瀬川昌久氏と蓮實重彦氏の対談集で2020年に刊行された本『アメリカから遠く離れて』を読みました。
その中からいくつかの部分を転載させていただくと、
・「日本人はもう一回、とにかく痛めつけられなきゃわからないんだろうと(笑)。もう、若い方々は、好きにやってくれと。」(瀬川)
・「(前略)(安倍氏が)首相になる以前は、一度失敗した彼がまた首相になると思った人なんてこれっぽっちしかいなかったわけです。ですから、やはりその地位に付いてしまうということは恐ろしいことだと思います。」(蓮實)
・「(前略)わたしのすぐ下の弟(瀬川昌治(まさはる))も非常に熱心で、だいたいそれで東大の文学部に入ったくらいなんです。」(瀬川)
※ちなみに瀬川昌治氏は『瀬戸はよいとこ 花嫁観光船』などで知られる優れた映画監督です。
・「(前略)先ほどお話ししたわたしの伯父たちも松竹楽劇団に熱狂していて、一度連れてってもらったんです。そこで笠置シヅ子の歌を聴きました。曲はみんな服部さんがアレンジして、作曲もしていて、「シング・シング・シング」とかアメリカの曲も歌っていましたが、(中略)それがとにかく素晴らしかった。(後略)」(瀬川)
・「(前略)戦後、笠置シズ子と並んで大阪のOSKに、秋月恵美子(あきづきえみこ)というタップのものすごくうまい人がいました。(後略)」(瀬川)
・「ええ、戦時中もフランスは敵国でないということで、映画も入ってまいりましたし、だからヴァレリーなどの翻訳も可能だったんです。」(蓮實)
・「(前略)いまを見ていると、ほとんどそれと同じような形での排外主義が散見されます。そしてその排外主義はほとんど外国を知らずに、日本のみを優れた国というふうに考えている。しかしそんなことはまた戦時中と同じ間違いで、外国のことは知らなければならない。」(蓮實)
・「『大運河』も日本で見て、ああ、フランスはすごいことになっているなあと思いました。そして、フランスに行って、チェット・ベイカーが出ていたりしたので聴きに行きましたが、(後略)」(蓮實)
・「(前略)その時に島津保次郎をもう一度ほとんど見直しましたら、出来不出来が結構ある人なんですが、いいものは非常にいいです。」(蓮實)
・「(前略)(島津保次郎の)『家族会議』も、まあなかなか面白いし、それから『お琴と佐助』(1935)というのはご覧になりましたか。(中略)これが一番素晴らしいんじゃないかと思います。」(蓮實)
・「(前略)『桃太郎の海鷲』もユーチューブに映像があるようですから、これも見てみましょう。(中略)このへんの画はかなりのもんなんですよ。」(蓮實)
・「(前略)『お琴と佐助』の場合は、見ている人の数は限られているとはいえ、海外の批評家のうちには、もっとも優れた日本映画の一本に選んでいる人もいます。(後略)」(蓮實)
・「(前略)(グリフィスは)あれだけ素晴らしい映画を無声映画時代に撮っていたのに、トーキーになるとほとんど撮れない。リンカーン自身を描いた『世界の英雄(Abraham Lincoln)』(1930)というすぐれた映画をトーキーで撮っているんですが、それでも、昔ほどの名声はなくなってしまう。」(蓮實)
・「アメリカの音楽史上でも、混血の美人女性が段々スターになるということがありましたけど、わたしが非常に好んだ美人の女優さんで、あの『ラウンド・ミッドナイト(Round Midnight)』(1986)に出てきたロネット・マッキーね。(後略)」(瀬川)
・「(前略)もちろん、黒人差別反対の動きは1800年代前半からアメリカにもありました。ジョン・ブラウンという奴隷制度廃止運動家がいます。(中略)彼は南北戦争が起こる直前に処刑されてしまうんです。(中略)白人です。(後略)」(蓮實)
・「(前略)このジョン・ブラウンが死刑になる時に、フランスの詩人ヴィクトル・ユーゴーが、それには反対するという文章を発表したんです。ですからいまよりも、ヨーロッパとアメリカの関係ははるかに近かったようです。」(蓮實)
・「(前略)十歳のころ天才といわれてヨーロッパの音楽学校に行く黒人が50年代にいた、という設定で語られていますが、このような天才の黒人ピアニストがいたんですね。」(蓮實)
・「(前略)じつは黒人だけではなくて、イディッシュ映画というジャンルもアメリカにはありました。(中略)そのように、30年代から40年代にかけてイディッシュの非常に優れた映画が作られ、ニグロムービーといわれている映画も、そのころずっと作られていました。ただし、普通の映画館にかかることはあまりなかったわけです。」(蓮實)
(明日へ続きます……)
→サイト「Nature Life」(表紙が重いので、最初に開く際には表示されるまで少し時間がかかるかもしれません(^^;))(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
その中からいくつかの部分を転載させていただくと、
・「日本人はもう一回、とにかく痛めつけられなきゃわからないんだろうと(笑)。もう、若い方々は、好きにやってくれと。」(瀬川)
・「(前略)(安倍氏が)首相になる以前は、一度失敗した彼がまた首相になると思った人なんてこれっぽっちしかいなかったわけです。ですから、やはりその地位に付いてしまうということは恐ろしいことだと思います。」(蓮實)
・「(前略)わたしのすぐ下の弟(瀬川昌治(まさはる))も非常に熱心で、だいたいそれで東大の文学部に入ったくらいなんです。」(瀬川)
※ちなみに瀬川昌治氏は『瀬戸はよいとこ 花嫁観光船』などで知られる優れた映画監督です。
・「(前略)先ほどお話ししたわたしの伯父たちも松竹楽劇団に熱狂していて、一度連れてってもらったんです。そこで笠置シヅ子の歌を聴きました。曲はみんな服部さんがアレンジして、作曲もしていて、「シング・シング・シング」とかアメリカの曲も歌っていましたが、(中略)それがとにかく素晴らしかった。(後略)」(瀬川)
・「(前略)戦後、笠置シズ子と並んで大阪のOSKに、秋月恵美子(あきづきえみこ)というタップのものすごくうまい人がいました。(後略)」(瀬川)
・「ええ、戦時中もフランスは敵国でないということで、映画も入ってまいりましたし、だからヴァレリーなどの翻訳も可能だったんです。」(蓮實)
・「(前略)いまを見ていると、ほとんどそれと同じような形での排外主義が散見されます。そしてその排外主義はほとんど外国を知らずに、日本のみを優れた国というふうに考えている。しかしそんなことはまた戦時中と同じ間違いで、外国のことは知らなければならない。」(蓮實)
・「『大運河』も日本で見て、ああ、フランスはすごいことになっているなあと思いました。そして、フランスに行って、チェット・ベイカーが出ていたりしたので聴きに行きましたが、(後略)」(蓮實)
・「(前略)その時に島津保次郎をもう一度ほとんど見直しましたら、出来不出来が結構ある人なんですが、いいものは非常にいいです。」(蓮實)
・「(前略)(島津保次郎の)『家族会議』も、まあなかなか面白いし、それから『お琴と佐助』(1935)というのはご覧になりましたか。(中略)これが一番素晴らしいんじゃないかと思います。」(蓮實)
・「(前略)『桃太郎の海鷲』もユーチューブに映像があるようですから、これも見てみましょう。(中略)このへんの画はかなりのもんなんですよ。」(蓮實)
・「(前略)『お琴と佐助』の場合は、見ている人の数は限られているとはいえ、海外の批評家のうちには、もっとも優れた日本映画の一本に選んでいる人もいます。(後略)」(蓮實)
・「(前略)(グリフィスは)あれだけ素晴らしい映画を無声映画時代に撮っていたのに、トーキーになるとほとんど撮れない。リンカーン自身を描いた『世界の英雄(Abraham Lincoln)』(1930)というすぐれた映画をトーキーで撮っているんですが、それでも、昔ほどの名声はなくなってしまう。」(蓮實)
・「アメリカの音楽史上でも、混血の美人女性が段々スターになるということがありましたけど、わたしが非常に好んだ美人の女優さんで、あの『ラウンド・ミッドナイト(Round Midnight)』(1986)に出てきたロネット・マッキーね。(後略)」(瀬川)
・「(前略)もちろん、黒人差別反対の動きは1800年代前半からアメリカにもありました。ジョン・ブラウンという奴隷制度廃止運動家がいます。(中略)彼は南北戦争が起こる直前に処刑されてしまうんです。(中略)白人です。(後略)」(蓮實)
・「(前略)このジョン・ブラウンが死刑になる時に、フランスの詩人ヴィクトル・ユーゴーが、それには反対するという文章を発表したんです。ですからいまよりも、ヨーロッパとアメリカの関係ははるかに近かったようです。」(蓮實)
・「(前略)十歳のころ天才といわれてヨーロッパの音楽学校に行く黒人が50年代にいた、という設定で語られていますが、このような天才の黒人ピアニストがいたんですね。」(蓮實)
・「(前略)じつは黒人だけではなくて、イディッシュ映画というジャンルもアメリカにはありました。(中略)そのように、30年代から40年代にかけてイディッシュの非常に優れた映画が作られ、ニグロムービーといわれている映画も、そのころずっと作られていました。ただし、普通の映画館にかかることはあまりなかったわけです。」(蓮實)
(明日へ続きます……)
→サイト「Nature Life」(表紙が重いので、最初に開く際には表示されるまで少し時間がかかるかもしれません(^^;))(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)