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ハワード・ホークス監督『バーバリ・コースト』その1

2019-11-18 06:40:00 | ノンジャンル
 昨日、新潮講座にて真貝康之先生による「スリバチ散歩・国分寺篇」に参加してきました。その様子はFACEBOOKの方に今日中にはアップさせていただくつもりですので、もし興味のある方がいらっしゃいましたら、是非ご覧ください。

 さて先日、渋谷のシネマヴェーラで、ハワード・ホークス監督の1935年作品『バーバリ・コースト』を観ました。山田宏一さんの本『ハワード・ホークス映画読本』に掲載されている「男の花道━━『バーバリ・コースト』」を転載させていただくと、

『バーバリ・コースト』は1935年のハワード・ホークス監督作品で、ハリウッドの大手(メジャー)の映画会社、ライオンが吼えるトレードマークで知られたMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)の創設者のひとりでもある大プロデューサー、サミュエル・ゴールドウィンの製作(「ゴールドウィン映画」とよばれる)、新聞記者出身のベン・ヘクトとチャールズ・マッカーサーの名コンビのオリジナル脚本による異色のギャング映画である。というのも、舞台はシカゴやニューヨークといった大都会の暗黒街ではなく、サンフランシスコに近い無法の歓楽地帯バーバリ・コースト。時代は19世紀半ば、カリフォルニアがゴールド・ラッシュでわきかえっている最中で(1848年にカリフォルニアで金鉱が発見された直後の物語である)、ミリアム・ホプキンス扮する若い女が単身、ニューヨークから船でサンフランシスコへやってくるところからはじまる。
 夜霧のサンフランシスコに船が入港する冒頭のシーンは美しく、ジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督、マレーネ・ディートリッヒ主演の『モロッコ』(1930)の冒頭のシーンを想起させる。同船の男から援助を女がきっぱりことわるところもよく似ている。ミリアム・ホプキンスは金を掘り当てた婚約者と結婚するためにやってきたのだが、婚約者はすでに賭博場で金も奪われて殺されていた。そこで彼女は、泣き寝入りすることなく、あえて賭博場にのりこみ、そのオーナーで顔役のエドワード・G・ロビンソンに堂々と正式に契約して雇われる。運命に立ち向かうハワード・ホークス監督ならではの「闘う」ヒロインの面目躍如といったところ。
 美しいミリアム・ホプキンスは顔役のエドワード・G・ロビンソンに嫉妬深くつきまとわれるが、断固として拒みつづけ、ある日、馬でひとりで遠乗りに出て、どしゃ振りの雨に逢い、雨宿りにとびこんだ家で、夢の王子さまのような青年(ジョエル・マックリー)に出会うというお伽噺のようなシーンがある。『雲晴れて愛は輝く』(1927)というハワード・ホークス監督のごく初期のサイレント映画にも、ヒロイン(ヴァージニア・ヴァリ)が、まるで「不思議の国のアリス」が穴に落ちてしまうように傾斜を転げ落ちて一軒家にすべりこむと、そこには夢の王子さま(ジョージ・オブライエン)がいるというシーンがあったことを思い出す。ハワード・ホークス監督の遺作になる西部劇『リオ・ロボ』(1970)などでも、決戦のさなかに男(ホルヘ・リベロ)があわてて一軒の家にとびこんで身を隠すと、そこには半裸の美女(シェリー・ランシング)がいて助けてくれるといった唐突な展開があり、ホークス的な魅惑のお伽噺の世界を豊かに彩っているかのように思える。『バーバリ・コースト』では、強面で嫉妬深いエドワード・G・ロビンソンは、いわば「白雪姫」の邪悪な女王といった役どころなのだが、ラストの「お情などいらぬ」と啖呵を切る気高く絶望した男の遺言など、むしろ、双葉十三郎(「西洋シネマ大全 ぼくの採点表別巻(戦前篇)」、トパーズプレス)の讃辞のように「ハワード・ホークス十八番の男性的メロドラマ」と言うべきか、ジョエル・マックリーの命を救うために自らの愛をあきらめて泣きじゃくるミリアム・ホプキンスに、エドワード・G・ロビンソンは言う。「それが愛というものか。おまえなどあいつにくれてやる」。そして、迫りくる追っ手(自警団)から逃れようともせず、「さよならを言えと言うなら言ってやる━━紳士のように、な」とニコリともせずにシルクハットを右手で高く持ち上げて最後の別れの挨拶をする。

(明日へ続きます……)

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