングしていきたいと思いました。
 ただ面白いだけでなく、多くのことを学べる優れた本だと思います。文句無しにオススメの本です!

『いやいやえん』と俵万智さんの息子さん

2008-06-18 15:49:30 | ノンジャンル
 3日前から朝日新聞の夕刊に、終戦時9割の学生が喜び、1割の学生が怒り狂ったという高校で自由主義を謳歌したという京大名誉教授の森毅さんのインタビューが掲載されていて、とても面白いです。オススメです。

 さて、5月28日の夕刊に俵万智さんのコーナー「かーかん、はあい 子どもと本と私」にいい話が書かれていました。引用しますと、
 「朝、子どもが幼稚園に行きたくないと言う。
 『どうして?』『どうしても』『どこか痛いの?』『どこもいたくない』『なら、行こうよ』『いやだ、いきたくない』『そういうの、ずる休みっていうんだよ』『じゃあ、ずる休みする』
 園バスを見送ったあとも説得したが、とにかく『いかない』の一点張りだ。あまり深追いしても、いい結果にならないような気がして、とうとうその日は休むことにした。
 ちなみに息子は去年、年少児ではかなり珍しい『皆勤賞』だった。それが、こんな、なんだかよくわからない理由で休むことになろうとは。とんだ変化球に、私も戸惑ってしまう。
 とりあえず、こういう時は気晴らしだと思い、二人で、近所の図書館に出かけた。児童書の並ぶコーナーへ足を運ぶと、懐かしい一冊が目にとまった。『いやいやえん』(中川李枝子作、大村百合子絵、福音館書店・1260円)。小学生の時、夢中になって読んだ記憶がある。息子もまた、題を見て目を輝かせた。
 『これだよ。ようちえんじゃなくて、今日は、いやいやえんなんだよ!』
 主人公のしげるは、ちょうど息子と同じ四歳だ。やんちゃ坊主で、叱られるようなことばかりしている。しげるがやった17のことが列挙されているページにくると、息子は大喜び。特に気に入ったのが、次の三つだ。
 「はなくそを、なめました」「うわばきを手にはいて、かおをなでました」「おべんとうのとき、わざと、にんじんをおとしました」‥‥ぐひぐひ笑って、実に嬉しそう。まあ自分も、似たようなことをやっているのだろう。
 机に乗ったことを謝らないしげる。『ちこちゃんもやったから、いい』というのが理由だ。じゃあ、なんでもちこちゃんの真似をするのですねと言って、先生はちこちゃんのスカートをしげるにはかせてしまう。
 『なるほど~そういう手があるか』と私が感心している横で、息子は涙目になって、本の中の先生をにらんでいた。ひどい、そこまですることはないじゃないか! と、気持ちは完全にしげるの味方、というよりしげるそのもののようだ。
 『いやいやえん』は、保育園に行きたくないというしげるが連れて行かれる不思議な園だ。そこでは、子どもは好き勝手なことばかりしている。悪いことをしても、先生は叱らない。ケンカも、止めたりしない。お弁当は、みんな好きなものしか食べない。
 ここで一日過ごしたしげるは、すっかり自分の保育園が懐かしくなる。規則で縛らなくても、好き勝手をやりつくせば、子どもはこうなるんですよ、と囁かれているような気がした。『いやいやえん』は、子どもへの信頼なくしては成立しない。自分は、息子にとっての『いやいやえん』を作ってやれるだろうか。小学生の時には思いもしなかった感想を抱き、最後のページを閉じた。
 『いやいやえん」を一緒に読んだからかどうかは、わからないが、翌日から息子は、また元気に幼稚園に通っている。」

 何かいい話です。特に、本の主人公が叱られたことの列挙に、俵さんの息子さんが大喜びする場面が最高にいい。また先生の不等な罰に憤慨する息子さんもいい。
 私もよく相談を持ちかけられた時言うのですが、人間、何やったって自由なのです。しなちゃいけないこと、こうあらなきゃいけないことなど、人間が勝手に作り出した事で、それに従わなければいけない義務などこれっぽっちもない。ただし、自由を謳歌することによって、人に迷惑をかけたり、人を傷つけたりしたら、それなりのとばっちりは覚悟しといた方がいい、ということです。
 人生楽しく生きるなら、まず自由。これが私のモットーです。

上橋菜穂子『蒼路の旅人』

2008-06-17 18:38:19 | ノンジャンル
 昨日の全米オープンの結果を母に聞いたら「ボギーとパーでタイガー・ウッズが勝った」と言われ、18ホールの延長のはずなのに、変なこと言うな、と思っていたら、なんと!18ホールでも決着がつかず、サドンデスでタイガーが勝ったと知り、母の言ってたことが正しかったと分かりました。それにしても、すごい名勝負!生で見たかった!


 さて、上橋菜穂子さんの'05年の作品「蒼路の旅人」を読みました。
 今回は新ヨゴ皇国のチャグム皇太子が主人公です。南の大陸をほぼ制圧したタルシュ帝国は、北の島々からなるカンバル王国も滅ぼし、次の標的を北の大陸の小国である新ヨゴ皇国に定めます。カンバル王国から現在戦っているタルシュとの戦いに援軍を送って欲しいという親書を受け取った新ヨゴ皇国の帝は、罠である危険もあることから主力艦隊の3割程度の艦船を援軍として送る事にし、カンバル王国への誠意としてチャグム皇太子の祖父で帝の覚えが悪いチャグムを影から支えてくれていたトーサ大提督を援軍の指揮官として指名します。チャグムはむざむざと殺されにいくようなものだと帝にかみつき、怒った帝は「では、大提督と助けるために己も一緒に行くがいい」と援軍に加えられてしまいます。トーサは途中でやはり罠だったことに気付き、自分とチャグムの乗る旗艦だけで乗り込み、他の船は故国へ戻します。チャグムたちはタルシュ帝国の捕虜となり、トーサは帝から預かった艦船を敵に渡す訳にはいかない、と船に火をつけ、船と運命を共にします。チャグムたちは脱獄しますが、すぐにタルシュの密使ヒュウゴに捕まり、タルシュの都に連れていかれますが、ヨゴ皇国生まれで故国をタルシュに滅ぼされた経験を持つヒュウゴは、圧倒的な武力を持つタルシュに反抗し、多くの民を死なすよりは、大人しくタルシュの属国となるほうが犠牲が少なくて済むと言います。しかし、タルシュの都に行くまでの間に、夫や息子をタルシュに兵役でとられ、戦争で殺され嘆き悲しむ民の姿などを見ているうちに、チャグムはやはりタルシュの属国になるのは民にとって悲劇であり、北の大陸の3つの国が手を携えて、タルシュに対抗するべきだと考えるようになります。そして自分の父である帝を殺して、帝を弟に譲り、政治の実験は自分が握って臣下を説得して、タスシュの属国になる、と言ってタルシュの王子を騙し、船で故国に戻る途中で、チャグムは3つの国の一つロタ王国と手を結ぶため、海に飛び込んで危険な賭けにでるところで、この本は終わります。

 今までのシリーズと違って、これは話が途中で終わっているので、次がどうなるのか楽しみです。はでな戦闘シーンもなく、全体的にのんびりと話は進みますが、魅力的なキャラクター、特に常に民のことを考える行動力抜群で正義感あるれる15才の皇太子チャグム、16,7才にして海賊の頭領である少女セナや、謎の男ヒュウゴなどが楽しめるし、ほとんど海が舞台なので、海の風を感じる場面が多く、とても開放的な気分を味わえました。
 さあ、いかにしてチャグムは大帝国タルシュから故国を守るのでしょう、そして登場人物それぞれの運命やいかに。次作を読むのが今から楽しみです!
 なお、詳しいあらすじが知りたい方は、「Favorite Novels」の「上橋菜穂子」のコーナーに掲載しておきましたので、どうぞご覧ください。

ロベール・ブレッソン監督『ラルジャン』

2008-06-16 16:10:27 | ノンジャンル
 昨日の岩手・宮城地震での大規模な山崩れを見て、やはり自然の力の前には人間は無力だと思いました。人間はもっと自然に対して謙虚になる必要があると思います。

 さて、「晴れた日には巨大仏を見に」が面白かった宮田珠己さんの'01年作品「東南アジア四次元日記」を読みました。著者が10年間のサラリーマン生活を捨て、フリーライターになるべく40万の予算で半年ばかり東南アジアで面白いものを探す旅の日記です。
 宮田さんはみうらじゅんさんが見たら喜びそうなものが大好きで、意味不明のもの、ちょっとこれここにあったらまずいんじゃないのってもの、あるいは視点を変えると突然不思議な物体と化すものを独特の嗅覚で見つけだし、本で数多く紹介してくれてます。
 国的にはミャンマーが一番不思議なものに溢れているのですが、ここではタイの地獄を立体的に表現した寺ワット・ラナロンウアを紹介します。入り口を入ると、数人の体型バランスがでたらめの男たちが、横たわる1人の僧侶にサッカーボール大の石を寄ってたかって投げつけてる像に迎えられ、次がケルンのような石を積んで作った柱の上にドラム缶を押し上げてる男の像(何の罪を犯しているのかは不明)。ワニと虎に前後をはさまれ、ひえ~という顔をしているピンク色の少女の像。女を張り倒して背中から馬乗りのなっている男の像。うんこする男とうんこを掃除するもうひとりの男の像。(著者はお寺なんだから、うんこだけはやめてくれ~、と心の中で叫んでいました。)そしていよいよ地獄絵図へ。大男が大きな釜に死者は放り込んでいる釜ゆで地獄。釜の中には血まみれになった死者がうごめき、釜の周囲には骸骨になった死者が茫然と立ち尽くしています。次は逆さ吊りにされコンドルに体をついばまれている死者ですが、発狂したのかこの死者は笑っています。そして次は2m以上もある白い死者がひょろひょろと林のように立ち並んでいます。死者は痩せてあばらが浮き出て、体のあちこちから出血し、しかも頭が2つあったり、首が折れて背中にくっついたりと、おそらく生前の行ないの報いを受けているだろう死体も目立ちました。後は、鳥男、牛男、亀男、顔が足の裏男、腹が顔の男といった半分動物(?)になった、生前に動物を虐待したと思われる男たちの像、針の木を登らされ、犬に襲われている男、高さが10mぐらいあるひょろ長い、全身が発疹で覆われている男女、本当に痛そうな、大きなノコギリで体を真ん中から真っ二つに着られている男などがありました。
 著者はこの旅に対して、面白いものを沢山見れて充実感で一杯だと述べています。そしてあとがきではこのように述べています。「実際に旅をしていながら、ここではないどこか別の世界を求めているような旅だった。」「まったく理解できない何者かに出会って混乱するような経験、つまりそれが発見というものであるなら、現代の旅の中では発見がほとんどなくなってしまっている。それはガイトブックを持っていくとかいかないとかいうレベルの話ではなく、テレビや映画、雑誌などの情報によって世界の大枠が見えてしまっているということである。」「私はさまよう快感を探してさまよってきたのは、失われてしまった旅の感じをせめて想念の中で味わいたかったからなのかもしれない。」実際、著者は意味不明なものに出会うと狂喜し、まぬけなものに出会うとニンマリし、それまで人が明確な意味を見出せなかったものに出会うことが旅の喜びと感じているようでした。
 この「東南アジア四次元日記」は写真も豊富に掲載されていて、著者が実際に見て来たものを写真として見ることができます。そういった点でもとても楽しい本でした。無条件にオススメです。